線じゃなく球

私はイメージでしか言えない。

だけど、物事を球でとらえる。
線じゃない。

線は面倒臭い。
線はかっこいいけど、線は線。

物事は球なのだ。

マンダラ。
マンダラは二次元の平たい絵だが、
本当は3次元の球を切り取った部分を絵にしている。

セドナの、神聖幾何学のAya や
フラワーオブライフの著者、ドランヴァロメルキゼデク氏の
プライベートワークショップを受けた時も

二人とも当たり前のように
マンダラは3次元の「球」だと言っていたのを聞いてホっとし、
自分の感覚を信じててよかった、と思った。

と、「誰々を知っている」系をさりげなさそうに
にエラそうに語るワタシ。
こういうとこがヤよね〜。

という自分のイヤなところカミングアウトはさておき、

結局のところ、球はエネルギーを表し、
線は結果を表している。

いずれにせよ、線であれ球であれ、

本来物事には
「事実」しかない。

例えば、

事故にあった

という事実があるとする。

それは「事故にあった」
という事実があるだけであり

” 事故自体に良い悪いはない ”

ここがポイント。

線で考えると事故を「遅れた」とか「せっかく進んでたのに3歩下がった」
と悪者にする時がある。

球で考えるというのは

私の勝手な球の理論なんだけど
(そういうイメージが自分の中で染み付いてるだけなので科学的根拠は何もナイ)

イメージで言います。

透明なサッカーボールがあって
その中にまた小さい透明なサッカーボールがあって
その中も、その中もロシアのマショーリカみたいにサッカーボールがあって

そのボールを手にとってアッチを見てみると
実は透けて見える場所がいっぱいある。

そのサッカーボールの辺という辺には
透明なゴムが貼られており、
その中をトランポリンみたいに行ったり来たりする。

例えば、事故が起こったとする。

それによってポンと小さなトランポリンから跳ね返され、
サッカーボールないをピンボールみたいに色々動いて
違うところに来たら
違うところで新たな偶然があって
「あらー、事故がなかったらここであなたと会ってなかったわねえ」
というような出会いが数十キロ先のスーパーであったりするわけで。。。

って、わかんねーよなー。

こんな私の脳内説明(笑)

とりあえず、自分のためのメモということで。

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