助けてもらう事の必要性

泣きそうなくらい ありがとう、なんだ。

トパンガで5リズムの夏のクラスをやるにあたって
ケイト(師匠)が私に言ったこと
すごく固執して心配してくれたこと

それは、「チーム(クルー、スタッフ)がちゃんとしてるか?」
ということだった。
「クルーを持ちなさい。ちゃんと助けてもらわなくちゃダメよ!」と。

私は自分一人でもできるもん
別に誰も手伝ってくれなかったら、こういう風にする、
という代替え案は持っていた。
だから、ケイトのいうことをそんなに大切に聴いていなかった。

先週のクラスの後、
ボランティアでソニアがスピーカーを片付けてくれたけど、

その後一人で乾拭きモップとスプレーしてから雑巾掛けをし、
マットを元の場所に戻し、
お金を計算し、
そんなことをしていたら、
クラスが終わったのが夜の9時半すぎなのに、
スタジオを出たのが10時40分を回っていて
家に着いたら11時半だった。

それでなくてもエネルギーを使うのに
体力の消耗は著しく、
最後はもぬけのからのようになって
海岸沿いを運転していた。

ある意味心地いい孤独だったが、
実際、孤独だった。
先生というのは、孤独なものなのだ、と思った。

===

そこで、いつも来るメンバーのシンディに相談した。
彼女はあっという間に私のためにチームを作ってくれた。

毎回はできなくても、
この日と この日はできる、という予定を
皆に一斉に出して募ってくれた。

そして、昨日のクラスでは、
受付をナタリーが
終わってからの掃除をボビーが
クルーとして、手伝ってくれた。

終わった後、
ありがとう〜〜 のハグをして
一夜明けたさっきお礼のメールを出したら、
今、泣きそうなくらいにありがたいんだ。
いや、実際に涙が止まらない。

助けを借りるという必要。
これを学んでいる。

私は助けてもらうことがとても下手だった。
だから、助けて、なんていうのも嫌だった。

が、頭を下げて、やってもらうという事は
それでしか得られないものがある。

だって、助けがあったらもっと広がる。
労力だけの問題ではない。
その人のエネルギーが入るから。
自分だけで、なんて、限られている。

最後のハグだけでどれくらいホっとするか。

ボビーもシンディもナタリーも
「いいんだよ。自分が何か、奉仕の一環として、
 誰かのためになることをコミットしてるんだ」

って、笑いながらやってくれる。

これ、ある意味、アメリカの底力だと思った。

涙出る。。。

こんな風に思ってくれられる彼らの教育や
文化的背景そして
彼らの祖先にも感謝した。

あ!

助けを借りるということは
彼らだけでなく
彼らの祖先にも助けてもらっているということなんだ!!

多くのエネルギーが動く。。。

すごいな。。。

人を助けるだけではなく、
助けてもらうと言う必要性。
ケイトの言った意味がわかった気がした。

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