アスペルガーのための会社

 

私は実際にアスペルガーは何か、その定義はよく知らないんだが、まわりにアスペルガーの人がたくさんいる。

トムもそのケがあるが、トムの兄の息子二人がソレ。一緒に食事へいっても、目もあわせないし、会話もないので、一生懸命会話しようと私が必死で神聖幾何学で習ったフィボナッチ数のことを話して会話をしようとしても、さすが全米で数学が10番以内の兄弟

「フィボナッチは単純すぎてツマラナイ」

と目を背ける。会話、無残にも終了(笑)

 

とにかく、だ。

トムのお兄ちゃん、グレイ・ベノアは子供二人のためにはじめたことが、最近になってニューヨークタイムスマガジンにとりあげられた。実際とりあげられたのはベン・ヒラスナという男の子だけども、グレイは長年勤めた会社を引退した後、自分の息子たちの将来を思い、普通の会社へ就職しても合わないだろうから、と知恵を絞ってこの会社を作った。

まず、アスペルガーの彼らは頭がすごく良いので、ゲームなんて普通の人がやる5倍くらいの速さで終えちゃうわけ。それを利用して、発売前のゲームのバグテストを一気に引き受けるところから始まったのだった。そのころのことは私も一緒によくランチを食べて聞いていたのでよく覚えてる。

最初は本当に数人のキッズ(アスペルガーの子供が行く学校の同級生)のみだったのが、今や32人らしい。

それが定着し、ドイツからもどうやって運営するかをグレイの会社に学びに来たりしていて、とにかく、世の中に新しい石をポンと投げたことには違いない。

そして、定着したら、自分の息子の終身雇用の約束をとりつけ、自分は社長、会長職をおりた。このあたりの執着のなさもスゴい。

 

トムのお兄ちゃんはモトローラという電話機の会社で長年副社長をしていた。会社の自家用ジェットでアラブはじめ、世界各国へ飛び、どんな大変な時も息子たちのことを一番に考え、トムたちのママのこともよく面倒を見る、まったく愛そのものの人。地位とかそんなこと関係なく、誰もが彼を好きになる。

彼を見ていると、優しい人が大きく優しさを回していけるだけの経済力と環境とトレイニングを用意されたのじゃないかと思う。徹底的にやさしい。そのかわり、彼の目の奥底には、徹底的に人をビビらせる何かもある。やっぱり振り幅(可動域)なのかな、って思う。

2m近い体にいっぱい詰まった優しさで、彼はいつもハグをする。

〜 〜 〜 〜 〜

 

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自分のためのエサレン

実はまた、エサレンへ行っていた。
10月からロサンゼルスのクラスをおやすみしている間に、普段自分が受けたくても受けられないワークショップをいっぱい受けたい、というのがそもそもの考えだった。
 


 
今回は5リズムじゃなく、
ソウルモーションとコンティニウム。
 
ともにロサンゼルスでも、たまに受けてるけども、
私が一番受けたかった先生スーザン(世界ツアーがメイン)が
私の最初の頃の先生マイケルとコラボをするということで、
申し込んでみたものの、SOLD OUT.
 
なんだか「いけない気」がしなかった。
絶対に私はそこにいるのだ、と
信じているのではなく「知っていた」
 
そのワークショップに友人がアシスタントで入るというので
本当に満員なの?とテキストで聞いてみた。
 
ちょうど私がテキストをしたとき、エサレンのための
スカイプ・ミーティングをしていたのだそうだ。
 
すると先生の一人が
「そういえばもう一人のアシスタントが急遽こられなくなったらしいから、
マサヨはアシスタント興味あるかしら?すぐに聞いてみなさい」
 
そんなミラクルが起こって。。。
 
そう、私はまるまる1週間のエサレンでの
ソウルモーション&コンティニウムのワークショップが実現した。
 
===
 
似たようなムーブメントで、アプローチの違う方法をしっかりと学ぶ。
それは、とても濃い時間で、
私に足りないものが、
私が待てなかった時間が、
私には許せなかった空間が、
そこにはあって、
それらを優しく包んで溶かしていく。
 
