「足りるを知る」が無理な人

先日、5リズムのジョー先生に強く勧められて、
「Wow!」というワークショップを受けた。
受ける前に内容を聞いても、踊らないことはわかったけど、
「なんていったらいいのかしら、とにかくワオ!なのよ」
としかジョー先生は言わない。

私はイライラしていた。

知ることができないのは私には「なんなんだよ!教えろよ!」的にストレス。
したがって、体験するしかない。

5リズムの生徒さんもたくさん来ていた。
先生のローラが言った。

「ワオのプロセスを始める前に、まず、自分をしっかりと把握しましょう。
ここへ来た目的も含めて、
自分が乗り越えたいこと、自分の問題点、なんでもいい。
自分の現在を ”A地点” とし、
それが解決されたところを ”B地点” と設置します。
その A と B を書いてください」
と。

人生の問題点というべき困ったこともなかったので、
ここへ来た目的を入れて、
とりあえずAには「知りたいのにまだ知ることができてない」と書き、
B地点では「私は知ることが出来た」と書いた。

ローラがそれぞれの生徒のところへ来て、チェックをしている。

私のところへ来たので、
私は自分のA地点を彼女に告げた。

すると

「うーん、ちょっとまって。これはもう少し掘り下げましょう。
知りたいのにまだ知ることができてないというのは、どういう”感覚”?」

と聞かれた。

「えっと、、、満足してない、って感覚、かな(unsatisfied, unsatisfaction)。
あ!わかった!ということは、A地点が 『満足してない』で、
B地点が、『満足した』 になるんじゃないですか?」

するとローラは

「えっと。。。
満足、というのは、ちょっと特殊に考えたほうがいいのね。
そもそも、満足しない、というあなたは、”満足しない人”なのよ。
そもそも満足しない人が満足したい、と思うのは無理なのね。
そこに堂々巡りのループ(輪)ができるわけ。
だから、あなたの場合は
『満足できない人であるのに満足したいループにはまっている』
が A地点で、
『そのループから自分を自由にする』
というのがB地点になるのよ」

と言った。

===

解説

← 満足しない(元々の性格)←
↓                 ↑
→  なのに満足したい   →

A地点 私の問題点  永遠のループ

B地点 私のゴール  この無理なループから自由になる

===

これは目がさめた。まさにワオ!!状態。
実はこれが全ての自分のなんだかワカラナイ薄皮のような壁だった。
だから、目から鱗が落ちるような、そんな思いだった。

そういえば、
ヨガでいうところの「足りるを知る」とか、
がんばって目指してるなあ〜〜〜、アタシ。

「悟り」を目指す人のことは
「バッカじゃねえの?生きることがプロセスなのに」
と思ってるくせに
「足りるを知る」は、やっとかないと、みたいな。

無理無理。

だって、”満足しない人” なんだもん。

だからいろんなことやって、いろんなものをもっともっと、と習って
成長をしていくことに生きがいを見つけているのだから。

多分 私が不満足な状況で
「これでヨシ」

などと渋茶をすすったら、それは私ではなくなる。

もちろん、いつかそうなるかもしれない可能性もあるけれど。

これをわかっただけで このワークショップへ来てよかった。

私は 怒りん坊で、ナマケモノで、批判的で、
白より黒が好きで、ダイナミックさが好きで、
掃除が嫌いで、散らかし放題で、一生懸命で、成長し続けたい。
そんなヤツだった。

===

で、このワークショップは。。。

他のみなさんには よかったようだが、
私には、どうも言ってることが抽象的すぎて、
そのニュアンスがイマイチわからず、
ピタっと来なかったので、途中で帰った。
したがって、ワオ!とは何か、わからないママに。。。

それも「今の自分でヨシ!」と自己肯定をしたことの結果。
ごめんよ、ローラ先生。

アカデミー賞の影にこの女性あり

ブラピとか、ハルベリーとか、ビヨンセにはじまり、シルベスタスタローンまで、いわゆるセレブは必ずといっていいほど、彼女のクラスを受けたことがあるのだという女性。そういえば、ハルベリーが「彼女なしで私のオスカーはありえない」と号泣したスピーチは感動的だった。その「彼女」イヴァナ氏。

