光と闇、もっと大きな視点で

愛と光だけがえらいだなんて誰が決めたのだろう?

愛や光は白で、闇は黒。

黒は全てを包括した、最も気高い色だと思う。
だが、人がつくりあげたイメージとは
「善人=白」「悪人=黒」だったりしてね、

黒に申し訳なく思ってほしいと思う。
学ランとか、黒じゃんね?
白がそんなにいいならなんで学ラン変えないの?

「光讃歌」にはいい加減、飽きている。

闇を葬ってはいけない。
闇は光を包括する大きな宇宙なのだ。

なーんて事ね、ずっと思ってたし、ずっと書いてた。

いろんなレベルがあり
いろんな視点があり、
いろんな角度がある、、、

そのレベルや視点や切り口によって、「光が素晴らしい」はとても正しいと思うし
少なくとも人殺しを推奨しているわけではないが、それは敢えて「光が作る影」なのかもしれない。

もし、
全部光だったら、メクラになるだろう。
全部光ってたら、光ってること、分からないだろう。

もうちょっと大きな視点で見てみたら、
闇は宇宙となり、
光はその中に点在する星と成る。

私は星を包括する、宇宙でありたい。

3DのCGをやった事のある人ならわかると思うが、
いわば、闇はグローバル座標の視点。
光はとてもローカル座標の視点。

光になるというのは、日常的、ローカル座標的にはとても正しい(物事に正負はないが)。
けれど、その光は、闇の中で初めて輝く。
だから、闇とは、光を存在させるための大きな器なのだ。

ガブリエル・ロス(5リズム創始者)も

「闇とは、光の子宮である」
と言った。

星も、暗い空がなくては光れない。

〜〜〜

「私に闇がない」という人もいる。

そんなヤツぁいねえ。
マザーテレサにだって闇はある。
なかったら生きている意味がない。(マザーは故人だけども)

 

暗闇のパワーは自分のパワーだ。
その中で光を輝かせたければ、まず闇を真摯に認めること。
そして、グローバルな(闇は光を包括する)視点に変えること。
宇宙的ゲシュタルトよ、これ。

「愛と光」を唱えただけでごまかせるほど、宇宙(世間と言い換えてもヨシ)は甘くないよ。
ソレを認めて初めて「弱み」は「強み」になるのだ。

私はそう思う。

これはスピリチャルでもなんでもなく、
単なる物理である。

〜〜〜

自分内の「闇」が正しく大きくなると、
それ自体が振動を始め、
それは素晴らしくエクスタティックで、
無限の宇宙そのものを感じるようになる。

そして、それは、
光が点在する、限りなく「暗く深い闇」なのだ。

その闇を、宇宙を、感じてみて。

闇の持つ、黒の持つ、

深さを

う〜んと

感じてみて。

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