ベキ主義

アメリカに住んで、とてつもなく自由な放し飼いに14年も慣れると、日本へ戻った時に大きなカルチャーショックにブチあたる。

とくに、ヨガ的な生き方(一般に総称してそう言うが、ヨガをしているワケではナイ)を勉強し、「いまここ」などを目指し、少しソレが出来てきてしまうと、日本へ戻った時には「しがらみ」「気遣い」「空気読めよ」などという蜘蛛の巣に、ガッツリつかまってしまったように感じるのだ。

日本の、全体を見る、先を見る、サッカーのフォーメーションのように二手三手先を読んで行動するのは、脳がフル活性しており、効率のよい生活の手助けとなる。
だからこそ、日本の水準は高いのだと思うが、いつも「勝負状態」であるとも言え、それはストレスが大きい事に慣れてしまっているんだろうな、と思う。
アイルランド出身の友人は「キミらはサイキックか?」と言った。

どちらがいい、という論議はしたくない。
どちらにも理由がある。

☆ ☆ ☆

ゴール至上主義

日本は、ゴール至上主義だと感じる。
ゴールに向けて、皆泳ぐ。(泳ぐ、は例です)
ゴールをゲットしたものが一番いいわけだ。
泳げないものは、人にあらず。
泳ぎたくない、などというものは、生きている資格がない。

泳いでいる間や、泳ぐ前のプロセスよりも、やはり「結果」であり、
その結果如何においては、「責任」をとらされたりするし、「責任をとること」が美しいと思われているが、その責任が、妥当な責任ではなく、いまだ「辞職」だったりして、ハラキリとなんら変わっていない。
ようするに、罰ゲームのまんまで、改善と結びつかない。これはきっと、日本の持つ「恥の文化」と大きなかかわりがあるのではないかと密かに睨んでいる。
恥をかかないために、しっかりしてなくちゃならない。勝つ「べき」なのだ。

☆ ☆ ☆

「あの人は かくかくしかじかする べき でしょ?」
「そうよ。まるまるばつばつ す べき よね」
「しかるべき 態度で、しかるべき措置を」

べきべきべきべき、、、、
〜なくちゃ 〜なくちゃ 〜なくちゃ、、、

英語で言うところの
should do, should n’t do
must to, must n’t do
が、めちゃくちゃ多いのだ。

【英語では。。。】
英語で、これらの should や must を使うと、かなりキツいので、
よっぽどの事が無い限り使えない。
が、私がサンタモニカの某英会話センターで英語を習い始めた時、「〜しなくちゃ」「〜べき」は何て言うの?と先生に必死で聞いたものだったが、先生は、ちょっぴり困った顔で「あんまり使わないんだけど、あえて言うと、、」みたいに教えてくれた。

クラス中に覚えたてのソレを使って、先生の教え方に対して連発すると
「そういう場合は you might want to(こうするのはどうかしら?系)とか、違った言い方を使ったほうがいいわ」と、まゆをピキピキさせながらも、おだやかな口調で教えてくれたものだった。
つまり、私にとって「〜べき」「〜しなくちゃ」は、あたりまえの事だったので、あたりまえに言いたかっただけだったが、英語圏の人にとったら、かなりキツいのだと言うコトが後でわかった。

それくらい、言葉と思考回路は密接で、そんな思考回路に慣れ、さらなるヨガ的訓練も重なり、日本へ帰った時はビックリするのである。

「あの人はうちの駐車場に停めるベキではない!」
「人にやさしくするベキだ」
「挨拶したら、聞こえるような声で返事するベキだ」
「飲み会に参加するベキだ」
「最近の若者は、もっとコミュニケーションをもつベキだ」
「人様に失礼なことをするベキではない!」
「こんな朝早くに電話をかけてくるベキではない!」

全部正論なんだけども、、、

じゃあ、”そうすベキでない”事を「ちゃんと相手に伝えればいいじゃない?」
と言ったら
真っ赤な顔をして怒って
「そんな事、他人に言うベキじゃない!」と言う。
そして
「それくらい、言われなくても自分で気付くベキだ」

いや、わからないバカもいる。
アメリカ人的な考え方をすれば、いっぱい「ベキ」があって、それであなた自身が困っているのに、相手には言わないのって、へんだよね。

私は、わからないバカの種類なので、
「日本ではね、それは非常識って言うんだよ」と言ってもらったらありがたい。
ただ、そこから言われた通りにできるかどうかは別だけれども。

☆ ☆ ☆

「べき」は、理想としては素晴らしいけれど、強制できるものではない。
実は私は、恐ろしいくらいに「べき」ベースで動く人間で、
それで動いていると、すごく疲れる。

だけど「べき」があるほうがヤル気になる反面を持っている事も事実だ。
よくも悪くも、何か課題を課している状態。

自分を少しゆるめる必要があるな、と思うときには、「べき」は一旦まくらもとへおいといて、「〜たい」にするといいと思う。

「〜たい」と「〜べき」って言う音を比べてみても
「〜たい」のほうが、まあるく、やわらかくない?
「〜べき」って、すごく強い音。

意識して使い分けが出来るといいよね。

=====

実は

ご縁あって、メルマガを書かせていただく事になりました。
ページがしっかり出来たら、お知らせさせていただきます。
どうか応援よろしくお願いいたします。

– Masayo

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ベキ主義」への4件のフィードバック

  1. こんにちわ!お元気そうでとっても嬉しいです!ありがとうございました。

    『~べき』で、私もがんじがらめになり、7月で自ら仕事辞めました。
    『~べき』も『~たい』も勿論通じない世界でした。
    『普通』がわからなくなり、そこに答えは無いと思ったら、無謀にも逃げだしたくなり・・逃げました(笑)
    今 就職活動中です;
    『~たい』という気持ちでいることは、私は未熟者なので、なかなか忘れがちになりますですが、『~べきじゃない?!』と血管切れそうな自分もツライです。
    頭をブンブン振りながら、『いやいや、違う違う、ありあり』と気持ち切り替えていますが、使い分け・・でいいんですよね!

    気持ち楽になりました~・*。°∴*・。°

    また時々お邪魔させてください。

    1. 背中を押していただいてありがとうございました。
      とても正直に心の中を見せて下さるコメント、ありがたいです。人は弱い部分は隠したがるものだと思います。こうやって、書いて下さったという事は、もうそれを乗り越えて、強くなられたんだろうな、って思います。
      ありがとう☆ Love,

  2. 確かに日本人が英語を学んだ時にすぐ”must””have to”を使うし、それでいいと思ってましたが微妙なニュアンス、国民性(とは言ってもアメリカはでかすぎて単純にアメリカと日本の違い、と言っていいのかもわかりませんが)で使い分けが必要なんですねぇ・・・まだまだ表現力不足の自分。

    1. いーぐるぱぱ様。
      お元気ですか?コメントありがとうございます。
      言葉が出来た背景に、思考回路とか、こころの動きみたいなものがありますよね。方言でしか言い得ないような感情とか。そういうものをつくづく感じます。気持ちも、使い分けられるといいですよね〜。言葉を変えたら心が変わるかもなあ、って思いました。

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