沈黙 Silence

映画の試写会を見てきた。

ドッグパークの爺ちゃん友達サンディが
ライターズギルト(脚本家協会)に入っていて、
「日本が舞台の映画だよ、来るかい?」
と誘ってくれた。
 
長崎の、隠れキリシタンにまつわる お話。
 
感想は
めっちゃ深かった。
 
肝心のサンディ爺ちゃんは
「悲しすぎる。俺、見てられへん」
と、トムと私を残し、UBER使って先に帰った。
 
 〜 〜 〜
 
自分を信じるということも含めての「宗教」そのものに対して
「どうよ?」っていう問いかけの映画だと思う。
 
これを世界中の人が見て、世界中が「宗教」というものに
自分の信念というものにもう少しフレキシブルになったら
世界はもう少し楽チンなのかな、とも思ったり。
 
双方とも
言ってることは同じなんだけど切り口が違うだけ。。。
 
そういえば、前に友達ともよく話してたんだけど、
「キリストも仏陀も、悟りフェチの、偉大なるヨギーな人なだけだよね?」 
 
確かにそうなんだけど、人は魔法を求めるものなのだ。
私がクリスタルが好きなように、人は皆、魔法を夢見る。
そして集団での魔法は、結束が入る分、より強くなる。
 
  〜 〜 〜
 
見てる最中に感じたこと。
 
私たち日本人は
農耕民族であり、お上に統治され、力でコントロールされてる時間が長かった、
というバックグラウンドが血の中にあるから
「どうせ無理」的な諦めの思考が入っているんじゃないかと、ふと思ったなあ。
 
西洋人は
「やってみよう!やってみせる!」がベースだったり、
っていうことも感じた。
 
 
絶対的な善などない。
絶対的な悪もない。
ただ、その中に人の集団心理的なサドマゾ的感覚や
どうしても頼ってしまったり、楽に逃げたりする「依存性」や
そんなものがスパイスとして散りばめられている深さにも
ただ、うなってしまった。
 
 〜 〜 〜
 
ここからは私の見解なんだけど
心理的背景として
 
日本人のような農耕民族って本来「お天道様」崇拝で、
それ(太陽)は話をしてもくれず、
遠すぎて触ることもできず、
嵐をくれたり、雨をくれたり、ただ黙って結構厳しい。
 
そこへ、キリスト教のような
(クリスチャンの方、誤解しないでね。)
「懺悔」を含めた許しや、直接手を添えたり、
キリスト教せんべいを口の中に入れてくれたりする
「優しさ」ベースの
「外的要因が自分を幸せにしてくれる」ものがきて、
そりゃ嬉しいと思う。
初めての自己肯定だから。
 
 
また、”政治的”な「パワー」というコントロールと
”信じる”という「パワー」の戦い。
そのための犠牲はいっぱいあって、
 
正しいことでも、固執してしまうと抵抗となる。
犠牲を払っても「信じる」が強いと悲劇を生む。
 
それらが悲しく描かれていて。。。
 
平和的な解決はないものかな、って思うし
人間が人間である以上、
それって難しいんだろうな、って言う悲しさもよぎったり。。。
(この諦め感は日本の血なのか、私の悲哀なのかはワカラナイ)
 
 
 〜 〜 〜
 
スコセッシ監督は本来クリスチャンなんだそうだ。
だが、クリスチャンの視点からだけ描くのではなく
本質なものにタッチしてくる。
 
うーーん、深すぎてなんとも言えない。
 
ここ最近の、
最も考えさせられた映画だと思う。
 
  
 〜 〜 〜
 
それにしても
窪塚洋介さん、良かったなあ。笈田ヨシさんも。。。

そして、私の永遠のアイドル
イッセー尾形さん。

すげえ。

悪いけど、窪塚さんとイッセーさん、
この二人、他のキャスト全員を食っちゃったわ。
 
特にイッセーさんの吐息、眼差し、一挙一動で
会場が動くもんね。
 
 
 〜 〜 〜

ぜひ、見てみてください。オススメです。

http://chinmoku.jp/

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