元の目的は?

リビングから冷蔵庫へ、
例えば「醤油」を取りに行くとする。

冷蔵庫へ着く頃には
はて?なぜ私は冷蔵庫前にいるのだ?
何を取りに来たんだっけ?

ということはありませんか?

「ようこそ、ボケの世代へ」
と誰かが言っていた。

これは
もともとの目的がすり変わり
「冷蔵庫へ行くこと自体」が目的になってしまった例だ。

実は同じように、
日々の中でもこういうことがよくある。

〜 〜 〜

「彼氏が欲しい」から
「痩せたい!」のに

気がつけば
「痩せること」が目的になり、
どう考えたった愛されないような
異様なガンバりかたをしたり
出会いの場へ行くことを惜しんで
もっともっと、とダイエットや自己鍛錬して
チャンスを逃したり。。。

〜 〜 〜

仲良く長生きしたいから「健康になろうと決めた」のに
健康論議で喧嘩をしてしまう老夫婦がいたり

「健康のためなら死ねる!」

的な不思議な考えに陥ったり

〜 〜 〜

幸せになりたいから
この壁を超えたかったのに

「壁を越えること」
「困難を克服すること」
自体が目的にすり替わっていたり。

〜 〜 〜

”1日を有効に使いたい”から
早起きして、
これとこれをしよう、
ルーティンを決めたのに
必死で早く起きて、
ルーティンをすること自体が目的になり
それ「のみ」が日々の日課になり
疲れて他のことがおざなりになったり。。。

〜 〜 〜

すべてそう。

これをやっていたら、
堂々巡りなんだよね。

そして、ヤバいのは、この堂々巡りのプロセスって
案外「生きてる感」があるので
そこにハマりやすい傾向がある。

・・・

時々、もともとの目的を
言い聞かせる必要がある。

なぜやるか?
何のためにやるのか?

それをリマインドすること。

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クリエイトが必要な理由

クリエイティブ、クリエイト、
形容詞と動詞の違いだけなのに、
クリエイティブはアーティスティックな匂いがし
クリエイトはビジネスな匂いがするのは
私の気のせいでしょうか?

アートを創る
音楽を創る
料理を創る
子供を創る 家族を創る コミュニティを創る
野菜を創る 森を創る

さて、
私たちにクリエイト(創造)が必要な理由は 2つ。

1つめは、

私たちは「消費する」社会に生きている。
だから「創る」ことによって、インとアウトのバランスをとる。

働いている時、人や社会のために自分の労力を 出す。
自分のために何か創るというのもインとアウトのバランス。

インとアウトは、状況によって違うので
必ずしも絶対ではなく、相対だ。

   材料を集めて(イン)
   作曲をする (アウト)

   だけど

   曲を創って (イン)
   人前で歌う (アウト)

となる。

  物事を相対てきに見ていくと、
  あっちのインが
  こっちのアウトになるから
  面白いんだけども
  それはややこしいので、また今度。

2つめ。

こっちが大事ね。
クリエイトが必要な2つ目の理由は、

無から何かを生み出すという行為は
創造主/神/宇宙の本質と 同じ行為だから。

 

では、今日もいい1日でありますように!

仮面舞踏会

少年隊じゃないのよ。
ハロウィンなのよ。

ハロウィンは仮装をする。
仮面をつけたり、コスチュームを着たり。

私たちの日常も、実はコレ。

「役割」という仮面をつけている。

「お母さん」だったり
「良い妻」だったり
「いい娘」だったり
「しっかりモノのお父さん」だったり
「えらい社長」だったり
「働き者で愛想のいい受付嬢」だったり。

仮面を自分だと思っている場合がある。
また
家に帰った途端、仮面を外す場合もある。

仮面は、とても便利なモノ。

比喩として言うのだけれど、
全部ハダカになってしまうと、とても勇気のいること。
ハダカになれるというのは、とても強いこと。

私たちにその強さがない時、
私たちはとても便利な仮面をつける。

「爽やかなお兄さん」とか
「すごく優しいおばちゃん」とか
「面倒見のいいおっちゃん」とか。

それらがちょっと仮面を外した時
人は
「あの人、変わった」という。

本当は変わってないと思うよ。

私もいっぱい仮面を持っている。
意識的であろうと、無意識であろうと
便宜上、いろいろと、付け替えている。

だけど

自分が 仮面をつけていると知らないで
その仮面が馴染みすぎた時
それは シビレとなる。
外したくてもなかなか外せなくなってしまう。

そして、そんな頃、
自分を限定し始めてしまうのだ。

「私って、こういう人だから。。。」

〜  〜  〜

さて、あなたはどんな仮面をつけてますか?