自分が慣れ親しんだものからは学びにくい、
いわゆる「隣の坊主」から学ぶ、ってヤツなんだけど、
本当にしっとりと、染みて行った。
 
 
ワークショップの中で、マイケルが
 
「僕の先生はガブリエルロスだ。彼女が僕の恩人だ。
 ガブリエルは、ここ、エサレンで5リズムを作った人だ。
 ソウルモーションは5リズムから派生し、
 今、僕はソウルモーションをやってるけど、
 それぞれにムーブメントの派は違っても、
 アプローチが違うだけで、どれも素晴らしい。
 いろんなムーブメントのことを今から話すけど
 マサヨには5リズムの説明をしてもらう」
と言った。
 
私は5リズムの説明をし(大好評だった)、
自分とソウルモーション、コンティニウムとの関わりを話し、
私らしく、存在した。
 
 
終わってみると、
やっぱり私は5リズムが好きで好きでたまらず、
だけど、5リズムを大変だと思っている人に
少しだけ違うオプションを提供することができるかもしれないことを学んだ。
 
そして、
私の一番最初に5リズムをやったときの先生たちは
ルシアとエレン・ワトソンなのだが、
そのエレン(スピリット・ソウル・ダンス・シンギング主催)がなんと
エサレンにいた!
 
超ひさしぶりの再開。
「あれから何年になるのかしら?」
「2009年だからほぼ10年です!」
と、ハグをしあった。
 
ルシアが今月子供を生む。
それまでに話すべきことは電話でたくさん話した。
先月はダヴィダのアシスタントをした。

そして最初のLAでの先生マイケルとスーザンのアシスタントをエサレンでさせてもらい、そのエサレンのロッジで、久しぶりにエレンに会った。
なんか、同窓会みたいだ。
初めの頃の恩師のオンパレードだ。
 
 
 
私は、これをするために生まれてきた。
私は、真剣に遊ぶために生まれてきた。
その中には、体の知恵と、アートと、喜びと、可能性があるのだ。
それを伝えるために生まれてきた。
 
本当にそう思う。
 
 
音楽も、もっともっとやればいい。
アートも、もっともっとやればいい。
全ては生き方の反映だから、
音楽とか、アートとか、写真とか、ダンスとか
分けてる方が変なのだ。
 
しかも、必要以上にそれらの教育は受けてきているし
ありえないほどの天性の耳をもらって生まれている。
 
統合した全てが私だ。
 
恥じることなく(no shame)
恥ずかしがることなく(no hesitation)
それらを出していこう。
 
それが私がこの世の中に対してできる奉仕(service)だ。
 
そう思った。
 
====
 
そして、今回、
80代の人が3人、
70代の人が5人もいたのだが、
みなさん、すばらしい踊り手だった。
 
「私は年をとることが怖い」と言ったら
「あら、アタシもよ。一生なくなりはしないわ」
と笑いながら、しなやかに生きているその背中を見せてもらい、
すばらしい見本が目の前を歩いてくれていることに感謝しかなかった。
 
その中の一人は
「60年代にね、エサレンにいたとき、
私はガブリエルとルームメートだったのよ」とか
 
今、訳しているガブリエルの本の世界が
色鮮やかに動き出し、
 
心が動いて動いて、しょうがなかった。
 
私は、恵まれている。
 
 
私の中に宇宙がある。
私は自分の宇宙を生きればいい。

愛すべき頑固ジジィ

ひさしぶりにポートレイト(人物描写)を。
 
 
時々、映画の試写会に連れて行ってもらう。
 
さすがハリウッド、
いたるところに脚本家とか映画関係者がいて、
ディレクター協会とか脚本家協会とか
俳優協会に属している。
 

ウチのキキが行っている
(実際にはトムが連れて行っている)
ドッグパークにもそういう人がいる。

中でもサンディという
ジジイがいるんだけど
彼は89歳で、
なんと今はエキストラをしている。

まるでバックトゥザフューチャーの博士みたいな風態で
そのおかげかストックフォトにも多くのモデルとして使われているらしい。

半年前はマクドナルドのCMに出て
3ヶ月ほど食えのだそうだ。
 
 
サンディはその昔は映画スターたちが所属するエージェントに勤めていて
フランクシナトラとかそういう人たちと、フツーに逢う人生だった。

そのサンディが俳優協会に属しているおかげで
「映画いこう」とトムと私を誘ってくれる。

そういうときは私の運転で迎えにいくのだが、

長くこの世にいると
全く彼の独自のやり方があって、
ラ・シエネガのこの店を過ぎた頃、車線を右側に寄せておけだの、
右へ曲がったら即座に三車線左へいけだの、
色々とうるさいわけだ。

