ゆく年くる年

2016年が終わり、2017年がやってくる。

たった1日の違いなのに、
いや、たった1秒、いやそれ以下の違いなのに、
なんだか違う気持ちになる。

また新たに生まれ変わり直す意味も含めて
振り返り、改めて目標を立てるのはいいことのように思う。

たとえ、2016年の元旦に立てた目標をさっきまで忘れていたとしても。。。

というのは、30日の夜、

トムに
「ね?雨の中、キキを乗せて
小汚ねー車を洗車がてらにドライブして
Jo’s Pizza食いに行かね?」
と誘われ(英語でね)

ハラいっぱいで、今日は絶対にもう何も食べない、
と思っていたし、
昨日忘年会続きで食べ過ぎてるから
もう絶対チーズ食べない!って決めた
舌の根も乾かないうちに
「よっしゃ!行ったるで!」

と答えた私。(英語でね)

で、たらふくピザを食べて
爪楊枝が横にあったらシーハーする勢いで満足した時に気づいたのは

2016年度の元旦の時の抱負。



「大食いはしない」



はっ、、、

なんてこと、、、

私ったら、、、

毎年、新年の抱負は
案外真剣に立てたのだ。

大食いはしない、というのが真剣でないと思ったアナタ。
私には深刻なんですよ。

運動をするから確かによく食べる。

2時間踊りっぱなしの5リズムを
週に五回やったらね、
あんまり太りはしないのだけど、
それでもこの12月は4キロ太った。

そんな、見た目のことよりも
「食べる」という最も基本的なことが
8割の満腹感でやめられないということ自体

私が

「中毒しやすい性質を持っている」

ことだと思うのよね。

だから、そういう意味も含めて
「大食いはやめる」って、抱負にしてたのに

一年間、そんな抱負を立てたことも忘れて

今思い出したなんて。。。



ま、いっか! (立ち直りは早い)

=====

ま、冗談はその辺にして(まんざら冗談でもないが)

本当のところ、2016年はすごく頑張ったの。

バディーコーチングのプログラムも受けたし、
やりたいことを明確に現実化させていけたし、

80人、100人のクラスの代講もやったし、特にトランプ当選の後のクラスではとても感謝され、クラス自体感動的で壮観だった。自分が少し育ったのが目に見えてわかったのが嬉しかった。

全てはコミットメントなんだ。

本当に本当に多くの人にサポートしてもらったし
これには感謝しても仕切れないくらいだし

10月11月は、今まで味わったことのない
理由のない悲しさを初めて味わったし
これは私にはとても大きかった。

私は強かったので、人の痛みをわかるという部分に関しては
かけていたように思う。

だけど、この「理由のない悲しさ2ヶ月」で、
少なくとも2週間は鬱状態に入ったおかげで
(結局は意識的に自分から入ったんだが)
心のとある部分が開いて、
人の痛みとか、ありがたみとか、
未だかつてなく、
すごく響くようになった。

これが2016年、一番大きかったかな。

魂のとある部分が完璧に変わったような気がするの。

=====

って、言いながら
2017年の年末に

「生まれて初めて悲しみを、、、」
とか書いてたら、笑うな〜〜。

しょうがない、その時は笑っておこう!

=====

Thank you 2016,

and Hello 2017!!!

