魂に性別も境界もない

なんだかここのところ、性別、ゲイネタが多いが、
まあ、住んでいるところがウエストハリウッド。
土地柄ってコトで。

最初はこの街を通る時は興味本位で見ていた。
ところがこの街の中に入ってしまうと、とてつもなく優しく、
魂の故郷のような感じがする夫と私なのであった。

とにかく、夫と私は、過去世では、フランスで一緒に住んでいたホモな画家ペアだったらしいので、私の方が男気が強く、トムの方が少女チックだったりする。

男らしい、女らしいって何よ?っつー話じゃない?
例えば、ネイルだって、私は特別興味があるわけでもないし、
エステだって特別興味があるわけではない。
だけど、興味がある人は性別関わらず興味があるのよね?

ウーバーの運転手のジェフは、4人の子持ちだが
キレイでいたいから、フェイシャルに通ってるんだそうだ。

私の友達のMっちやボビーは、性別としては男性だけれども、
しっかり足のネイルをしているし、
そういう「女らしい、男らしい」というのは、
世間が決めた基準に則ってるだけで、
本来は完全に個人の趣味だと思うわけ。

そもそも、、、(私の考えです)

魂というのは、綿菓子のような、雲のようなもので、
それらを切り分けて 私たちの「カラダ」という小さな器の中に入れられている。
それでもって、そのカラダを使って、三次元での体験をしているのだ。
体を使ってしか体験出来えないことをこの地球で学んでいる。

だけど、魂本体としてみたら分離感が強く「元の場所に帰りたい」

私も小さい頃、あの星へ帰りたいといつも夜空を見上げていた。

面白いことに、私の周りは多くの人が同じように感じている。
実際には実行しないけれども軽い自殺願望だとか
「いつになったら死ねるのかな。それまで頑張るしかないんだな」的なことを考えたことがある人が圧倒的に多い。

だけど、分離されて、このカラダの中、この皮膚の中へ入れられちゃった。
だから寂しくなったり、一人だと感じたりする。

だけども、恋をしたり、友達同士でも共通の体験を一緒にしたりすると魂が互いに触れ合うわけで、二つの魂がひとつに溶けあうわけ。
その瞬間、分離感は消え、融合感が増し、とてつもない「シアワセ」を感じるわけ。

人間の最も大きな悩みは「分離感」であると思う。
これが皆一つなんだ、と「体感すれば」、
すなわち「体が理解すれば」あまり寂しいことはなくなるんだ。

「女」「男」という役割や
「大人」「子供」、「先生」「生徒」をはじめとし、
いろんな役割を演じつつ、本来の自分探しをし、
結局のところ、どんな職業、どんな役割であれ、
今を一生懸命生きることしかないんだ、という結論に達したりするんだと思うの。

もともと、魂そのものには役割や性別なんてない。
カラダという役割が「これに向いている」キャラクターを作っているだけ。

大きな体の男性は小さな体の女性よりも「重いものを運ぶのがうまい」
というキャラクターなだけで、
決して大きな体の男性が小さな体の女性より「強い」ワケじゃない。

極端な話、通常の男女の場合、
チンチンがついてるから突っ込む側に回るだけで、
ソレだって本当はどうだっていい話なのだ。

5リズムのカオスで限界を超えて踊れた時、そのあとのリリカルやスティルネスでは完全に魂がカラダという枠から離れ、魂が自由になる。
そんな時は至福であり、みんなの魂が、カラダ、皮膚という境界を飛び出し、スタジオの中で融合しているように感じる。
すなわち、元いた世界(かなりアヤシイですね 笑)に近い状態になり、
この男性も、この女性も、みんなみんな、とても愛おしくなり、
ああ、これがワンネスってヤツなのか、って思う。

その魂には、性別なんて全くない。

そんな話が話題となる昨今の私の周りなのでした。

そんな私の日常って、すごいシアワセ。

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