叱られた、傷ついた、の裏に

とある人が来て、しばらく泣いていた。

彼には一つの行動パターンの特徴がある。

何か注意されると
「怒られた!叱られた!」と思って
その内容ではなく、怒られた事実に心を閉ざしてしまうことだ。

「叱られた」っていうのは相手を尊敬していない。
すごく受動的で自分勝手な考え方だ。
相手が「叱る」という意味や相手の意図や気持ちを考えていない。

例えば、本当に叱られたとする。
叱られた内容にフォーカスすれば、叱られる事の良い点は
・そこを直せば大丈夫、ということがクリアになる。
・自分がアドバイスをもらったことでさらに成長できる。

だけど彼は、叱られたという事で逆ギレし、
アイツなんか、って切ってしまうのだそうだ。

とても子供っぽいけれど、そういう大人はいっぱいいる。

こういう場合、「考え方を手術」したら楽ちん。
 
 
 
だいたい、叱られる、言われる、がキライな人は
二つか三つ、パターンがある。

1)
自分が叱られたり言われたりしないように、
パーフェクトにやりたいと思う人。

そういう人は車で言うところの、
ハンドルに「遊び」がない。
自分の世界、自分の考え方しかなく、
とっても小さいことに気づかない。

だから、何をしても自分の域を超えない。

というところに着目すると、自分、ダサイって思うはず。

叱られることの一番のメリットは
「ああ、そういう考え方もあるんだ!」という
柔軟な姿勢が培われるという事だと思うんだ。

今の時代、「いや、コダワリが」とか
「自分にはプライドがありますんで」などと言って
人の意見に蓋をしてしまうよりは
相手の意図にしなやかに耳を傾けられるような
柔軟な方がカッコいいよね。

2)
大概、叱られた、と思う人は「傷つく」という言葉を使うんだが
叱られる、という文体に現れているように
受動態な人。被害者な人。

受動態で被害者ってコトは、
自分の人生を他人に明け渡していて、
自分で責任を取らないということだ。

そして、傷つく人(被害者)は、
はっきりとであろうとやんわりとであろうと
自分を正当化するために相手を責めている。

自分ばっかり被害者だと思っちゃうの。
暗に相手を責める「逆・加害者」になってるってことに気づいてないのね。

自分の現在がダサい状態である(受動態、被害者、逆加害者)
という認識がナイわけよね。

ここに気づくと早いと思うんだよね〜。
違うかな?
(人によっては違う、という人もいるかも。。。)

===

こういうことを見せてもらって、
相談セッションのようなことをやらせてもらって、

私もこうやって思考をまとめられるから
ありがたいなあって思う。

頑張れ〜!
応援してるから!

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