UBER

ロサンゼルスはUBER天国。

NYのように地下鉄もタクシーも発達していない超車社会のLAに
新しくできて、便利に使っているのがUBERだ。

UBERは、ネットを使った、いわば白タク。UBERの運転手は、一般人である。

スマホのUBERアプリで拾ってもらう場所を設定すると、
そこへUBERのステッカーを付けた、一般の車が現れる。

例えば、もし私がUBERにドライバー登録したら、
数時間だけでも小銭が稼げるわけだ。

UBERの金額はとても安く、多くの人が軽く使うようになった。
タクシーの半額以下。UBERだけでなく、LIFTというのも競合で出てきた。

そんなわけで、駐車場探しに苦労することもなく、
飲みたい時などに便利。

〜 〜 〜

今日、車が壊れたので修理に出し、時間がかかるというのでUBERを呼んだ。

スマホのアプリに「アンバー」という女性の顔と名前が出てきた。
彼女の車がアプリの地図の上を近づいてきて、
ものの3分くらいで到着した。

車に乗り込み、話し出すのも、
タクシーのドライバーと客ではなく、もっと友達みたいな感覚。

アンバーはブラックの女の子で、すごくかわいくファンキーなドレッドをしていた。

かわいい髪型だね、とか、
どういうところでそれやるの?
というと、
自分でやるの。趣味だから母のもやるのよ、と。

若いアンバーのお母さんと、
私の年が一緒だとわかった。

しかも!過去の「脳出血」まで一緒!
で、お母さんはまだ杖をついていると言う。

だから、私には「5リズムっていうダンスで随分とよくなったよ」
と。

彼女は私が踊っているということに驚き、
ママも踊りなら喜んで行くと思う!
絶対に母と一緒にいくわ!

と。

こんな会話が始まるUBER。

もし、アンバーとお母さんがクラスに現れたら。。。

次のクラスが楽しみだ。

masayodance.com

叱られた、傷ついた、の裏に

とある人が来て、しばらく泣いていた。

彼には一つの行動パターンの特徴がある。

何か注意されると
「怒られた!叱られた!」と思って
その内容ではなく、怒られた事実に心を閉ざしてしまうことだ。

「叱られた」っていうのは相手を尊敬していない。
すごく受動的で自分勝手な考え方だ。
相手が「叱る」という意味や相手の意図や気持ちを考えていない。

例えば、本当に叱られたとする。
叱られた内容にフォーカスすれば、叱られる事の良い点は
・そこを直せば大丈夫、ということがクリアになる。
・自分がアドバイスをもらったことでさらに成長できる。

だけど彼は、叱られたという事で逆ギレし、
アイツなんか、って切ってしまうのだそうだ。

とても子供っぽいけれど、そういう大人はいっぱいいる。

こういう場合、「考え方を手術」したら楽ちん。
 
 
 
だいたい、叱られる、言われる、がキライな人は
二つか三つ、パターンがある。

1)
自分が叱られたり言われたりしないように、
パーフェクトにやりたいと思う人。

そういう人は車で言うところの、
ハンドルに「遊び」がない。
自分の世界、自分の考え方しかなく、
とっても小さいことに気づかない。

だから、何をしても自分の域を超えない。

というところに着目すると、自分、ダサイって思うはず。

叱られることの一番のメリットは
「ああ、そういう考え方もあるんだ!」という
柔軟な姿勢が培われるという事だと思うんだ。

今の時代、「いや、コダワリが」とか
「自分にはプライドがありますんで」などと言って
人の意見に蓋をしてしまうよりは
相手の意図にしなやかに耳を傾けられるような
柔軟な方がカッコいいよね。

2)
大概、叱られた、と思う人は「傷つく」という言葉を使うんだが
叱られる、という文体に現れているように
受動態な人。被害者な人。

受動態で被害者ってコトは、
自分の人生を他人に明け渡していて、
自分で責任を取らないということだ。

そして、傷つく人(被害者)は、
はっきりとであろうとやんわりとであろうと
自分を正当化するために相手を責めている。

自分ばっかり被害者だと思っちゃうの。
暗に相手を責める「逆・加害者」になってるってことに気づいてないのね。

自分の現在がダサい状態である(受動態、被害者、逆加害者)
という認識がナイわけよね。

ここに気づくと早いと思うんだよね〜。
違うかな?
(人によっては違う、という人もいるかも。。。)

===

こういうことを見せてもらって、
相談セッションのようなことをやらせてもらって、

私もこうやって思考をまとめられるから
ありがたいなあって思う。

頑張れ〜!
応援してるから!