「見たい!」

その気持ちは岩をも動かし(笑)、ついにアクター以外は普通入れない、しかも同じアクターでもマスターコースとよばれる上級のクラスを見せてもらえることになった。

まず、役者さんたちがシーンを演ずる。
それにたいしてイヴァナ氏が「指示」を出す。
そして、もう一度、同じシーンを演ずるのだが、、、

これが同じものかというくらい変わる。

38倍良くなる。タマげた。

イヴァナ氏はダメ出しをするわけではない。ただ、アクターたちに設定を指示するのだ。こころの設定、感情の設定、それを役者の実生活と結びつけさせ、そこにアンカーをおいてあげるのだ。

また、とても優秀な役者さんがモノローグをした。コメディだったので、ひっくり返るくらい笑って、こんな完璧な演技には、何も直しなどないだろうと思ったら「あなた、侮辱されたことある?侮辱された時の気持ちを持ったまま、もう一度同じようにやってみて」と言った。

そしたら、みている側は笑うだけでなく、涙がツーっと頬を落ちるような、そこにいる役者さんの人生が見えるキャラクター作りに変わって、印象がググっと変わったのだった。

私は5リズムというソーマティック(体を使った)ムーブメントをしているから、体からウソがわかる。第一回目にアクターたちが演じたシーンだと、たとえ演技は怒っていても、体が怒ってないとか、そういうウソがわかる。

それをどうやってイヴァナ氏はなおすんだろう?と思ったら、そんなモノ、彼女は直さずに、「こころ」の設定を直すのだ。すると、結果としてカラダはついてくる。ココロにウソがなくなると、カラダにウソがなくなるのだ。

役者さんに人生を背負わせるから、とたんに人間味が出て、演技ではなく、一人の人物としてリアルになるのだ。それを見る私たちは、感情移入をしやすくなるのだ。

しかし、その指示を出すイヴァナ氏を見ていると、彼女は演出家とかそういったものである以前に

”シャーマンだ”

いやーー、すごいモノを見せていただいた。

ハルベリーしかり、彼女をメンターとする人がたくさんいるのがわかる。
私も女優だったとしたら「この人がメンター」というと思う。
女優じゃなくても、この人は私が勝手に思う密かなる自分のメンター。

しかし、彼女と一緒に仕事をした人たちは、皆、とてもスピリチャルだと思う。

UFOやエンジェル、聞こえる、見える、とか関係のない、「本当の意味での」スピリチャルね。

改めてアクターという仕事に敬意を評する。

5リズムとも考え方がとても近いと思う。
こころを再現するお仕事。
カラダがウソをつかないお仕事。
自分の人生を役に(踊りに)入れるお仕事。

アクターもダンサーも、本来は技術ではなく「インナーワーク」である。
そこをわかっていないパフォーマンスは、「仮面(マスク)」の域を出ない。

「アクターとは心のアスリートである」 by ガブリエルロス 5リズム創始者

 

日本語版 イヴァナ氏の著書 白石哲也 訳  役者の方は是非読んでみて!

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(日本人でチャバック式演技術のティーチャーズトレイニングを受けた先生がいらっしゃいます。白石さんご本人と、トリさん、もうお一人はなんと桐朋学園演劇科の私の後輩でした!)

