ゲータレード in セドナ

セドナで脱水症状になった。
モンスーンあけのセドナ、一緒にいった初めての人たちには「絶対にお水をたくさん飲んでね!」と言ったのに、、、自分もちゃんとお水は飲んでいたのに、、、
35度越えの炎天下とクーラーのよく効いたタイレストランの間をたった2往復(分数にしたらたったの5分!)いきなり寒くなりはじめ、朦朧として来た。

震えがひどくなり、朦朧として来て、タイのヌードルの味がやたら薄いと感じた。
後になって思うに、体内の塩分が全く足りなかったのだろう。だから塩気が普通にあっても、塩を感じなかったのか、または急性の味覚障害(そんなのあるのか?)

とにかく、レストランへ入ってからもお水を飲んでいたので、自分が脱水症状だなんて1ミリも思っていなかった。
ハラは水分でタプンタプンだが、頭は暑く、身体は冷えて来て、トイレへ百万回行き、そのたびにちゃんとした量の水分は出るので、どう考えても、もっと水を補充しなくては、と思った。

そこで、みーちゃんが心配して買って来てくれたのが、3リットルほどのゲータレード、2本!。

うげっ!ケミカルかよ、、、
しかもそんなに飲めないし。。。

と、正直思った。
ここ10年以上、薬もとっていなければ化学っぽい味のものは、一切身体に入れていなかった自分の身体にこんなの2本も入ったら内蔵、色着くよなあ、、、

ココナッツウォーターも買って来てくれて、それも飲むには飲んだが、
ゲータレードを飲んだ時、本当にするすると身体に入って行き、驚いたのなんのって。
5分たたないうちに3リットルのゲータレードを一気飲みのように飲み干した。

その後、水分がいっぱい入ってきたせいか寒くなり、35度越えのクソ暑い中、ぶるぶる震えながらフロントに「毛布をあるだけ下さい」と頼みに行き、その毛布に包まって昼寝をし、汗をいっぱいかいて、1日で治った。

実はその後、軽い脱水が2人続いたが、彼らもゲータレードで、みるみる治った。
ってか、合計3人も脱水になるセドナって、それもスゴいんだけども、

いやーー、すごいわ、ゲータレード。

ケミカルを批判しすぎるべからず。

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セドナより

いろんな事が起こる場所、セドナにいます。

例えば富士山は、外から見るもの、とすると、
セドナは、その景色の中に入る、そんな感じの場所。

エネルギー的には、ネガティブポジティブどちらでも、自分の持っているものを増長させるもの、だそうです。
あらゆる意味で試される。

何度来ても、何度来ても、おもしろい場所。

私は見られなかったけれども、今朝も、すごい雲が出たそう。

書きたい事はいっぱいあるけれども、着々と、あまりにはっきりと物事がカンカンと音をたてるように変わって行くので、記述が追いついて行かない(笑)

また、まとまったら書きますね。

ベキ主義

アメリカに住んで、とてつもなく自由な放し飼いに14年も慣れると、日本へ戻った時に大きなカルチャーショックにブチあたる。

とくに、ヨガ的な生き方(一般に総称してそう言うが、ヨガをしているワケではナイ)を勉強し、「いまここ」などを目指し、少しソレが出来てきてしまうと、日本へ戻った時には「しがらみ」「気遣い」「空気読めよ」などという蜘蛛の巣に、ガッツリつかまってしまったように感じるのだ。

日本の、全体を見る、先を見る、サッカーのフォーメーションのように二手三手先を読んで行動するのは、脳がフル活性しており、効率のよい生活の手助けとなる。
だからこそ、日本の水準は高いのだと思うが、いつも「勝負状態」であるとも言え、それはストレスが大きい事に慣れてしまっているんだろうな、と思う。
アイルランド出身の友人は「キミらはサイキックか?」と言った。

どちらがいい、という論議はしたくない。
どちらにも理由がある。

☆ ☆ ☆

ゴール至上主義

日本は、ゴール至上主義だと感じる。
ゴールに向けて、皆泳ぐ。(泳ぐ、は例です)
ゴールをゲットしたものが一番いいわけだ。
泳げないものは、人にあらず。
泳ぎたくない、などというものは、生きている資格がない。