我武者羅応援団、感動する理由プラス

昨今、ひょんなことから「我武者羅応援団」っていうののYoutubeを見てしまった。
感動して涙が溢れた。

なぜ感動をするか、考えてみた。

一つ目は存在感。

この存在感は素晴らしい。
存在感や輝きは、
「今ここ」の一瞬を生きることで出る。

赤ちゃんの存在感もおなじ「今ここ」であり、
(赤ちゃんはそれプラスLove & Joyだけど)
それを見た人が心を動かされる。
そこには人の目を気になどせず、目の前のものに全力である。

一瞬一瞬にギリギリまで魂を込めた、
語りとも言える我武者羅応援団の応援は美しく、感動を呼ぶ。
まさに、瞬間の存在感の継続。
瞬間に生きる存在感しか、人を惹きつけることはできない。

二つ目は、
誰にでもある挫折を自己開示しているからだ。
同じ気持ちを共有して、俺も頑張るからお前も頑張れ。
俺もここがゼロ地点だったんだ、というところ。 
 
そこをさらけ出せるというのは、とても無防備であり
それは裏返すと、強さの象徴だ。
 
 
ワタシ、こういう感動したYoutubeとかがあると、
徹底的に見てしまうんだけど、
(りゅうちぇる もかなり見た)
これもかなり見た。

そして、かなり泣いた。

ところが、我武者羅応援団のビデオを見れば見るほどに、
一つ,気付いたことがあった。

面白いことに、どんな人もほとんど感動して泣くんだが、
とある一定のレベルを超えた人は泣かないのね。
 
オリンピック4連覇の女性とか
ボクシングでずっとチャンピオンだった人とか
ヨットで世界を制覇している人とか。

泣かないの。
泣きそうな顔はするんだけど、号泣とかしないのね。

トミーズの雅さんや、他の出演者は号泣しても
ご本人のボクシングのチャンピオンは泣かないの。
その人たちだけが、泣くのが下手なんじゃないと思うの。

間違いなく我武者羅応援団より我武者羅に頑張ってきた人たち。
もしかしたら、 
彼らのレベルには、当たり前のことすぎるのかもしれない。

自分を信じろ、と言われても
「うん、そうだそうだ!それがベースライン!」
くらいなレベルかも。
 
そう考えてもう一度見てみると、
我武者羅応援団を逆に「頑張れ、愛おしい奴❤️」って態度で見てるようにも見える。
我武者羅応援団がガムシャラになるほどに
「うん、うん」って、相槌を打ってる。 
 
そうだよね。
そうなんだよね。
 
そんなんベースラインで、そこ以上やってないと世界の壁に到達なんてしないんだ。
  
感動してボロボロ泣いてる私はまだまだ甘いし、
 
しかも感動しておきながら
「あ、じゃあ、今日はクッキーでも食って休んで、明日からやろう」
的な反応をする私(しかも明日もしないことが多い)は
今、間違いなく世界に通用するレベルの覚悟ができてないし、
自分をごまかしてる。
 
やべ。ワタシ。

すっげーー反省した。
泣いてる場合違うわ。

もっとがんばろ。

2016年、レドンド最後の5リズム

2016年の1月から、フローといっしょに毎週やるようになった
「Moving Meditation South Bay LA」(LAサウズベイでの動く瞑想)

昨日が最後のクラスだった。

最初は毎回違う人が2〜3人だったのが徐々に定着を始め
今は10人くらい、コンスタントに来てくれるクラスになった。
(日本人は1〜2人。あとはアメリカ人)

月謝クラスではない、単発クラスなのに、皆戻ってきてくれる。
私にとってはすごいことで、ありがたいことなのだ。
なぜならば、クラスは私のあり方の、エネルギーの、反映だから。

昨日の「2016年にサヨナラ」なクラス。

いつもより長いストレッチとフローイング。
ここ数ヶ月きてくれるようになったウエスから教えてもらった曲をかけると
彼はイエイ!と手でジェスチャーしながら笑顔で踊った。

