叔母とのティーパーティー

7月末、最愛の叔母が亡くなった。
私の応援団長であり、私を否定したことは一度もなく、心を開き合えるとても濃い関係の叔母だった。
 
叔母は実家の近所に住み、脳溢血で入院中の母と同じ病院で、最初は母のお見舞いに一緒にいっていた。
実は検診でひっかかり、気になる腫瘍があるから「ちょっと手術すませてくるわ。早よようなって、すぐにねえさん(うちの母)の面倒見るさかいな」と言っていたのに、術後の経過が悪く急変した。
私は同じ病院内の母の病室と叔母の病室を行ったり来たりし、看護婦さんにお願いできないこと(化粧水をつけたりマッサージしたり)等をしていたが、徐々に良くなる母とは反対に、叔母はICUへ逆戻り。
 
そういったわけで6月の終わりから1ヶ月ほどは、日本に滞在していたが、覚悟はしていた。私がロスへ戻って来てから、4〜5日後くらいに、叔母が亡くなったと連絡が入った。

最後までできることはしたので後悔はないものの、実感がわかなかった。
「あんたんちのコーヒーが飲みたいわ」と言った叔母の言葉がよぎり、私はコチラで一人で、コーヒーを淹れて叔母のお葬式をした。

それ以来、毎日叔母にコーヒーを淹れ、お供えではなく、私と叔母とのティーパーティーをしている。これが毎日の日課になっている。
 
これは儀式なので、マグカップではなくカップ&ソーサーに二人分のコーヒーを入れ、ベランダのお気に入りのブルーのテーブルにお花やクリスタルやキャンドルを飾り、セージで清め、場を作ってから、そこに叔母の魂を呼んでのお茶会。かなりアヤシイことは否めない。

最初の日からしばらくは、本当に叔母がそこに座っているようで、叔母の口から出て来そうな言葉がポンポン聞こえてくるのだった。
「いやあ、楽やわあ。体がないとこんなにも楽やなんてなあ〜、知らんかったわ。必死でガマンせなんだらよかった〜」と叔母は笑った。

叔母とはいっぱい話をした。私にしか言わないことも叔母は言った。
(私の妄想かもしれないけど、そう叔母が言っているようにしか思えなかった)
叔母との会話は私へのセラピーでもあった。
 
 
二週間くらいたったとき、叔母の立ち位置が変わった。
「あのなあ、『私』っていう存在が薄まっていく気がする。私は、私じゃなかったんやなあ。元に戻るっていうか、なんかな、楽やけど変な感じ」と叔母は言った。
そのころ、叔母は普段着から若干、紅白の小林幸子さん的な神がかった衣装に変わっていた。
 
 
その数日後、30年前に亡くなった祖母が出て来て、叔母へのヒーリングを一緒にしてくれるように言った。
「魂は傷つかないと思うやろ?でもな、あれだけの痛みを伴ったら、魂も傷つくから、一緒に修復してあげてほしい。ちゃんとキレイにしてから上へ行けるように」と。
 
祖母のリードで呼吸を使ったヒーリングをし、半分がセメント色に見えた叔母の体が、綺麗な他の色と同じになったように思えた。

最近では、叔母は時々濃くなって、時々薄くなって、
面白いバランスで現れてくれる。
 
そして、薄くなった時は私はあまり集中できなくなって、お茶会をしていても、少し叔母のことを忘れて他のことを考えてしまう。
 
 
日本の皮膚から汗が吹き出す6月7月を経て、
ロスの真夏の日差しの強いバルコニーではじめたお茶会に
ここのところは肌寒い風が心地よく吹く。
 
こうやって、癒えていくのかもしれないな。

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