真ん中が抜けていると、、、

真ん中が抜けている人がいる。

たとえば、
明日の事を考えるのに、今日一日を使っちゃう人。

今、ここにいる ここ、とか 今 とかを
おざなりにする人の事を言っているのだ。

ヨガで、我が師、ブライアンケスト(ちなみにpoweryoga.com )は言う。

「この筋肉を伸ばしている時に、今晩の晩ご飯、何作ろうかしら?と考えている君、君はヨガをしているのではない、クッキングをしているのだ。この筋を伸ばしている時、あら、前の人のヨガウエア素敵だわ、ルルレモンかしら?明日通る時に見てみよう、と思っている君、君は今ヨガをしているのではない、ショッピングをしているのだ。伸ばすべき筋にアテンションしてない。あなたのマインドはどこかへ飛んでいる。」

大笑いしながら激しく同意した。

同じ事が至る局面で言える。

たとえばテキストメッセージ。
テキストメッセージとは便利な世の中になったものだ。
いつでもつかまえられるし、渋滞とか赤信号とかで、ちゃちゃちゃ、とチェックできるし(ホントはダメ)、あれがあるおかげでどんなに便利で楽しく、住所など口頭で無理な事が確認できるだろうか。

だが、映画館で、ずーーーっとテキストしてるバカがいた。
あげくの果てに、あんまりちゃんと見てないからもう一度見たいわ、と言う。

また、私と一緒にいるときに、ずーーーっとテキストをしている別の友がいた。
大事な用事なんだと思って放っておいた。

その友にしょ〜もないテキストを送った時、速攻で返事が来て、「今、友達と食事中よ。これ、食べて、これ食べたの。なかなか美味しいわ」などと言い、会話をどんどんフって来る。

おい、待て。
という事は、私と一緒にいるときのテキストも、そういう事なのか?

Aさんといるとき、Bさんとテキストをし、BさんといるときにAさんとテキストをする。じゃあ、Aさんといる時に、ストレートにAさんと話せばいいじゃないか?
矢印が、目の前(たとえば自分)ではなく、いつも別な方向へ行っている。
いつも、別な所と繋がっていて、あげくの果てに
「ああ〜、人生ってつまんないわね〜」

つまんないのは、
今、この瞬間を、この空間を、大切にしてないからじゃないか?
図で表すと、いつも円周を回って向こう岸ばっかり見ていて、
真ん中の円が埋まっていないからじゃないのか?

また、付け加えるに、写真!
デジカメになってから、いくらとってもランニングコストが安いからやたら多くなったのがコレ。

私も写真を職業柄撮るし、写真が好きだから、気持ちはよくわかるが、セドナなどの観光地へいって、その場の空気に触れずに、気が狂ったように写真ばっかり撮っていると、「写真を撮る」という今この瞬間は得られても、「セドナを楽しむ、感じる、吸い込む」ことを忘れて、ただ、記録して、家に戻ってきた時に写真を見てセドナを思い起こして、自分の脳内でもう一度組み立てているだけのような気がする。

私も、その昔、旅行へ行くのに、パスポートにスタンプを押してもらう事が一番誇らしく、それを自慢げに友達に見せた。そのために旅行をした若かりし頃もあった。

そして、現地へ行くと、まずお土産を探し、それでツアー日程が終わってしまう事もあった。何しに旅行に来たんだ。。。

だから、本当は他人の事は言えないんだが、。

これら全部、ぜ〜〜んぶ、
「本末転倒」と言う。

そしてこれらを繰り返していると、、、

著しく、空しい。

イコール、

自分を愛せない。

自分の愛し方が解らない、という人をよーく観察してみると、
大概は、「真ん中が抜けている」

多分、コレほんと。