「年末、自分のカラダとココロ、大掃除」の後の

リリカルからスティルネスの時に
「戦場のメリークリスマス」の曲をかけた。

皆の顔が変わり、涙が出ている人もいた。
(終わった後、泣きそうになったわ〜、泣いたわ〜、と聞いた)

見ていて感動した。

改めて、音楽の力はすごい。
イメージを増幅させる。
自分がやる、という意図をしっかり持って、
音楽の力を借りる。
イマジネーション(想像力)を膨らませると
そこには自分の世界ができる。

イマジネーションの限界が現実の限界だという言葉があった。
ということは、イマジネーションに限界がなければ
現実は限界なく行けるのだ。
それも実生活に行かす練習。

そして、最後の20分はミラー(鏡)のワーク。
マジメにするつもりが思わぬ展開になり、
最後は10人で 大爆笑。

〜 〜 〜

最後の瞑想からプチトーク・ティーチングでは
こんなお話をさせていただいた。

2017年はどんな年にするか。
自分たちで決めるのだ。

どんな年に「なる」か、ではない。
どんな年に「する」か

今、ここで自分で決めるのだ。
その一瞬一瞬が自分を絶えず変え、
世界を変えるのだ。

その今決めた一瞬の連続が1年を作るし、
皆が互いをさっき練習したミラー(鏡)のように映しあって
楽しい一年になればいい。

そのために、ここで練習するのだ。
この練習を外で生かし、
外の経験をここで洗うのだ。

ここは実生活の比喩なのだ。

皆の顔は、お風呂上りのようにつるんと湯気だっていて、
素晴らしい笑顔で、たくさんの”ありがとう”をもらった。

2016年、このクラスができたことに感謝。

映画 La La Land

クリスマスのパーティーが、ドタキャンになった。
私たちがドタキャンしたのではなく
先方がドタキャンした。

ウチは何も食べ物を用意しておらず、
ポットラックに持っていくつもりのなぜかサーモンポキと
刺身があったので、
クリスマスだというのに、純和食を食べた。

しかもサーモンポキなんか大量に作ったので
人に取りに来てもらったりしながら、
ちょっぴりガッカリのクリスマスを
ガッカリで終わらせないために

夫と二人で突如映画を見にいくことにした。

LA LA LAND

LAのハリウッド映画界&エンターテインメント界が舞台の、
まあ、ミュージカルといえばミュージカル。

ええええええええ〜〜〜〜〜〜っ! 的な。。。

ネタバレになるので、結末は言わないけども、

ええええええええ〜〜〜〜〜!なワケ。

で、
何とも、会場中が泣いちゃうの。

これ、たぶんだけど
舞台がLAであり、
見た映画館がLA(ハリウッド、グローブ)であり、
映画界、エンタメ界に携わる人口が世界中で一番多いと思うので
その人たちの感情移入がハンパないことは想像する。

だけど、

まあ、泣いたわ。

本当にわかるんだよね、
一つ一つのセリフが。
一つ一つの行動が。

皆、一度や二度はあること。

明と暗。
光と影。

なんとも切なく、素晴らしい映画だったの。

しかも、
監督が31歳ってどうよ?

これ、絶対アカデミーで、何かしら取るよ。

キレイのバランス

shan_cropped

子供を2人持って離婚をして、
いかにキレイにいるか。

彼女の写真を撮らせてもらって
改めてその美に対するコダワリに驚く。

当たり前だけど、いいものを着て
自分に投資して

彼女の場合
外側の現実味溢れる「ココイチ勝負」的な感覚と
内側のスピリチャルな感覚が
面白い具合でマッチしている。

自分を振り返るに
私はサボっていて、投げ出しているのでアレなんだけど、

好みからいうと
「見すぼらしいスピリチャル」とか
「清貧」
とか、好きじゃないのね。

かっこよく、生き生きとしているのがいいと思う。
それが本当のスピリチャルな気がする。

そういう意味では
別に派手じゃないけど
スピリチャルな人たちは皆さんキレイ。

彼女もそう。

バランスが取れてる。

スピリチャルだから、エコだから
「髪染めません」とか
「マクロビしかやりません」とか
「絶対タバコすいません」とか
その人の自由だからそれをジャッジする気はないけども
そういう頑なさって、顔とか皮膚に現れちゃう気がするんだよね。

