言葉の使い方を変えてみる

英語では

You make me happy
You drive me crazy
You made me angry などという。

「お前がワシを〜〜させた」

君が自分をハッピーにしてくれたならいいけど、
君が俺を怒らせた
君が俺をぐちゃぐちゃにする

だの、
言葉がとても「他人のせい」

多くの人が
「トランプが俺を怒らせた」って言うんだけど
トランプ、アンタを怒らせてる時間、ないと思うの。

もっと、自分が怒ってる。トランプがアホだから、って言えばいいのにね?

〜〜〜

なんでこんな言葉尻を取るかというと、
言語は思考と繋がってるからなのだ。

知り合いで
とても被害者になっちゃう人がいるんだけど
その人は必ず
「誰々が〜〜、って言うから」

その度に私は
「じゃあ、あなたはどうするの?」

と聞いても
「だって、誰々が〜〜、っていうのよ?」

って。

「じゃあ、その人が〜〜って言ったら、あなたはそうするんだ?」

「だって、しょうがないじゃない?」

そこで私が尋ねるのは

「誰の人生を生きてるの? 
 誰々によって幸せになったり不幸になったりするアナタの人生って何?」

責任を自分で取らない言葉遣いだったり、
必ず相手のせいだったり、
そういう思考回路が言葉に出てて
「私は自分のことかわいそうって思ってますよ〜」
って、宣伝してるようなモノ。

まずは、言葉を変えてみたらいいと思う。

能動態か受動態か?
相手が主語、もしくは相手が隠れた主語になっていないか?
 
そして、自分の意思でない言い方をしているとしたら
主語を自分に戻してみるとか。。。

すると、きっと変わるんだよ。

Have a great day!

広告

自虐ネタ言ったら怒るわよ!

昨日私がしたトパンガのクラスは、
自分として100%満足できる出来ではなかった。
最後までいてくれた人はいいクラスだったと言ってくれたが、
自分は満足していなかった。

それを反映してか、クラスの生徒が3人、終わる前に帰った。
せっかく少し自信が出たと思ったのに、、、

そのフラストレーションを体に溜め込むのは嫌なので、
昨夜10時くらいまで踊っていたにもかかわらず
今日の朝、カルバーシティのジョー先生のクラスに出た。

こういう時こそチャンスだ。
自分を見直してみよう。。。

必死で踊った。
いらないものを全部振り払うかのように。

いつものカタリナも、リーナも、クリスもパラシャクティも
みーーんないて、
自分の嫌な部分を踊りにして吐き出して、
スッキリした。

「来週、マサヨがこのクラスの代講をします」
終わった後ジョー先生がそのアナウンスをしてくれた。

帰る時、カタリナが
「来週楽しみにしてるからね」
と言った。

彼女は、以前私が代講でクラスを3週間続けてした時、
2回目の時に途中で悲しそうな顔をして帰った。

その次の週、私のクラスにカタリナは出てこなかった。
「子供を人に見てもらって、このクラスの時間だけが唯一自分のための時間なの。だから絶対に休まない」と言っていたのに。
きっと彼女は私のクラスが嫌いだったんだ、と一人で思ってた。

その事実に落ち込んでいた時もあったので、
そのカタリナが来てくれるというのは
ちょっと嬉しいオドロキだった。

驚いた顔をしてたら
「どうして?私、あなたのクラス大好きよ!」
というので
「だって、私は、生徒がクラスの途中で帰っちゃう名人よ?」
と言ったら
その場にいたリーナと共にカタリナが固まった。

「どういう意味?」

「ああ、私はまだ下手だからね、っていうジョークよ」

というと

「マサヨ、私、怒るわよ! 
 お願いだから ”私の友達のマサヨ” に優しくしてあげて!!!
 たとえジョークにしても自虐ネタは許さない。

 私も以前、友達と自虐ネタをやっていたわ。 
 私ブスだから〜、とか、ほら、この太ももハムみたいで美味しいわよ、とか
 オバハン頑張りまーすとか、そういうので笑ってた時あった。

 だけど、もうやめて!私たちのエネルギーはもうそんなところにないわよ!
 あなたのエネルギーはそこにないから、何を言ってるんだか混乱する。
 ソレを聞くと気持ち悪くなる。

 自分をおとしめないで。
 絶対に自分を卑下しちゃダメ!
 ジョークでも言っちゃダメ!
 言葉のチカラってすごいんだから!!!」

目に少し涙を溜めながら、必死でそう言ってくれた。
私より10歳くらい年下のカタリナ。

私はありがたくて涙が出た。

カタリナに抱きついて、何度も何度も
ありがとう、と言った。

イマジネーションと嘘の違い

すごい発見があったの!

imagination って、想像の産物。
じゃあ、ウソじゃないの?

いえいえ、imaginationは 信じること。
それを本当にあることのように、信じて振る舞うこと。

「え〜? 信じるってことは、まだ起こってないことを信じるんだから
 実際にはウソじゃねーの?」

昔のアタシなら間違いなくそう言ってた。

ところが。。。

信じる  英語で BELIEVE
嘘    英語で  LIE

ちょっと 気づきません?