私は彼による車線変更などを覚えていたので
次はこうでしょ?というと
嬉しそうに左眉毛をあげて、「Yaaaap!(ヤーーーップ!そうさ)」と言う。

お年寄りだけならぬ
いわゆる「通」ってヤツは
特別の決まったやりかたがあって
それが一つの儀式になってるフシがある。
 
このレストランのチキンスープはうまい、だの、
ここでこれを買って人の家へお呼ばれに持っていくといい、だの、
古き良きアメリカンな生活が垣間見られて面白い。

が、新しいものへも偏見がなく
iPhoneを使ってジャズを聞く彼は、
ブルートゥースから音が出ることを最近発見したらしい。
それを聞きながら、三時間かかるパームスプリングスへ一人で運転していったんだそうな。

 
車の中で いろんなことをを聞くと、
喜んで答えてくれる。

サンディが話し始めると、まるで歴史を紐解くかのように
セピア色の70年前が目の前に色鮮やかに繰り広げられる。
サミーデイビスはこう言ったんだ、とか、
ここはマリリンモンローがサンドイッチをよく買いに来てたんだ、とか。
そういう世界が少しだけ近くにあるような錯覚に陥り、サンディの思い出と一緒に夢のような幻を見る。

会場に着きそうな頃、
この車の後ろ1ヤードに止めろ、とか、
帰るときはここをユーターンしろだの、
まあ、指示の多いこと多いこと。

トムが
「サンディのいうこと聞かなくていいよ。年寄りドライバーの中でももっとも危ない部類なんだからさ」
と、いうと
ケッ、という顔をし、聞かぬふりをする。
 
 

サンディは試写会場へはいると
必ず決まった場所に座る。前から5〜6列目の左端。
私はもっと真ん中でみたいんだけど、
これが彼のお約束。

ポップコーンを頬張りながら
「ねえ、これはなんていうタイトルの映画なの?」
と聞いたら
「ポップコーンを口に頬張りながら喋るやつの質問には答えない」
と。

そうだー、アメリカは口にもの入れたまま喋るのは禁止。
とくにお年寄りにはそれは顕著なんだった、と思い直し
改めて質問したり。

さて、映画は
スピルバーグの「POST」 邦題 ペンタゴン・ペーパーズ(この訳し方はなぜ?)

とてもよかった。

サンディのお気に召したようで、
ほぼスキップするかのように足取りの軽いサンディだった。

外に出ると、映画の話しに夢中で、
信号待ちの歩道の角から
少しだけ出ていた危ないトムを無言でさっと引き上げたあと

しばらくして目の前の道を走る車が止まるや否や、
まだ赤なのにスタスタと歩き始めた。

「危ない!」と思ったら、、、
その0.5秒後に歩行者の信号が青になった。
 
そういうタイミングまで、この試写会会場のまわりのことは
1秒たがわずに熟知していた。
 
ほらね、というふうに両手をあげるジェスチャーをしながら
振り返りもせずにスタスタ前を歩く、その後ろ姿をみながら
笑いが止まらなかった。

きっと60年前も、同じようにこの歩道を渡ったんだろう。

そういう世界に生きてきたんだなあ。
その世界をまさに体現化してるんだなあ。

先を生きている人を「先生」と言う。
 
 
 
サンディの、頑固に凝り固まりながら
自分の好きなようにしている自由さを見習いたい。

しばらく私はニコニコしていた。

托鉢

実家の小浜は、永平寺系のお寺も多く、禅宗の色濃い城下町。

今でこそ、人も少なくなり、昔賑わった商店街もシャッターが閉まり、通称シャッター通りと言われているが、それでも、城下町っぽい名残を残す。

小説家、水上勉さんの小説の舞台となった三丁町の格子戸は今もとても趣がある。

小さな頃から、そんな街を歩くお坊さんの托鉢は冬の風物詩。
雪の降る中、地下足袋をはき、
「おーー」と唱えながら歩くお坊さんを見て

「あ!おーーが来たで!」と10円持って、
お坊さんにあげに行くのだ。

そう、「あげに行く」と、昔は思っていた。

それがあげる、という概念ではないことを大きくなってから知った。

 

〜 〜 〜

 

: おーー

母が

「最近はねえ、おーー、じゃなくて、オーーイ、いうてお坊さん言うんや。なんや変な気分やな」

と言った。

多分、私の推測だが、
仏教がインドから来ている以上、
「おーー」は「Aum (オーム)」ではないかと思う。
だから、確かにそう考えると「オーーイ」は変だ。

どなたか、「オーイ」でいい、という方、教えてください。

〜 〜 〜

 

: どっちがお礼を言う側?