私も含めて日本人にありがちな
そんな「屁の頑張り」みたいなものを

サラっと
「胸?小さくなれば入れればいいじゃない?ハッピーならいいじゃない?」
(確か、キャサリンゼタジョーンズも言ってたきがする)
的な しなやかさをキレイだなあ、と思ったとともに

キレイさに対する喜びとか楽しみみたいなものと共存している彼女を見てて
女性であることを、愛おしいなあ、と思った。

魅惑のKOMBUCHA,紅茶キノコ

すっごい昔に紅茶キノコが流行って、作った覚えがある。

その時は、成功したかどうかも覚えてない。ただ作った記憶だけがあり、飲んだ記憶は一切ない。
多分、アカンわコレ、とか言って捨ててしまったんじゃないかと思う。

さて、ここカリフォルニアでは、
ヒッピーふうな姉さん兄さんが、
Kombucha を飲んでいる。

フツーに昆布茶を想像したが違うものであることは見るからにわかった。

中にはチアシードが入ったものもあり、しばらくしたらこのワケわからないKombuchaってヤツはいわゆる紅茶キノコだということが判明した。

最初にサリーが飲んでた時、一口もらってビビるほど酸っぱかった。
なんじゃコレは!「ドまずい!」と思ったが、
あとくちがいいというか、
食道から胃にかけてのスッキリ感が
なんとなくクセになる感じがして、
激しくダンスを踊った後に
何が飲みたいかな?
と思った時
「あのKombuchaってやつがのみたいな」
と思った。

それは私が思ったというよりも
「体が欲した」
って感覚だった。

Kombuchaという言葉自体は、
酵母茶の韓国語であるとか、いろんな説があるけど、

実はインドネシアで飲まれていて
発祥はロシアだという、
数十年前に日本で紅茶キノコとして流行って、
今はアメリカンヒッピーが夢中な、
何とも無国籍な飲み物となっている。

これを作って父親に飲ませていたらガンが治ったという人が感動して
(もちろん、免疫システムが上がったからであり
コレ自体がガンに効くわけではない)
そのまま大きく作って少しづつ売り始めて
今はスッゲーー儲かってるらしい。

で、私も作ってみた。

それがコチラ

クソ甘く濃い紅茶を作り、室温まで冷ましてそこに
スコビー という菌を入れる。
私はビバリーヒルズのざあます健康食品スーパー Erewhon で買った。

キッチンペーパーで蓋をして、暗い場所で寝かせること2週間。

沈んできたスコビーが浮いてきて、新しいベイビースコビーが上にできて飲めるようになるのが7日〜30日という。私は2週間で飲んでみて十分にKOMBUCHAの味がしたので、取り出してボトルに入れた。

そして、今までのには、新しくクソ甘い紅茶を作り、2回目は倍量のモノを現在製作中。

そのままでももちろん飲めるのだが、面白いのは二次発酵。

一次発酵は単なる紅茶キノコであり、酸っぱい健康食品だが
二次発酵で、できたてのKOMBUCHAに
イチゴを砕いたものを入れたり
ショウガを入れたり
いろいろできるのだ。