泳いでいる間や、泳ぐ前のプロセスよりも、やはり「結果」であり、
その結果如何においては、「責任」をとらされたりするし、「責任をとること」が美しいと思われているが、その責任が、妥当な責任ではなく、いまだ「辞職」だったりして、ハラキリとなんら変わっていない。
ようするに、罰ゲームのまんまで、改善と結びつかない。これはきっと、日本の持つ「恥の文化」と大きなかかわりがあるのではないかと密かに睨んでいる。
恥をかかないために、しっかりしてなくちゃならない。勝つ「べき」なのだ。

☆ ☆ ☆

「あの人は かくかくしかじかする べき でしょ?」
「そうよ。まるまるばつばつ す べき よね」
「しかるべき 態度で、しかるべき措置を」

べきべきべきべき、、、、
〜なくちゃ 〜なくちゃ 〜なくちゃ、、、

英語で言うところの
should do, should n’t do
must to, must n’t do
が、めちゃくちゃ多いのだ。

【英語では。。。】
英語で、これらの should や must を使うと、かなりキツいので、
よっぽどの事が無い限り使えない。
が、私がサンタモニカの某英会話センターで英語を習い始めた時、「〜しなくちゃ」「〜べき」は何て言うの?と先生に必死で聞いたものだったが、先生は、ちょっぴり困った顔で「あんまり使わないんだけど、あえて言うと、、」みたいに教えてくれた。

クラス中に覚えたてのソレを使って、先生の教え方に対して連発すると
「そういう場合は you might want to(こうするのはどうかしら?系)とか、違った言い方を使ったほうがいいわ」と、まゆをピキピキさせながらも、おだやかな口調で教えてくれたものだった。
つまり、私にとって「〜べき」「〜しなくちゃ」は、あたりまえの事だったので、あたりまえに言いたかっただけだったが、英語圏の人にとったら、かなりキツいのだと言うコトが後でわかった。

それくらい、言葉と思考回路は密接で、そんな思考回路に慣れ、さらなるヨガ的訓練も重なり、日本へ帰った時はビックリするのである。

「あの人はうちの駐車場に停めるベキではない!」
「人にやさしくするベキだ」
「挨拶したら、聞こえるような声で返事するベキだ」
「飲み会に参加するベキだ」
「最近の若者は、もっとコミュニケーションをもつベキだ」
「人様に失礼なことをするベキではない!」
「こんな朝早くに電話をかけてくるベキではない!」

全部正論なんだけども、、、

じゃあ、”そうすベキでない”事を「ちゃんと相手に伝えればいいじゃない?」
と言ったら
真っ赤な顔をして怒って
「そんな事、他人に言うベキじゃない!」と言う。
そして
「それくらい、言われなくても自分で気付くベキだ」

いや、わからないバカもいる。
アメリカ人的な考え方をすれば、いっぱい「ベキ」があって、それであなた自身が困っているのに、相手には言わないのって、へんだよね。

私は、わからないバカの種類なので、
「日本ではね、それは非常識って言うんだよ」と言ってもらったらありがたい。
ただ、そこから言われた通りにできるかどうかは別だけれども。

☆ ☆ ☆

「べき」は、理想としては素晴らしいけれど、強制できるものではない。
実は私は、恐ろしいくらいに「べき」ベースで動く人間で、
それで動いていると、すごく疲れる。

だけど「べき」があるほうがヤル気になる反面を持っている事も事実だ。
よくも悪くも、何か課題を課している状態。

自分を少しゆるめる必要があるな、と思うときには、「べき」は一旦まくらもとへおいといて、「〜たい」にするといいと思う。

「〜たい」と「〜べき」って言う音を比べてみても
「〜たい」のほうが、まあるく、やわらかくない?
「〜べき」って、すごく強い音。

意識して使い分けが出来るといいよね。

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実は

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– Masayo