母と私の関係

母とスカイプをして、色んな話をする。このテクノロジーには大大感謝だ。

今回、ワークショップから帰って来てスカイプした。
「訓練はすんだんか?実際どんな事してるんや?」と聞くので、
「自分の嫌なとことか、ここがひっかかる、いうところを皆の前でさらけ出す訓練」
というと、
「面白そうやな。何やな、それは?」と言うので

「うん。自分が言いたい事も言わんとビビってばっかりおったら身体固まるやん?ストレスって身体にたまると、それが病気になったりするやん。自分がなんでここでひっかかるか、ちゃんと自分の弱さとかアホらしさを認めて行きながら、それを解放していくダンスのセラピー」
だと説明した。

「なんやらわからんけど、あんたによう合うとると思うわ。よう3年も4年も踊りっぱなしで続いとるんやさかい、よっぽどええんやろな」と母。

===

私は小さい時から母にちゃんと反抗させてもらって育って来た。母もそれを受け止めてくれて、互いが互いとぶつかりあって、私は「母の人生」を歩まなかった。母の思った人生を歩まないために、一生懸命反抗した。力一杯反抗をし、母も力一杯私を受け止め、そして、とある時、スっと離してくれる。

まさに
「強く祈ってあとは流れにまかせる」とか
「激しく願ってサレンダー」とか、
いわゆるスピ系の人が言うようなやりかた、はたまた、体育会系な言い方では
「すごく努力や練習して本番では神に任せる」という事を

” 脳ではなく、実践で ” 
やらせてもらってきたことを再認識した。

ははん、私の強さはここにあったんだな。

思えば私は「自分の人生」しか歩んでこなかった。
これはありがたい事だし、強い事だ。
何があっても、私は自分のしたいように、してきた。

そのために、母という懐を借りて、あがいてあがいて、脱走した。本当に家出を何度もした。その度に50ccのバイクで母は追い掛けてきた。真剣勝負だった。きっちりと健全にバトルしてきた。

その結果が今の私だ。

たとえばエサレンなんかでは、母にうまく反抗してくる事が出来ず、母の人生を歩いて来て、30半ばで自分がどうしていいかわからない、何のために生きているのかわからない、と泣く人も多く見て来た。

私の母は、私が自分の人生を歩むために練習台の障害物になってくれた。決してYesだけではなく、「No!」をもって私にその「No!」の壁を超える力をちゃんとつけさせてくれた。
ゴムが遠くへ飛ぶ為には、反発力をつけなくてはいけない事を本能が知っている人。

そんな話を、今、母と出来るって、最高に楽しい。

「いやわ、今になってそんな事言うてからに。しかし、あんたの事はよう怒ったわ〜。あんた、言うとくけど、怒るほうも疲れるんやで〜ホンマに」と。

そして、私が今後する事を話すと、母はこう言った。

「少しは世間様に奉仕で返すような事しなよ。今までいろんな人に世話になってきてるから、少しでも役にたてる事をしなよ。老人ホームでも被災地でも行って、そのダンス教えたらええがな。そうでもさせてもらわんと、あんたが貰うとる幸せの貯金減るで。ちゃんと使いなよ」と。

私は本当にこの母の娘である事を嬉しく思う。

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母と私の関係」への2件のフィードバック

  1. 雅代さんの今は母なくしては語れない!だね。素敵なお母さん。
    うちの母もそうだった~。この文章を読んでて亡き母との日々が蘇り、
    何だか最近詰まってたものがふと落ちたよ~ありがとう!雅代ちゃんのおかーちゃん♪

    1. 直子ちゃん。コメントありがとう!
      私達の時代は恵まれてるよね、こういう母たちがいてくれて。
      感謝で胸がいっぱいになるよねー。
      直子ちゃんのおかあさんにも、ありがとう☆

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