特に果物の甘さが、また新しく菌のエサとなり
しゅわしゅわに発酵して
炭酸の飲み物となる。

これにウォッカとかテキーラを入れると
美味しいカクテルになる。

森の中の夢の家

トパンガは世の中で、私の最も好きな場所の一つ。

その理由は、
大都会に近くてナンチャッテなクセにかなり本当に人里離れられる本格的な自然である事。

そのおかげですごいエネルギーである事。

ハイキングコースがいっぱいあって、空気がきれいで、山も海も見える事。
おしゃれなオールドアメリカンなおうちがいっぱいある事。
住む事自体がライフスタイル。
その森の中や、ハイキングした山のてっぺんで、
風と太陽を浴びながらクリスタルと一緒に瞑想していたら
1日なんてあっちゅー間に経ってしまう。

簡単にヨーダになれそう。

そんな場所。

そんな場所で誕生日の前日を過ごした。

森の中の家。

入り口は普通のお家。
だけど、下る斜面に建っているから、下の階へ行けば行くほど
広いこと広いこと!

森が見えるガラス張りのスタジオがあって、
下の階は広い広い業務用のキッチンと大きなダイニングエリア。

外の階段を下りていくと、
結婚式も出来る大きなデッキがあって、
そこはステージになっていて、

さらに下ると右側には大きな芝生エリアがあって、
そこでも結婚式が出来る。

そう、ここはイベント会場として、結婚式などに貸し出している家だが。。。

欲しいっ!!!

こんな家が欲しいっ!!!

ベッドルームがあったかどうかは謎。

だけど、ベッドルームがあってもなくても
ここに住みたい。

ベッドルームがどうしても必要ならこの敷地内にキャンピングカーを入れて、そこで寝泊まりすればいいし、もしくはプレハブを建ててもいい(それくらい広い)

ここでクラスをしたり、写真を撮ったり、料理を作ったり、

ああ、夢の家を見つけた。

この家、
欲しい。
欲しい。
欲しい。

この家を買ったら
リトリートハウスにして、皆に来てもらって、
お金のない辛い人はスタッフで住み込んで働いてもらって(テント暮らしとなる)
皆でお料理を作って、

芝生エリアは半分農園にする。

そして、そこは
アートをやる「森のイスキア」みたいになったらいいなと思う。

https://the1909.squarespace.com/

負の恩恵&ストレスの原因

夫と最近いっぱい話しあう。
彼は胆石があるっぽく、
それはストレスと関係があるらしいから、
目下の話題は「ストレスと向かい合う」

夫に「あなたのストレスの原因は何?」と聞いてみた。

すると

「仕事先の誰々さんが急かして自分のやっていることを混ぜ変えす」
「君が夜遅くに電話をしてて、大きな声で笑って寝ようと思っても寝られない」
「アイツがこんなことを言った」

多分、何百という現象があると思うが、
現象で、誰が何をした、というのは置いておいて、

「それらのことが起こると、あなたはどう感じるか?」
と聞いた。
 
 悲しい。
 腹がたつ。
 アイツが悪い。自分は間違ってない。
そして 
 侮辱されている、とか
 認められていない、と感じる、と夫は答えた。
 
ということは、何百という現象は引き金。
 
「引き金じゃなくて、その奥にあるものは何か?にフォーカスするといいよね」

という話をするようになった。

すると夫は

「そっか!そうだね! ってことは僕にはこんなことが奥にあるような気がするよ」
 
 
・時間的なものへの恐怖
・間に合わなかったらどうしようというストレス
・間に合わなかったらおこられる
・そしたら自分が認められていないと感じる
・認めてほしい
 
これが夫が自分で見つけた答えだった。
 
こんな話をできるようになったのも、負のループにはまっていた時のおかげである。
それは、私自身が
今までよりも人の痛みがわかるようになり
教えようとするのではなく、正そうとするのではなく
もっとただ聞いてあげること、
それがほんのすこし身についたような気がする。
 
こういうことが負の時に見つけられることであり、
負の時にしか見つけられないことである。
それを見つけていけたならば、
「いい悪い」「治る治らない」ではなく、
何かが起こった時にどのように対処するか、
どのように生きていくか、
「未だ知らぬもの」に対してオープンでいられるのだ。
 