思い癖とクローゼットの中

私たちは たくさんの思い込みがあって
たくさんの思考システムからなる自分の常識がある。

生まれた国によっても大きく異なるし、
親からの影響、地域からの影響、育ち方によっても違う。

同じ環境でありながら兄弟姉妹で反応が違うこともある。
受け取り方によって 「思う」「感じる」が違う。

同じ場所(学校など)で同時に複数人が叱られたとしても

「本当だ、自分が悪かった」「自分は悪くない」
「次回から気をつけよう」
「ありがたい助言だ」
「それは違う!」
「しまった。しくじった」
「怒られて悲しい」「怒られて悔しい」
「恥かかされた」
「チッ、うっせーな」
「あ、怒ってる怒ってる!」
「そういう見方もあるんだー」
「これくらいで済んで良かった」
「お腹すいたなあ」
「怒る声、キモっ!」

など、様々な感覚の違いがある。
個人の「思い癖」により、反応が変わる。

そして「思い癖」は、様々な要因の影響で出来上がっている。

それらの思いや、思いからくる感情を流そうと
人は問題に向かい合ったり、クリアリングをしたり、
5リズムなどのダンスをしたり。

ああ、一枚脱げた!開いた!と喜ぶが
それらは数十年生きてきた
レイヤーの「重ね着」をしているようなもの。
だから、
ゆっくり ほどいて、ほどいて、ほどいて。。。
裸になるまでほどいて。。。

だけど、また新たなレイヤーをまとう。

そのレイヤーは、
なぜか馴染み深いものなのだ。(笑)

・ ・ ・

自分のクローゼットの中と同じ。

断捨離して、捨てても、捨てても、
結局また、似たようなパターンのものを買う。

それには善悪はない。

ただ、それを知ること。
まずは、それを知ること。
自分の嗜好性、癖、趣味、パターンを知ること。

それが自分という変幻自在な洋服を着て
世の中と折合う
賢い生き方の第一歩だ。

だから、踊る。
着たり脱いだりするために、
緩めるために、
私は、踊る。

===

 
エネルギーは波となり、
波はパターン(癖)となり、
パターンはリズムとなる。
人間も然り。
エネルギー、波、パターン、リズム。
それ以上でも、それ以下でもない。

(人生という) ダンス。

ー ガブリエルロス(5リズム創始者)

651250

4年前の10/22に亡くなったガブリエルに合掌。
全身とハートの底から感謝。

シャーマン、ウソつかない

5リズムの、私の師匠。
彼女の方が年は下だけど、私が勝手にメンターだと思っている人。
私を突然、壁から突き落とす、ライオンの父親のような人。
(比喩です。イキナリすごいクラスを代講させたりする)

魂がロック。髪型みたらわかるよね。

そして、彼女はシャーマンだ。
エネルギーを読み、エネルギーを指揮し、
人に何かを植えていく人。

彼女が言うのは

「私はウソつかない。隠すものがない。
 だからあんたたちより強いのよ」

 例えば、
 ワキガだとするでしょう?
 (と、いきなり、たとえがすごいのがケイト)

 隠そうとして、隠そうとして
 いろんな芳香剤をつけて
 ダンスへ来る。

 汗と相まって余計にひどくなる。

 それより
 ”私、肉も食べてないのにワッキーなの”
 って、言っちまったほうがいい」

と。。。

自己開示もこれと同じだけども、
隠さない、開く。
言い訳しない。
ウソつかない。
しっかり感じる。

========

その、ケイトのインタビュー

「身体に存在する」

(意訳)
私たちは 誰もがみんな、「身体を持っている」のに
「身体に繋がってない(身体の中に存在してない)」ということに私は驚くの。

ムーブメント(ここでは5リズムのこと)をやって動くと、
身体にバッチリつながる(身体の中に存在する)からクールなのよ。

私たちは(他のことに夢中で)どこにも繋がってない。
「脳の中にも存在してない」から考えるキャパシティもないし
「ハートにも存在してない」から感じられなくて、思い通りに振る舞えないし
「腹にも存在してない」から直感も信じられないし
「足にも存在してない」から右か左か、今逃げるか飛ぶかの状況かもわからない。

「身体の中に存在してる」ということは
身体全てのポータルの情報が「目を覚ましている」ということ。
イキすぎて覚醒放電ってことじゃなく、
私たちは動物だ!ということ。
もっと環境に敏感に反応していくべきなの。
今日はどんな日なのか、しっかり感じていくこと。

