ジャッジするべからず?

ジャッジするな、と言われて久しい。
私も基本は同意。

アメリカへきた頃は、アメリカの人、全員が間違っていると思ってた。
「気が変わった」が理由になり、連絡せずに遅れてくる。
「私は今左折したいんだから!」堂々と禁止区域でジェスチャーとともに主張し、渋滞を作る。
「彼女にふられたから会社なんかへ行けるワケがない」と、来ないので電話したらそういう理由。

おまえ、いいかげんにしろよ!、そんなんでいいと思ってんのかよ!的なところで怒っても、アメリカ人は「why?」と、きょとんとした顔で見る。
あげくに「マサヨ、アンガーマネージメント(怒りを癒すセラピー)いってきたら?」

こいつら、常識を逸脱している、地球に向いてない、全員インディゴかよ?と思った。(すまん、インディゴ。しかし、インディゴを誇りすぎるのはやめてね♡ 逆差別&迷惑)

そんなアメリカという国に鍛えられた自分も、その昔、トクに日本ではとても批判的で、演劇系からきているので「ダメ出しの女王」として、バッサバサと人を斬ってきた。
今でもやれといわれればいくらでも出来る。
が、意識的にそれを止めている。
そのうち、どーでもよくなってくるが、元々あまのじゃくなので、昨今の風潮により、ジャッジがイケナイ、イケナイと言われると、なんでだよ!と反旗を翻してしまうくらいに、シヴァ入ってる自分がいる。

そもそも、客観性を持っているから批判(ジャッジ)ができるのだ。
陰陽をわかっているから判断(ジャッジ)ができるのだ。
わからなければ全てすばらしく、「素敵ね、素敵ね」と浮いていればいいと思う。それもひとつの生き方だと思うけれど、私から見たら、それは、そこはかとなく気持ち悪い。誰になんと言われても、パンツにウンコはさんだように気持ち悪いんだから仕方ない。はさんだまま「素敵ね」と言ってごらん、と言いたい。

そんな私も、昨今ツルませていただいた皆さんが、あまりに心清く、ウンコはさんでも泣くか、自分のせいだと言うか、そんな優しい人たちを見ていると、「あれ?私ってひどいのかなあ」とこころなくも思い、ほんの少し落ち込んで、ある夜、近所の友(おねえ系)に聞いてみた。

「あーーら、ジャッジのどこがわるいのよ! イヤなモンはイヤなのよ。
 そんなもん、バッサバサすればいいのよ、 ダメなモンはダメなのよ。
 ヒヨコの選別と同じじゃない」

スっとした。

そう。

クリティサイズ(批判)せずにジャッジ(判断)して、自分に必要なものだけとりいれるのは、自分を大切にしていく事とイコールだ。
私はヒヨコを選別する事にする。

私は私らしく でかまわない。
シヴァで かまわない。
それぞれの舞台で かまわない。

「選別したつもりでもねえ〜〜、妊娠しちゃうのよ、
 あらー、メスだったのね〜〜、みたいな」

というオチがついて、、、

Have a good one!!

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