悲しさは減らなくとも、
少なくともデビッドが、とかブレントが、と相手を責めることなく、
もっと自分でケツがふけるのだ。

===

1月の終わりから、日本です。
ウエブサイト、もう少ししたらちゃんと更新します。
http://masayodance.com/

スピリチャルデスと再生

写真をやっているので時々エクスチェンジで、と頼まれることがある。
マッサージやヒーリングなど、最近あまりエクスチェンジはやらないようにしているが、時々面白そうな奴があると、やる。

最近エクスチェンジをしたのは、パラシャクティのシャーマニックヒーリング。

パラシャクティはイスラエル生まれで、ブラインドフォルド(目隠し)のダンスをするDance of Librationを作った女性。クンダリーニヨガの先生でもある。
ネイティブアメリカンの儀式のイニシエーションを受けて、ネイティブ風シャーマニックヒーリングを得意とするが、本来からの霊能力がある。

NYに住んでいたが、うちの近所に引っ越してきたため、ジョーのダンスクラスへ行くのに一緒に乗っけてってあげたりしてるうちに、まあ仲良くなったっていうか、なんていうか。

彼女は私のことを「ド正直」だという。
だから、怖がってたのだそうだ。

「あなたが最初に出会った頃
 ”私は集団が嫌い。人間が嫌い。”って言ったでしょ?
 あれはビビったわぁ〜。

 そして、私が車に乗っけてもらう待ち合わせに遅れたら
 私のことを叱ったでしょ?
 誰も私を叱らないのよね〜。

 あなたの正直さは人を見透かすようなところがあって、
 私は自分も本当は人間が嫌いなのに、
 好きなふりしてるのかな、って思ったりして
 しばらく話すのやめようかと思ったもん。

 あなたは皆が思ってるのと違う。
 皆は笑顔のサンシャイン、って思ってるけど
 中はもっと深くて暗くて、いろんなものがある。」

と、ターバンを巻いた彼女が今でも笑い話で言う。

日本人はみんな知ってるわ、そんなこと。
と、ケッ、と思って聞いていた。

〜 〜 〜 〜 〜

さて、そのパラシャクティのシャーマニックヒーリング。

面白かった。

2016年の2月ごろ、
私はスピリチャルデス(精神的に死亡)で、
今、それを抜けて、魂が大きく成長し始めているらしい。

寝転がってソレを受けている時に、手が動いて
手が長くなっているのでちょっとビビってそのことを聞いたら

「ハートが今までよりも大きく、
 ハートの違った場所とかが開いてきてる。
 多分、もう人間が嫌いでなんかいられないはず。
 手はハートの延長だから、
 ハートが大きくなって、手が伸びてるのよ。
 
 この後、いろんな感情が襲ってくるかもよ」

〜 〜 〜

と言われた後から、
最近まで、ずーーっとグダグダしていた。

先生なのに、こんなのでいいのか?と思った。
でも、そうなんだからしょうがない。

悲しい、やら、苦しい、やら、そんなこと。
もうそんな自己探求ごっこは終わっていいはずなのに!

それは私が産道を抜けてくるときに
「こんな世界に来たくない!」と思って、大きく腰を打ってこの世に誕生してきていることと重ねられた。

ということは、この時期、そのグダグダを解放してあげて、
精算して生まれ変わるいいチャンスなんじゃないか。

正直なところ、徹底的にグダグダと向き合わざるをえなかった1ヶ月だった。

そして誕生日をゴールに設定し、
誕生日前日もYukiko Amayaのソウルモーションでそれを私のテーマに踊り
誕生日はフローのクラスで踊った。

頭で考えたってしょうがない。
体の知恵の方がうんと深い。

だから踊る。
踊る。
踊る。

〜 〜 〜

さあ、どうなるのだろう?

何が起こっても、
未知なるものに対し
ハートを開いて、
大きく手を伸ばして進んでいく。

それだけ、だ。

I Love Myself.
I Love Myself.
I Love Myself.