人は自分の身体の中に存在することをすごく恐れている。
私たちが持っているものといえば実は「身体のみ」なのに。
本来全ては体を持って経験することなのに。

身体から逃げるいい例がニューエイジの人たちの「過去世は?」ってヤツ。

そうそう!
ガブリエル(5リズム創始者)が言ったことを思い出すわ。
「もし過去世って概念が大きな冗談だとしたら、恥ずかしいと思わない?」って。

その時 あ、ホントだ!って思ったの。

だって、「今」に存在すればいいだけなんだもの。
「今」以外には 何もわからないことなんだもの。

言い訳をしない。

”体が硬いから、柔らかくなってからヨガに来ます”
”太っててヨガウエアになるの恥ずかしいから、少し痩せたら来ます”

ってヤツがいる。

体を柔らかく自分をメンテナンスするためにヨガをするんじゃないのか?
君らはいったい、何のためにヨガをやるんだ?
体が1日で柔らかくなります、って薬をテレビショッピングで販売したら
君たちは買うのか?
体を柔らかくする意味は何なんだ?

===

10数年前、ブライアンケストのヨガに夢中で通っていた頃
ブライアンが毎日言っていた言葉である。

行きたくない時は
人はいろんな場所から言い訳を探してくる。

行きたくなかったら
「行きたくない」
では、ダメなのかな。

どうして色々な言い訳をするのだろう?

と言いつつ、私もするのね。

で、スケジュールが重なった時などは
正当な理由が見つかったかのごとく
大喜びで
他の時は連絡もせずに行かないくせに
「ごめんなさい、その日は これこれと重なっていて、、、本当は行きたいんだけど」

などというウソをつく。

===

言い訳をしない

という課題を自分に課してみたら
どんな風になるだろう?

行くか、行かないか。

やるか、やらないか。

理由を聞かれた時、
取り繕わない。

たったそれだけのこと。

そして、言い訳をしなくてはいけないような
思わせぶりなこともしない、言わない。
それを「言い訳をしない」に
セットするといいと思う。

日本人には、こっちの方(思わせぶりなことを言う)が
難しいかもね。

そろそろハロウィーン

ハロウィーン、そんな時期だ。

準備してる時は 世の中でいちばん好きな季節。
準備できてない時は 世の中でいちばんウザい季節。

人間なんて勝手なものである。

自分の都合で相手や世の中を 好きになったり 嫌いになったり。
要するに、世の中の現象なんて、自分の心の鏡なだけだ。

で、今、ハロウィーンを好きになろうか、ウザいと思おうか、
その瀬戸際にいる。

数年前はゲイ友達、夫、女友達、みんな集めて
10人でエセきゃりーぱみゅぱみゅになった。
10人だと壮観なので、なんと全米ニュースネットワークのCNNからもインタビューされ
それが全米ニュースで一部流れた。

ちなみにいちばん左が私、その横が夫。

dsc_0009

あ、言っときますが、ウチはウエストハリウッド、
全米でいちばんデカいハロウィーンがある地域。

そりゃもう、数万人以上が集い、ヘリが空を舞い、地域は通行止め、
1000人の美川憲一や小林幸子が揃って行列するような
元旦の靖国神社状態になる。
ただ一つの違いは、全員、バケモノ。

どうしよっかなあ〜〜〜。

どうしよっかなあ〜〜〜。

ハリウッドの、ストリップのお姉さん御用達屋さんへ行って、
衣装を見てから決めよう。。。

プラシーボ(プラセボ)

砂糖菓子を「これ、頭痛に効くから」とあげて、本当に効くことがある。
現に軍隊で薬が足りない時、水を注射の代わりに打って、かなりの確率で痛みが引いたという事実もあるそうだ(Jo Dispenza著 “You Are Placevo”)

プラシーボ/プラセボ Placevo (cのところにアクセント)

プラセボのことは苫米地英人さんの著書にもたくさん出てくる。

イマジネーションのところでも書いたけれど、
だいたい、「痛いの痛いの飛んでけ〜」もプラセボならば
お医者さんさえ、ある人にとってはプラセボ。
だって、お医者さんの顔見たら安心するから。

また、儀式そのものもプラセボだ。
儀式を特別なモノと考える必要などない。
踊りが祈りであるように、
何かを動きに込めて、自分で信じて、そうであるように振る舞い、
自分の内なる神へコミットメントするのが本来の儀式だとすれば
儀式とは、完全なるプラセボ効果を狙ったものである。