さて、お坊さんの「おーー」の声が聞こえてくると、
子供の頃は10円握りしめて、走って出て行ったものだった。

昔は10円、
今は100円くらいを差し上げると
お坊さんは軽く会釈をするが、
決して「ありがとう」とはおっしゃらない。

それは当然のことなのだ。

なぜなら
私たちはお坊さんに「あげる」のではないから。

『普段、私たちは

”善行(良い行い)”をしよう

と思ってもなかなかできない。

だから、お坊さんが

”善行をする機会を作ってくださる”

のだ』

というのが、托鉢の元々の考えなのだそうだ。

だから、お金を差し上げる側が
「良いことするチャンスを作ってくれてありがとうございます」
とお礼をしてお金を出し、

受け取る側が
「どういたしまして」
って言ってもいいくらいなんだそうだ。

なるほど〜。

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写真は小浜の托鉢。

いつも出て行くのが遅いので、たくさんのお坊さんを一緒に撮れないが、

30人以上が歩いておられる。

その昔、弟のようなミック(故人)が小浜へ行って修行僧になりたいと言ったが、このユニフォームは嫌だと言ったのを思い出した。

傷心を芸術に

メリルストリープのグラミーでのスピーチは
圧倒的だった。

この人の存在感、役者としての役目、
役者としての「道(TAO)」

存在感は魂のクオリティから出てくるもの。
そこには圧倒的な何かがあり

ハウトゥとか、こんなツールとか
これを4〜5年勉強したから、とか
そんな薄っぺらなものでできてくるものではない。

どれだけ全身全霊を張って
テメエが生きてきたかという、魂の証拠みたいなもんだと私は思ってる。

しかも、役者。
多くの目にさらされ、多くの人生(役)を生き、
表現し、

役者が否定されるということは、
「自分自身を全部否定される」こととイコールだと思う。
恩恵も多い分、役者とはすごいリスクを背負っている。

メリルストリープのスピーチの最後

「先日、この世を去ったレイヤ姫が言った言葉よ。
”傷ついたハートを アートに変える(昇華する)”」

「take your broken hart, make it into Art」

も、

今、アメリカ全土へ向けてのスピーチだと思った。

日本語スピーチ全文
原語 ビデオ

〜 〜 〜

ガブリエル・ロス(5リズム創始者)の言葉

「役者は心のアスリートだ」

まさに。。。

そして、ガブリエルが言う、「なぜ5リズムをやるのか」
の理由が、メリルストリープのスピーチの最後と同じだった。

「痛みをアート(ダンス)に、
アートを気づきに、
気づきを行動に」

私たちはステージには立つチャンスはあまりないから
ダンスフロアーの中で、傷ついたハートを昇華し、次へ歩き続けるのだ。

なんでも儀式にする女

パラシャクティは
シャーマンを名乗るだけあって
なんでも儀式にする。

今日はその彼女の撮影だったが、
撮影前に、大層な風呂敷のような布を広げ、
さまざまなスピリチャルグッズを広げ、
そこを聖なる場にする「場づくり」をする。

キャンドルを焚いて、
セージでスマッジして、
(実は私も撮影前はいつもセージで場を清める)
そして、一人づつのコミットメントを
トーキングスティックに向かって言う。

マジすか?

と思う私もいるのね。

私はスピ歴が無駄に長く、
かれこれ30年になる。

儀式の大切さはわかっているけど
ちょと恥ずかしかったりするのね。

そんなんしなくても出来るやろ?的に。

まあ、いいか。

二人のトーキングスティックのコミットメントを聞いてて、
ちょっとキラキラだなあ、とも思う。

スピリット、とかハートとか、
私がクラスで使うようなこっぱずかしい言葉を使うしー
撮影してるあっちの部屋でウチの夫とその息子がゲームしてるしー
せめてドア閉めとけばよかったよー
ウエストハリウッドの、暖房が効いた絨毯の上で言っても
ネイティブっぽさはイマイチだしー
そのキャンドル、100均だしー
目の前のメイクさんはキレイなゲイ男子だしー
でも顔大きいしー
正座してるしー
床、掃除機かけたけど犬の毛、いっぱいだしー

