スペイン語放送のテレビ

私が5リズムをきちんと教える!と決め、自分にコミットした日の数日後、知らない人から一本の電話を受け取った。

「私、あなたのフライヤーを持ってるの。あなたは5リズムを教えるのでしょう?あなたのクラスをリアリティーショーで取材させてくれないかしら?」

ひょえ、何ですと?
何故ワタシが?

そのリアリティーショーとは、ビバリーヒルズに住むラテン系の奥様たちが、様々な習い事にチャレンジする、というものだった。

私はまだ新米の先生なので、いい先生紹介しましょうか?
と言ったら、プロデューサーのキャロルさんは
「いいのいいの、どうせやる側も素人なんだから、あなたでいいの。それに英語が達者な必要もないの。私たちはスパニッシュTVで、スタッフもメキシカンばかり。全米ネットワークだけど、見る人は皆ラティーノで英語が話せない人対象なんだから。逆に難しい英語じゃなくて助かる」

ほう、、、

一度は、そのままシカトした。

したら一週間後、また電話がなって、
「決心した?」と。

いや、5リズムのヘッドクオーター(本部)に聞いてみないとワカラナイ、と言ってみた。それは婉曲的に「手続き面倒くさいよ、それでも撮影したいの?」と意味して言ったつもりだった。

そしたら「是非、聞いて了承をとってくれ」と言うので、ヘッドクオーターに一応メールをした。断られるだろうと思ったら、諸アドバイスをもらい、それらをTVサイドが全て了承する事で合意し、撮影となった。

ようは、トントンと進んでしまったのだ。
断る理由がないとき、それはゴーのサインなのだ。私のポリシー。

===

撮影日。

自分が写される側としての撮影現場なんて、数十年ぶり。
ちょっとだけ血が騒いだ。
そうか、キライじゃないんだ。

すんなり事が進んだワケではなかった。
「音楽が使えない」
5リズム的には最大のピンチ。
権利の問題で、音楽を使うと、えらい金額がかかるのでNG。
音楽ナシのままする事になった。
ちょっとドキドキした。
 
出来るか?

こういう時は初心に戻る。

 私は何を伝えたいのだ?
 人間の持つミラクルを伝えたいのだ。
 それが伝わったら、それでいいのだ。

よし、出来る。出来る。
自分に言い聞かせる。

案の定、ディレクターはおもしろおかしくするために、彼女たちにちょっとだけヤラセでゴネさせてもいいか?と聞いて来た。
私の答えはノー。
リスペクトを払わないのであれば、撮影には応じたくない、と。

それでも実際の撮影の時には、おもしろおかしくする指事が出されたようで(こういうところ、テレビの人って無理矢理やる傾向にある)ちょっとだけ突っ込んだりして来たので、カメラが回っている中、クラスを止めてこう言った。

「リスペクトをして。リスペクトとは、講師である私のためにするのではない。このクラスを真摯に受けるという事は、技術を身につける事ではなく、あなた自身と向かい合う、すなわちあなた自身のためなのだから、自分自身に尊敬と敬意を払うべきだ」

それから出演者だけでなく、スタッフも顔つきがかわり、とても率直に全てを受けてくれるようになった。
そして、30分だけだったけれども、一生懸命 踊ってくれた。

最後は、5人の出演者のうち、3人が泣いた。

収録の最後に、皆が日本語でthank you はなんていうの?と聞いた。
ありがとうだよ、と教えると 全員が「アリガトウ」と言って別れた。

ほっ。。。

現場のスタイリストさんが
「皆、気に入ったみたいよ。終わってすぐわかるもん」
と、教えてくれた。

===

終わってから、この役割が自分で充分だったのかとか、色々思った。
全世界のエライ先生達がもし、ソレを見たらどうしよう?とか。。。
新米の講師マサヨは全然なってないとか、、、
レベル達してないとか、、、

実際、ちょっと怖かった。後になってから震えた。
私は今の自分のままのベストを尽くしたから、それでいいのだ。
それで何か言われる必要があれば、それは私の受けるべき勉強。

とにかく、収録では、出来る限りの事はした。
だから、それでいいのだ。

放映は5月との事。もう放映したのかな?
しかし、メークアップすりゃよかったよ。
全米のスパニッシュTV De すっぴん。

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歯とセルフ・ラブ

ここのところ、ケアしなくちゃいけない事が立て続けに起きた。
10年モノのグリーンカードの更新でカードがなくなるとか、車のタイヤを交換するとか、シャワーのノズルを直すとか、そういった、直す、ケアする事のオンパレード。

