顔は国境を越える

日本に住んでいた時、外国人をあまり見慣れていない時は、少しでも外国の血の混じっている人を見て「バタ臭い顔」だと思っていた。そして、そのバタ臭さを持つ顔を一つのグループにカテゴリー化した。たとえば、外国人というだけで、私の英語の先生、ビーンスはキアヌリーブスに似ていると思っていた。テレビドラマで見る外国人の見分けがつかず、誰が誰かさっぱりわからないので犯人と被害者の区別がつかず、外国映画は嫌だった。

そんな私も、LAに引っ越して来て外国人の顔の見分けがはっきりつくようになる。それどころか、双子ですら解るようになる。慣れってすごい。しかも、うっすらながら発祥の地をわかるようになって来た。「この人は北欧系だな」とか「アイルランド入ってるわー」とか「イタリアやな」「中近東も混ざってる」とか。

しかし、それだけではなく、顔の掘りを見慣れ、髪の色にも左右されなくなってくると、おもしろい事に、顔が国境を越える。

たとえば。。。

ベスのママは鹿野ちゃんに似てる、と思い始めたし、ペルーから来たというオバちゃんは、親戚のオバちゃんにウリだった。また、森下のおっちゃんと、めっちゃ疲れてる時のロバートレッドフォードに共通点も見るし。グアテマラの人をテレビで見て、ミホちゃんだと思ったら現地の人だった。

今回のヨーロッパ旅行でも、元、赤窓の娼婦をし、「フッカー、日本へ行く」「フッカー、ニューヨークへ行く」などの本を書いた女性で、今はB&Bを経営しているエグザビエさんは、行徳の八百屋のおばちゃんと似ていた。同じく、行徳の酒屋のおっちゃんに似たタイプの人はいっぱいヨーロッパにいた。

スイスの鉄道の中で、浅田がいた。浅田の顔をした人は、浅田の振る舞いをしていた。時々首をぷるぷる、っと振り、意味のないところでうなづいていた。そして、浅田が好きそうな洋服を着ていた。すっげえーーーーー、浅田!こんな所で再現フィルムかよ〜〜。

イタリアには西野音次郎がいた!高校生のとき、年下のくせに私のケツが好きだと摘んで来た花を持ってウチの高校まで追い掛けてきたくせに、じゃあお茶でもしようと言うと忙しい、と帰った男。

ドイツには、結城さんがいた。小さい結城さんやら、小太りの結城さん。それらは同じようなユーモアのセンスをしており、同じような表情でまゆを片方あげてチラっと見た。

そういえばインドにも、西津のおっちゃんがいて、内モンゴルにはベンガルさんがいて、ダラムシャラのチベット村には本家くんも、松本君も、そして、吉本の村上ショージさんもいた。

トムに言うと「絶対似てないよ!日本人と特にヨーロッパの顔が似てるなんてありえない」と言う。

でも皆、似たような顔をしているだけではなく、同じような笑い方や、同じような振る舞いをした。多分、その人たちのエネルギーが似ているのだと思う。上のほうにエネルギーのある人、下のほうにエネルギーのある人。顔近辺のエネルギーを絞る人、広げる人、リチャード先生のいうドミナント・チャクラの変形なのかもしれない。

そういうのに敏感なのだと思う。だって、モノマネするときって、無意識にそういうところを真似するんだと思うんだよね。

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