と、気は散るものの、
よっしゃ、3人の気を合わせるためのものだ、
しゃーない、儀式に乗ったろやないの。

私の番がきたので

「魂のキレイさと、外側のキレイさ、両方をちゃんと見つけて撮れるように繋がって、私のクリエイティビティを最大に発揮します」

とトーキングスティックに向かって言う。

パラシャクティが
わぁ〜、って小さくため息を嬉しそうについた後、

「アホゥ!」(ネイティブアメリカンの いわゆる聖なる掛け声)
と皆で言う。

ちょっと恥ずかしかった。

でも、そのおかげなのか
3人の気持ちが繋がった感があったり、
私も自分が納得しないところは絶対引かなかったりして、
自分が100% 自分でいることができたと思う。
 
 
 
 
 
 
うん

儀式は悪くナイ。
だって、宣言だもんね。

なんでも儀式にする女、パラシャクティを
ちょっと見習おうかな、って思った。

言葉の使い方を変えてみる

英語では

You make me happy
You drive me crazy
You made me angry などという。

「お前がワシを〜〜させた」

君が自分をハッピーにしてくれたならいいけど、
君が俺を怒らせた
君が俺をぐちゃぐちゃにする

だの、
言葉がとても「他人のせい」

多くの人が
「トランプが俺を怒らせた」って言うんだけど
トランプ、アンタを怒らせてる時間、ないと思うの。

もっと、自分が怒ってる。トランプがアホだから、って言えばいいのにね?

〜〜〜

なんでこんな言葉尻を取るかというと、
言語は思考と繋がってるからなのだ。

知り合いで
とても被害者になっちゃう人がいるんだけど
その人は必ず
「誰々が〜〜、って言うから」

その度に私は
「じゃあ、あなたはどうするの?」

と聞いても
「だって、誰々が〜〜、っていうのよ?」

って。

「じゃあ、その人が〜〜って言ったら、あなたはそうするんだ?」

「だって、しょうがないじゃない?」

そこで私が尋ねるのは

「誰の人生を生きてるの? 
 誰々によって幸せになったり不幸になったりするアナタの人生って何?」

責任を自分で取らない言葉遣いだったり、
必ず相手のせいだったり、
そういう思考回路が言葉に出てて
「私は自分のことかわいそうって思ってますよ〜」
って、宣伝してるようなモノ。

まずは、言葉を変えてみたらいいと思う。

能動態か受動態か?
相手が主語、もしくは相手が隠れた主語になっていないか?
 
そして、自分の意思でない言い方をしているとしたら
主語を自分に戻してみるとか。。。

すると、きっと変わるんだよ。

Have a great day!

沈黙 Silence

映画の試写会を見てきた。

ドッグパークの爺ちゃん友達サンディが
ライターズギルト(脚本家協会)に入っていて、
「日本が舞台の映画だよ、来るかい?」
と誘ってくれた。
 
長崎の、隠れキリシタンにまつわる お話。
 
感想は
めっちゃ深かった。
 
肝心のサンディ爺ちゃんは
「悲しすぎる。俺、見てられへん」
と、トムと私を残し、UBER使って先に帰った。
 
 〜 〜 〜
 
自分を信じるということも含めての「宗教」そのものに対して
「どうよ?」っていう問いかけの映画だと思う。
 
これを世界中の人が見て、世界中が「宗教」というものに
自分の信念というものにもう少しフレキシブルになったら
世界はもう少し楽チンなのかな、とも思ったり。
 
双方とも
言ってることは同じなんだけど切り口が違うだけ。。。
 
そういえば、前に友達ともよく話してたんだけど、
「キリストも仏陀も、悟りフェチの、偉大なるヨギーな人なだけだよね?」 
 
確かにそうなんだけど、人は魔法を求めるものなのだ。
私がクリスタルが好きなように、人は皆、魔法を夢見る。
そして集団での魔法は、結束が入る分、より強くなる。
 
  〜 〜 〜
 
見てる最中に感じたこと。
 
私たち日本人は
農耕民族であり、お上に統治され、力でコントロールされてる時間が長かった、
というバックグラウンドが血の中にあるから
「どうせ無理」的な諦めの思考が入っているんじゃないかと、ふと思ったなあ。
 