歯もそのひとつ。

去年の暮れに、長年の歯のカブセモノがとれて放っておいたら痛くなり、ついに歯医者さんへいった。日本でも放っておきがちだが、アメリカは治療費が高いので、歯医者さんは敷居が高い。

日本の様に1人の歯医者さんが何もかも全部するのではなく、アメリカでは歯医者でさえ専門分野に別れるため、「一般診察」「根っこの治療」「歯を抜く」は別々な治療院であることが一般的に多い。

1)ジュリアン先生

ジュリアンというドクターは若いアジアン・アメリカン。若い頃の風間トオルみたいで、うそみたいに醤油系のイケメンで、サンタモニカに立派なオフィスを構えている。他の歯医者さんに比べると良心的とうちの主人は言うが、それでもクソ高い。

その上、

「僕は歯は抜かないし、根っこの治療もしない。最初のコンサルタントと最後の仕上げだけです。もし僕が全部やっちゃうと、一日に3人しか診られない。だけど、歯を抜く専門の先生は一日に20人の歯を抜く。歯を抜くだけだとしたらどちらが上手いか、すぐにわかりますよね?」

という説明も、納得なのだけど、微妙な感じ。
でもハンサムだから、ま、許すか。

だいたい、全部を終わらせるといくらかかるのかと聞いたら、
根っこの治療 $1400(14万)
その隣を抜く $5〜600(5〜6万)
カブセものをする $3000〜(30万〜)

日本がいかに恵まれているか、と思うが、在住歴の長い友人に言わせると「比べモンにならないくらいアメリカの歯医者さんの技術はスゴい」との事。

ジュリアン先生はこう言った。

「歯はね、確かに高い。でもね、なぜおすすめするかというと、セルフ・ラブなんです。自分をきちんとケアする、自分にきっちりお金(技術のしっかりした、の意味での)と時間をかける。一生付き合う物ですからね、僕はただの歯の治療、って言うふうに考えているわけではない。その人に一番いい方法で一番いいものを提供したい。僕はあなたに処方箋を書きますし、相談にも乗ります。そして、抜歯のドクターと、根っこの治療のドクターもご紹介します。でも、どちらからも何ももらっているわけではない。そしてあなたがその後私のところへ戻って来ても来なくても構わない。ただ、皆さんにご自分の事を愛してほしい。だから最善を尽くしています。予算が少なかったら、一緒に一番いい方法を考えましょう」

もはや、言っている事がスピリチャルにさえ聞こえ、なるほど、このあたりがうちの主人が絶対にこの先生に見てもらえといった所以なのだな、と思った。

===

2)ラルフ先生

それから数週間。
紹介されたラルフ先生のところで、私は1400ドルかけて根っこの治療をした。その次にはその隣の歯を抜かなくてはならない。

ところが根っこの治療が終わったら、のど元すぎれば熱さ忘れる、で、そのまま、抜くべき歯を4ヶ月放っておいた。
最近、ソコが腫れてきて、左右対称でなくなってきた。

ヤバい。日本へ行って顔ヨガやるのに。。。シャレにならん。

で、ついに、残っていた歯を抜歯しに行った。

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3) リチャード先生

リチャード先生のオフィスにて1時間待たされた。
待っている間に本が一冊読み終わりそうだった。
先生は、ごめんごめん、といいながら私の歯茎に「じゃあ痺れるジェルを塗るからね。これで麻酔も痛くないからね」と言い、局部麻酔を打った。

「ワタシ、痛いのイヤなんです」
「誰も好きな人はいないよねー」と先生
「いや、そういう趣味の人もたまにはいると思いますが。。。」
「ま、ありますけどね」と笑いながら先生。

その後、今のうちに必要ならトイレへ行っておいて、と言われた。
ふえ〜〜、長丁場になりそうな予感。

トイレへ行って帰ってくると、手術室(施術室)へ案内された。
アシスタントの説明が終わるとリチャード先生がやってきて、口の中につっかえ棒をカマされた。

「はい、もう少し麻酔打つからね、大丈夫だからね」
「いっ!あ〜う〜〜〜あ〜〜〜〜」とハミングにして気を紛らわせる。
  大体、麻酔の針が一番痛いんだ。そんなところにも打つんだー。へーー。
「はい、もうちょっと打つよ、はい、口あいて」
  ああ、一度麻酔の後にうがいをしてから抜くんだな、と思ったら

「はい、終わり。もう抜けた
 it’s finish. you are all set! (終わったよ)」

私は 思わず「わぁ〜〜!あなたは天才よ!」と言ったら
先生はピースしながら、蝶のように舞ながら手術室を出て次の患者のところへ飛んで行った。

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なるほど、ジュリアン先生が1日20人抜いてたらウマいと言うのはこの事か。
アメリカのスペシャリストの腕を思い知らされたのであった。