よしやるぞ!というアファメーションもある意味プラセボ。
いざとなったらユンケル飲んで頑張る!ユンケルもプラセボ。

薬、マジナイ、儀式、励まし
世の中、すべてプラセボから始まる。

それを疑っていては、何も起こらない。

だから、私はプラセボ効果を100倍利用する。

本当かどうかなんて、論議してる暇があったら、やる。

〜 〜 〜

プラセボの仕組み

脳は、過去と未来、
そして自と他を区別できない。
そして、起こっていることが脳内か脳外かも区別できない。

脳とは、「思うだけで、体に伝達し、その部分に伝わる」

これはアレキサンダーテクニークでもそう教えてもらったが
「ゆるんでいいよ」と「思う」だけで、体は結構緩む。

思う=実際に体内には起こるのだ。
大きな変化ではなくても、実際に起こるのだ。

苫米地さんの本には
臨場感をもって「やった!」という「脳体験」をしたら、
過去と未来がわからない脳は、今のことだと思い込んで
また、それを繰り返す。これが結果的に、
脳の限界点を上げるということであり、
結果的に、臨場感をもったその状態を、後付けで「引き寄せる」

これ、遠回りにプラセボだよね。

別に「引き寄せの法則」などという言い方を使わなくても
ごく当たり前に科学的なこと。

〜 〜 〜

皆さんは
プラセボを上手に使って自分の人生をクリエイトしていきますか?

それとも

それって本当なの?って、本当かどうかを論議する方に時間を使いますか?

嫌い から始める

って、もしかしたら前にも書いたかもしれない。
でも、もう一回書いちゃおう。

世の中には「スキ」がうまく見つけられない人がいる。
それはなんでかな。

・・・

私たちは、人の価値観で生きてきた時間が長いため、
自分自身の感覚が少し痺れてしまっていることがあります。

その「自分自身の」感覚を取り戻すには???

それは、

「嫌いから始める」

「ありえない!」「無理!」とかも含む。

なぜなら、絶対的な「好き」は別として
通常の「好き」は案外あやふやなことも多く、
「嫌い」の方がシャープだから、捕まえやすい。

「何になりたいの?」
と聞かれて
ちゃんと答えられなくても
「じゃあ、何にはなりたくないの?」
と聞かれたら
「おまわりさん」とか「カスタマーサービス」とか
案外ハッキリでてくるはず。

それと似てる。

===

あと、「嫌い」をネガティブだと思って見ないようにし、
「好き」ベースでやってる人には
隠された闇(シャドー)が多いのも経験上の事実。

世の中Light & Shadow, 陰と陽、光と影、黒と白、
すべて2つが両方いっぺんにそこにある。
だから、2元でもないんだな。
両方を含んでいる。

ちなみに余談だが、
どこかのお嬢が一元論を唱えているけれど、
それはただの言葉のアヤ的なものであって、
彼女の言う一元も 私が思う二元同一も、
ポイントは結構同じだったりする。
それらを「そうかーー」って鵜呑みにする必要はナイ。

ちなみに私の「感覚」から言うと、
一元を語る お嬢のその「声」に
私は真実を感じられない。

実際に会ってないからわからないけど
・・・ 気持ち悪いんだな。

ようは、「嫌い」なワケで、私はこの感覚を信じる。

この「嫌い」があるから
自分のフィーリングがはっきりする。

「ああ、嫌いも好きもない」
という白昼夢的感覚を一元、非二元と勘違いするのは危険。
こういう人、案外多いよね。スピリチャルな人とかヒッピーに。
それはご自由にセンズリでもコイていていただきたい。

私のポイントは

シャープな「嫌い」からスタートすると
もっと「好き」が見える。

嫌いも好きも、イメージで言うと「同じ球の中」にあるワケだ。
夜空の中に星があるように、
影の中に光が射すように
光の中に影が映るように

すべては包括されている。
わかりやすくレストラン用語で言えば、「コンボ」なわけだ。

「好き」は、結構上級だと思うので、
とても注意が必要だ。
ウソや上辺になることがあるというトリックにはまることもある。

だけど「嫌い」の方が捕まえやすい。
「嫌い」にはウソがない。

自分の感覚に忠実になると、もっとスキが見えてくる。

だから「嫌い」からスタートする。

それだけ。
 

 

アンダルシアに憧れて

うわぁーーー、なんなんだ!