西洋人は
「やってみよう!やってみせる!」がベースだったり、
っていうことも感じた。
 
 
絶対的な善などない。
絶対的な悪もない。
ただ、その中に人の集団心理的なサドマゾ的感覚や
どうしても頼ってしまったり、楽に逃げたりする「依存性」や
そんなものがスパイスとして散りばめられている深さにも
ただ、うなってしまった。
 
 〜 〜 〜
 
ここからは私の見解なんだけど
心理的背景として
 
日本人のような農耕民族って本来「お天道様」崇拝で、
それ(太陽)は話をしてもくれず、
遠すぎて触ることもできず、
嵐をくれたり、雨をくれたり、ただ黙って結構厳しい。
 
そこへ、キリスト教のような
(クリスチャンの方、誤解しないでね。)
「懺悔」を含めた許しや、直接手を添えたり、
キリスト教せんべいを口の中に入れてくれたりする
「優しさ」ベースの
「外的要因が自分を幸せにしてくれる」ものがきて、
そりゃ嬉しいと思う。
初めての自己肯定だから。
 
 
また、”政治的”な「パワー」というコントロールと
”信じる”という「パワー」の戦い。
そのための犠牲はいっぱいあって、
 
正しいことでも、固執してしまうと抵抗となる。
犠牲を払っても「信じる」が強いと悲劇を生む。
 
それらが悲しく描かれていて。。。
 
平和的な解決はないものかな、って思うし
人間が人間である以上、
それって難しいんだろうな、って言う悲しさもよぎったり。。。
(この諦め感は日本の血なのか、私の悲哀なのかはワカラナイ)
 
 
 〜 〜 〜
 
スコセッシ監督は本来クリスチャンなんだそうだ。
だが、クリスチャンの視点からだけ描くのではなく
本質なものにタッチしてくる。
 
うーーん、深すぎてなんとも言えない。
 
ここ最近の、
最も考えさせられた映画だと思う。
 
  
 〜 〜 〜
 
それにしても
窪塚洋介さん、良かったなあ。笈田ヨシさんも。。。

そして、私の永遠のアイドル
イッセー尾形さん。

すげえ。

悪いけど、窪塚さんとイッセーさん、
この二人、他のキャスト全員を食っちゃったわ。
 
特にイッセーさんの吐息、眼差し、一挙一動で
会場が動くもんね。
 
 
 〜 〜 〜

ぜひ、見てみてください。オススメです。

http://chinmoku.jp/

スタンディングロック・水を守る

友人の ヨーコちゃんが行っていた。
もう一人、アパッチ族の ギルさんも行っていた。
ヨーコちゃんは、現地から電話をしてきてくれた時、もしも撃たれた時のために、防弾チョッキを着てると言っていたし、あの喧嘩っ早いアパッチのギルさんは「平和を祈るのみ。戦わない」と宣言していたし、
すごいことなんだと、後になればなるほど鳥肌モノだった。

したら、今朝の5リズムで、もう一人スタンディングロックへ行っていたという女性が出現!
しかも、それがハネムーンだったそうな。

彼女が終わった後のサークルで、話をし始め、皆が涙を流してその話を聞いた。

それはそれは美しい「反対運動」だったのだそうだ。
平和のために、一切戦わず、祈りと平和の呼びかけだけで勝利した、と、
人間の美しさに心打たれたそうだ。

================

「「「 スタンディングロックとは?」」」

私はヨーコちゃんが行くまで、何も知らなかったのだが、水を守るため、土地を守るため、ネイティブアメリカンが立ち上がったことが大きな運動になった、アメリカを震撼させた出来事。

追記:ヨーコちゃんの書いた記事が出ました!
   http://alternas.jp/study/global/67241

ノースダコタのスタンディングロックという場所で、石油のパイプラインを、北から南に大陸横断して引くことが決まっていたのだが、ラコタ族の聖地であり、生活の源である水、ミズーリ川の流れに沿うところに作られたら、オイルが川に漏れたら命の問題になること、そして、聖地を横切ることは止めて!ということから、それらを止める運動が始まった。

12/4に、無事勝利したが、この勝利は革命的なこと!