祭壇を創るアレッサンドロのモノローグ

エサレンでの、ルシア・ホランによる5リズムの一週間ワークショップの通訳が終わって、今一息ついているところ。

通訳の私以外にも、アシスタントとして、チェルシー、マリア、アレッサンドロがワークに参加。
アシスタントをしながら一緒に動いて踊るというのは、大変だけど、とてもいい経験。

クラスはもちろん、大感動なのだが、6日目の最後の朝の、ワークショップの終わりのシェアリング。
一番最後にシェアをした、同じ先生仲間のアレッサンドロの言葉にとても感動した。
アレッサンドロはオルター(祭壇)担当だった。

5リズムでは、宗教はないが、オルター(祭壇)を創るのが習わしとなっている。
1960年代、創始者ガブリエルロスへの敬意として、マーサがはじめた花一輪から始まったのだそうだ。
それはテーマを表す為でもあり、空間を安全に保つためでもあり、オルターが1つの皆のコミットメント(宣誓)でもある、とするからだ。

アレッサンドロは今回のテーマ「ハートビート」のとおり、ハートをモチーフにしたアートを創った。

1日目は、シンプルな赤い「ハート」
2日目は、花が咲いてるのに外に出られない「縄で縛られたハート」
3日目は、鉄のトビラをドラゴンがぶち破った「怒ったハート」
4日目は、クギが打たれた水色の「悲しいハート」
5日目は、白い羽がいっぱい生えた「喜びのハート」
6日目は、ベールがとられた「本当のハート」

美しく、そして時間がかかるであろうアートだった。
時には溶接を使ったり、鉄を切ったり、羽を接着剤で張ったり、時には生の花を使ったり。
一体、いつ、何時間これに費やしてくれたんだろう?
時々花畑で見かけた風景で、ゴツいアレッサンドロが自分で一本づつ、畑から花を選んでいる姿は微笑ましかった。

さて、終わりのシェアリングの最後を飾るアレッサンドロの言葉は、
映像的で、ショートムービーにしたいような、そんなセリフ達で、
書き留めずにはいられなかったので、ここに残す事にする。

===
===

俺は毎晩、全員のダンスが終わった後、真夜中にここへ来て、
1人でこのダンスフロアの真ん中に立って考えるんだ。
明日このモチーフをどのように変化させようかな、って。
どうしたら、皆がこれを見て喜んでくれるだろうか?
どうしたら、心を、より響かせてくれるだろうか?って。

そして、おもしろい事に気づいたんだ。
真夜中に1人で立っているのに、不思議とみんなが側にいる感じがするんだ。
一人一人、全員の顔が浮かぶんだ。
この人の笑顔、この人の泣いた顔、この人の困った顔、落ち込んだ顔、喜んだ顔、
そして、皆が俺の側で踊ってるんだ。
喜びのダンス。悲しみのダンス。強いダンス。弱いダンス。

今ここで、あの女の子が踊っているのが見える、
今ここで、あのジイさんが踊っているのが見える、
それぞれが皆、自分の人生の喜びとか悲しみとかを背負いながら
ここで踊ってるんだ。

びっくりして周りを見回してみる。
実際には誰もいないんだけど、どう考えても、皆が一緒にいるんだ。

そして、ああそっか、繋がってるんだ。
俺は一人じゃないんだ!って、嬉しくなったんだ。
そうか。そういう事だったのか。。。
って。

そして新しい祭壇に作り替えるんだ。

「俺が祭壇を創っているのではない」

いわば

「俺はただの『管』なんだ」

この祭壇は皆の祭壇で、
俺という腕を使って作り替えられるだけで、
本当はみんなのエネルギーが、みんなのエッセンスが
俺の腕を通して祭壇を作り替えている

そんな事を体験させてもらっている。

それはとても幸せな、不思議な、満たされた気持ちなんだ。

そして、そんな暖かい気持ちで、
毎晩、祭壇を作り替えたんだ。

皆は一つに繋がってるんだな、って本当に肌で教えてもらった。
大変だったけど、最高の事を学ばせてもらったよ。

この祭壇は、皆なんだ。
皆そのものなんだ。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。。。

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とてもあたたかな言葉だった。
アレッサンドロの言葉。

「悩み」とは分離感から始まる。
そして優しさに触れたとき、人は本来の繋がりを思い出すのだろう。
アレッサンドロの話はまさに「繋がり」「ワンネス」の体験。
その優しさと、繋がりに、
涙が止まらなかった。

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