友人が行っているスペインのFB投稿を見た時に、
調子に乗ってグーグルマップで見てみた。
その中で「アンダルシア」という文字を見ただけで
みょうに郷愁に誘われて、
胸がぐわ〜〜〜っとワシづかみ。

アンダルシアは、数年前に行った。
しかも、ひとり旅。
あの時も、アンダルシアという言葉で
ハートを鷲掴みされた。

アランフェスも別な切なさがあったんだ。
アランフェスは、宮殿のすぐそばの並木道で
「あ!ここ知ってる!」って思った。
小さい頃、油絵でここの絵を描いた。
描いた時は、どこだかわからなかったけど
その場所へ来て、あ!ここだ!と。
不思議なアランフェス体験。

ただ、”アランフェス”という言葉は
私のイメージとは違い
「アラン フェーース」と、
フェが一番高い音で、
フェにアクセントが付き
ちょっと田舎弁のように聞こえ
私の美しいイメージを少しだけ汚した(笑)

それでもちょっぴり甘酸っぱい不思議体験。

〜 〜 〜

さて、
アンダルシア。

すっごい良かったんだ。

一人アンダルシア。

電車の中から空を見ては泣き、
岩を見ては泣き、
コルドバの寺院、メスキータで、
ワケもわからず、声をあげて号泣。
涙がとめどなく溢れた感覚が今、蘇った。

私の愛しい愛しいスペイン。
なんなんだ、この感覚は!!!

行かなきゃ。

絶対に また 行かなきゃ、

そう思う。

 

こんな時は5リズムの友達を探す。



いたっ!!!

イレネとオスカーがアンダルシアにいる!!!

よし、この1年のうちに絶対に訪ねよう!
来年の夏はスペインだっ!

この歌も懐かしい。

でも、歌詞は んんんん。。。

あ!声が違う

5リズムの先生で、
ホッケーの体のメンテをしているコーチでもあり、
ホッケーの人たちにも5リズムをやらせちゃう
カナダの男性の先生、エリックから、
「アレキサンダーテクニークは習っとけ」
と言われていたので、
この夏からon & offで習い始めた。

=========

先生はLA在住の日本人にして、
私と同じ、カラダオタクな逸子さん。

5リズムもアレクサンダーも、共通点がいっぱいあるので
逸子さんもすっかり5リズムファン。
そして、私もすっかりアレクサンダーファン。

今回は座り方、立ち方。

座っている時に私がまっすぐだと思っていた姿勢が
実は少し反っていて、
ほんの少し、
ほんの少し、
前のめりな気分になる座り方が
私にはまっすぐなことがわかった。

その、
ほんの少し、
のさじ加減。

逸子さんがそこへ私をちょっとだけ押して
持って行ってくれた時、

イキナリ
「カラダが管になった」

要するに、「通った」

瞑想とかしてると
「あ、キタ!」とか
「あ、つながった」と思う瞬間があるんだけど
まさにソレにつながった。

自分がちゃんと宇宙の管として存在すると
簡単に繋がれる。

アレキサンダーテクニークで
たった1センチとか 気持ちを前にするだけで
「管になった」

そして

その時に

「あ!」

と声を出してなおさら驚いた。

めっちゃ声が出る!
声が違う!

えええええええ〜〜〜〜〜!!!

だった。

ビックリした、ビックリした。

「これが本来の自分100%か」

と。

それを意識的に自分で持ってこれたら
スゴクない?

そんな私のアレクサンダーの先生、逸子さんが
日本でワークショップをする。

体の意識をエデュケーションする、アレクサンダーテクニーク。

ボディ系のことをやっておられる方は是非!!

===============

1『ストレスに強い自分になる!』
11月5日(土)10:00am-­‐1:00pm
それは無理をすることでも頑張ることでもなく、本来の自分を取り戻すこと。自分を客観的に観察することにより、ストレスの正体を知り、それに対処するツールを手に入れます。

2『無意識の習慣から抜け出そう!』
11月19日(土)10:00am-­-12:00pm
習慣に乗っ取られている自分の身体や思考から、実際に自分を取り戻していくトレーニングをします。様々なゲームを通して、楽しみながら自分を新発見していきます。

料金:11月5日7,000円/11月19日4,500円(両日参加10,000円)
講師:マスダ J.逸子
主催:パトリス・ジュリアンオフィス
協力:渋谷のおうちギャラリー
お申し込み:info@patricejulien.com

講師紹介
マスダ J.逸子
米国アレクサンダー・テクニック協会公認教師。
パトリス・ジュリアン[Art of Life Master] 最初の弟子のひとり。修了後さらに深くよりよい人生のためのツールを求め、1600時間以上の訓練を積み、アメリカ最大のアレクサンダー・テクニック協会であるAmSAT公認教師となる。現在、アメリカ南カリフォルニア在住。生徒には俳優、大学教授、写真家、アナウンサー、ミュージシャン、ダンサー、ビジネスエグゼクティブ、妊婦、子育て中のお母さん…など様々。
ウェブサイト: itsukojmasuda.com