(とはいえ、運動は実はまだまだ続くので、この寒い冬を越せるよう、ドネーションできる人はぜひ!)
https://www.gofundme.com/pod4rent?viewupdates=1&utm_source=internal&utm_medium=email&utm_content=body_photo&utm_campaign=upd_n

折しも、トランプ当選があって皆が希望を失っていたところだったので、
これはものすごいニュースとなった。(特にヒッピー系、心理学系、自己啓発系の人々の間では)

その中でも、ベテランたちの参戦は特に多くの人の心を打った。
この下にリンクしたビデオをぜひ見て欲しい。(私の稚訳つけました)
引退した米軍兵たち(ベテランと呼ぶ)が、水を守る運動に参加し、その中の一つとして、ネイティブアメリカンに過去のことを詫びた。

ヨーロッパから植民地として扱われたアメリカが、ネイティブから土地を取り上げたのが200数年前。それらの歴史を踏まえた上で、この謝罪を聞いてほしい。

そもそも、謝るということ自体すごく勇気のいること。
なのに、実にストレートな謝罪。涙が出る。

========

引退米軍兵(ベテラン)
「その昔、私たちはあなた方から土地を取り上げた。聖地から鉱物を摂り、聖なる山に大統領の顔を掘り、その上、あなた方の言語を排除しようとした。神、創造主からあなた方が授かったものだというのに。私たちには敬意がなかった。地球を汚し、たくさんの面であなた方を傷つけてきた。大変申し訳なく思う。今日はここに、謝りに来ました。申し訳ない。どうか許してください」

長老の答え
「謝罪を受け取ります。世界平和。一歩前に進みましょう。私たちはラコタ統治の族として、独自の言葉があり、これらを守って存続していく役割があります。我々がこの土地を所有しているのではなく、我々はこの土地に所有されているのです」

========

ドッグパークでコーチング

トムは犬娘のキキが大好きすぎて私にキキの散歩を譲ってくれない。
が、シカゴへ行っているため、その間は私の番。

近所のドッグパークにはトムの犬仲間ができて、毎朝、毎夕の1時間ずつの犬の散歩は、トムにとってとても大事な時間になっている。

今朝は少し遅めに行ったら、ほとんどの常連がもう帰っていて、犬のダレンと、飼い主のロンだけがそこにいた。

もう帰りかけていたロンと少し話をし始めたら弾んだ。

「ロンは何をしてる人なの?」
と聞いたら、不動産をやっていたけど、現在はライフコーチと掛け持ちだという。

こっちにはライフコーチはシコタマいて、
日本のヒーラーくらいいて、
へっ、ライフコーチかよ、と心の中で一瞬思ったが、
不動産とライフコーチという正反対にも見えることに興味がわき、
少し突っ込んで聞いてみた。

「何がライフコーチになるきっかけだったの?」

12ステップミーティングというのがあって、それにちょっと関わっていて、そこからライフコーチに興味を持ち、1年半かけてコーチになったんだという。

12ステップとは、アルコール中毒からのリカバリープログラムで使うものらしい。

12 Steps

いや、僕はアル中ではなかったんだけど、彼氏が(ここはゲイタウン)そうだったから、一緒に行ってたんだよね。

コーチングの何が面白いの?
と聞くと
人を元気にしてあげられるから。

そして、ロンが言うには
「僕はコーチングの中で特に好きなのはオープンクエスチョンなんだ。
例えば、今日は気分がいいかい?と聞くとイエスかノーの答えになるだろう?これはクローズドクエスチョンという。だけど、今日はどんな気分だい?と聞くと、いろんなことを言ってくれるだろう?」

今日は暑いね イエス・ノー
今日のお天気、どんな風に感じる? オープン

君は夢を持ってるかい? イエス・ノー
君の夢を教えてくれないか? オープン

なんだそうだ。

そういえば、コミュニケーションの下手な人は、オープンじゃないのかも。

 〜 〜 〜

そんなこんなで、ロンとオープンクエスチョンのしあいっこをした。

「ロンにとって、人生って何ですか?」

「僕にとったら、3つ大きな意味があるなあ。
 1つ目は奉仕。何かの役に立つこと。
 2つ目はライブで歌ったり、ギターを弾いたり、パフォーマンスをすること。
 3つ目はロマンス。すなわち誰かと愛を語ること。これは一番難しいけどね」

そうか、Service, Express, Loveなのね。

「じゃあ、マサヨ、君にとっての人生とは何?」

私は、、、

可能性、冒険、創造 だと答えた。(Possibility, Adventure, Creation)

「じゃあ、君にとって、この人生の意味は?この人生で君は何をしたいの?」

「うーーん、そうだなあ。完結したい。これが最後の人生にしたいから、いっぱい学んで、いっぱい表現して、最後にしたいの。だから、みんなが先生」

ロンは大きく笑って、それはいいなあ、と言った。

ドッグパークで少し時間が遅れたことで、ひょんなことから会話が弾んで
こんなコトを話しできたことが
とても嬉しかった。

流す? 流さない?