 

「また会いましょう」

ゴミを捨てようと思った時に
チラっとみたら文字が書いてあった。

ああ!物をお貸しした袋だった!
あの女の子からメッセージだったんだな、と。

読んでみたら
「また会いましょう」と書いてあった。

うーーーん。。。

 ***

私は昭和なので、言葉遣いの揚げ足をとる。
それくらいさせてもらっていいくらい年をとっている。

悪気がないのはわかっている。
自分が年上なのをタテにとるつもりもないが、
友人に連れられて、うちへプール入りに来て、ごはん食べさせて、
その年下の人から「また会いましょう」と言われたら
「いや、会うか会わないかは、私が決める」と答えたい。

まあ、関係が完全にイーブンな場合の
「また会おうね!」は別として

「また会いましょう」と言われて私が嬉しく思うのは
私が心底惚れた人たちのみ。

そして、私が自分から「また会いたい」と思うような、
そういう人たちはみなさん、年下でも年上でも
「また、会いたい!」
「また、会いに来てもいい?」
と言ってくださる。

誰も
「また会いましょう」
とは言わない。

わかるかな?このニュアンスの違い。

===
「また会いたい」(自分は希望を述べ、権限を相手に委ねる)
「また会いましょう」(権限は自分が持っている)
===

オノヨーコさんとか瀬戸内寂聴さんに
(実際にはお目にかかったことありませんが)
「また会いましょう」と言われたら
はいはい、もちろんです!光栄です!
お忙しいのにお時間を作っていただいて感謝です!
と思うけど

年下の、私が世話になってもいない方に
「また会いましょう」と言われると
屁が出そうになるんだな。

これはもう、知性なんだな。

言葉は大切に扱って欲しい。
海外に住んでるから、とか、
若くて世代が違うから、とか、
そういうものではなく、、、

アホ、バレるぞ。

  この場合のアホとは、
  頭だけじゃなく、心も。

「またお会いしましょう」
というセンスの人とは、
不思議だけど
私の友達に残らず、
そのまま消えちゃうんだなあ。

シンディの皺 

ずっと写真を撮らせていただいていると、大概45を過ぎたあたりから、女性は「シワ、フォトショップで飛ばしてください」と軽々しく(はい、ほんと、実に軽々しく)いう。
最近はアプリもいっぱいあるから、そりゃ簡単にiPhoneで撮ったものはシワ修正もできる。

が、大きな画素数で撮った写真となると、フォトレタッチは、思ったより「手作業」であり、時間もかかる。
ヘタなレタッチはフォトグラファーとしてはするべきことではないし、ビミョーなところをやろうとすると、けっこう時間がかかる。
本当は、シワも歴史なんだけどなあ、と思いながら、自分だってシワがないほうが若く見えると思っているフシもあるので、ちっ、しょうがねえな、と思いながらいくつかレタッチをし、シワを飛ばした写真をお見せすると、皆さん、喜んでくださる。

さて2015年のクリスマスの話。
シンディという女性から撮影の依頼があった。

彼女は5リズムをやっている人。
1年ちょっとの大腸ガンの治療(放射線と抗がん剤)を終え、ようやく髪が生えてきた。この間も、5リズムの仲間達に自分の丸坊主の写真などを送り、随時勇敢に生き様を見せてきたような強い魂の人。

そして、この大変なガン治療の時期を一緒に乗り越え、サポートしてくれたご主人へ、髪が生えてきた写真をフレームに入れて送りたいのだ、という。
彼の一番お気に入りのドレスで。

一番忙しい時期だったが、これは私も絶対に撮りたい。
私も絶対にそのプレゼントの一部になりたい、と心から願い、写真を撮らせていただいた。

彼女は最初から「白黒で」「ドラマチックに」と頼んできた。

「いいよ、でもドラマチックなライティングにすると、シワめだつけど」
と言ったら

「いいわ。ぜんぜんかまわない」

撮った写真を見て一緒に選びながら
「レタッチする?普通40過ぎると、大概ひとボカシ入れるんだけど」
と聞いた。

するとシンディは笑いながらキッパリとこう言った。

「いいえ。シワは私の一部。ほうれい線も、眉の間のイレブンも(11の縦じわができることからイレブン、というらしい)全部、私。今更隠すことなどなにもないわ。私はすべて受け入れる。私はこれをとても愛おしく綺麗だと思う」

すげえな。

だからこの強さが出るんだな、と
写真を見ながら思った。

皆さんも、ちょっとだけ、シワを愛してみてはどうかな。

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