最初にその事実に遭遇したのはアメリカへ来てまだそんなに経ってない2000年頃だった。

とあるイベントを見に行った時、ホテルのイベント会場のトイレに入ったら水が流れておらず、黄色い液体とトイレットペーパーが見え、嫌な思いをして次のドアを開けるとそこも水が流れていなかった。

5つトイレのあるうち、2つは誰かが入っており、結局残っている3つは全部、水が流れていなかった。
それでもレバーを下げると、水が流れるから、故障ではないらしい。

その、トイレの水も流せない集いは、バシャールの公開チャネリングセッションだった。
バシャールといえばイタコも同然、スピリチャルな集いに集まった人たちは、ドルフィン系のキラキラした出で立ちだった。

てめえら、スピリチャルなクセに、水くらい流しやがれ!!!

と、怒り心頭だった。

もし、その時に小林正観さんを知っていたら「ラッキー」と思ってトイレ掃除くらいしたことだろう。(現に正観さんを知った後は、至るスーパーや公共の場のトイレを狂ったように掃除した時期もあった)

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2016年の今、5リズムを続けて8年になる。

一番近い場所の先生のジョー。
彼女はトイレの水を流さない。
「節水しなきゃいけないから。ここはカリフォルニアよ。ロサンゼルスは砂漠よ。サスティナブル(継続可能)なライフのためにも、たった一回のオシッコで水をあんなに流すなんてバカげてる。ウチへ来た時は、小なら流さないでね」

とても抵抗があったが、ジョーの家へ行った時は、流さないことにした。

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以前、在米北海道人ミチヨと一緒にセドナへ行った時、5人でスイートの一部屋に泊まった。
「ミチヨは夜中にトイレに何度も行っちゃうかもしれないけどさ、水を流す音が聞こえると迷惑だから、流さないから。ね?わかるっしょ?」
というので
「いいよ、流しなよ」
と言っても
「いや。いいのさ。ミチヨは流さないのさ」

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ヒッピーの聖地、トパンガのお家で水洗トイレの場合、二回に一回の割合で流れてない。
もちろん、大の場合に流れてないということに出会ったことはまだない。
が、トパンガのクラスでの公衆トイレも、キレイなのに2〜3回に1回の割合で流れてない。
ヒッピー的には、サスティナブルなライフを目指しているので、そうなんだろう。。。

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5リズムの先生、ルシアと大阪で一緒の部屋に泊まった時、夜中にルシアがトイレに行った形跡があったが、やっぱり流れてなかった。ミチヨ的な音の迷惑なのか、ジョー的なサスティナブルなものなのか、わからないが、流れていなかった。

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ダンスのクラスでは、誰かの後にトイレへ入ると、大概流れてない。

ダンスの友達の家では3件に1件の割合で流れてない。

どうやら、わざと流してないっぽい。

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でも本当のことを言うと、節水が心配なら、個人宅の努力はもとより、自動で流れる空港のトイレやハイウエイのインターのトイレとかを自動じゃなくすればいいのにね。

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で、最近の私は。。。

ミチヨに習ったのか、
夜中のトイレは小ならば流さない。だって下の階に響くもん。

そして異様にオシッコが近い私は、昼間でも自分だけの時は
2度までは流さない。

習慣ってすごいなあ〜〜
(と、感心している 笑)

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で、何が言いたかったのかというと
物事は同じ一つの出来事でも
怒ったり、同意したり、考え方一つで全く正反対に変わるのね、ってコトよ。

だって、水のことだけ考えたらそりゃ流さないほうがエコだけど、気的に考えると、汚物がそのまま放置されているというのはありえないしね。

だから、悪い=いい
は、コインの裏表。
両方同時に存在するのね、ってコト。