LIE (嘘)が BELIEVE(信じる)の中に入ってる!!!!!

これ、すげー発見!

朝、これに気づいた時、
飛び上がるかと思うほど驚いた。

私の解釈でいうと 
嘘を心から信じて本当にする。
嘘を嘘で終わらせない。
嘘も全て包み込んであげるようなイメージ。
それが信じるということなのか?

語源を調べても、
それに関することは出てこなかったけれども
信じる(Believe)の語源はラテン語でLoveだと書いてあった。
やっぱり全てを包み込んであげるイメージだなあ。。

信じるということは、愛を持って包み込むことなのか〜。

be LIE ve(d)

 〜 〜 〜

面白いものをついでに拾っちゃった。

There-is-lie-in-believe-over-in-lover-end-in-friend-saying-quotes

「信じる」中に「嘘」があり There is LIE in believe

「恋人」の中に「終わり」があり over in lover

「友達」の中に「終了」があり end in friend

「信頼」の中に「私たち」があり us in trust

「次」の中に「過去」があり ex in next

そして「生活」の中に「もしも」がある。 if in life

 

深いっ!!!

 

性転換をした人との愛の奏で方

訳が難しいので、(&私の英語力もアヤシイので)
どこまで伝わるかわからないですが
とにかく感動したのです。

ゲイの女性がこれを皆の前で読み、
皆がとても心を動かされたのです。

これは、ゲイだとか、レズビアンだとか、性転換した人だとかの問題ではなく
全ての、生きとし生きるものの、誰もが持っている悩みや傷と同じこと。

私による意訳です。
訳が「もっとこの方がいいよ」と思う人は、どうか、教えてくださいね。

==========

性転換をした人との愛の奏で方 

by ゲイブ モーゼス (意訳:by 雅代ベノア)

まずは、性別を表す単語
チン○ / マン○ 
胸 / オッパイ
などの概念をくつがえすことから始めせんか?
今までの固執したイメージを忘れ
これらを解剖してみましょう。

肋骨に手を突っ込み血の滴る心臓を取り出し
グチャグチャにして、新しい見解の爪痕をつけるのです。

使い古された感覚は一新し、新しい言葉を作りましょう。

まずは、ピタっとくる音を探す。
彼のジーンズの中に手を入れてコスる音とか、
彼の歯の裏に響くハートの音とか、
彼の体中の細胞が息づいてる音とか、
彼女の脊椎、一つづつに名前をつけ、
その「しなり」を言語にしましょう。
雨が紙コップに模様を描くように
滴る汗で筋を描き
背骨が織りなすアルファベットで歯を合わせましょう。
すると、言葉が重みを持ち、塩気を増すでしょう。

彼の肌から洋服を一枚づつ剥いで行く時
トラウマ患者の包帯を取り替えるように扱わないでください。
たとえ皮膚を縫い合わせた痛そうな針の傷跡を見つけたとしても
「手術したの?」とは聞かないでください。
彼(彼女)があなたに体を差し出した時には、
神からの体の一部は、もうすでに生贄として
手術台の祭壇に置かれているのですから、
若干調整しなおす必要はあるにせよ、
新しく形成された「風景」のアラ探しはしないでください。
盛り上がった尾根の跡形は、自然に見えるように努力しているのですから。

もし彼女が胸骨を出してきたら、
直線から曲線に彫った痛みを理解し
ブラジャーの裏の詰め物を見つけても、
優しい手で熟れた果実のように、
その新しい肉を持ち上げてあげてください。

ガンや糖尿病で胸を失った人をイメージしてください。
それで女でない、とお思いですか?
自動車事故のように、生まれた時に性器を間違えた事故なのです。
それで他より劣っていると考えますか?

あなたが彼にキスした時、
彼の親指サイズの”筋肉”が反応し
挿入したいかのように勃ち上がって来たなら、
彼の名前を心の底から呼び、
できる限り包み込んであげてください。
手で、口で、骨盤の間の巣で。。。
たとえ、摩擦しているだけかもしれなくても、
思っている以上に深く彼を感じるでしょう。

肉体は、「何者であるか」の単なる一部に過ぎないのです。
肉体は単に、ハートを入れる奇妙な形の容れ物に過ぎないのです。
実のところ、肉体には、ほとんど入りきらないのです。

私たちは、
呼吸と呼吸の間をつなぐ年輪であり、
鼓動であり、
汗であり、
内臓であり、
末端神経であり、、、

人間とは、
納得いくまで自己を探っていくようにプログラムされています。
肉体は、永遠に互いを学び続けます。
それが肉体のすべき仕事です。

肉体とは、
各々の体のパーツを入れたゴルフグラブバッグのようなもの。
互いがフィットする様々な合わせ方や、
腰や手、舌や歯の、様々な使い方、
美しい体を重ね合い、一緒に激しくクラッシュする方法を探ります。
実のところ、楽しみの半分は、探ることそのものにあります。
だけど
どのようにハートを使うかは、
忘れようたって忘れられない。
ここが大事なところです。

肉体の事は気にしないで、ハートで触れ合ってください。

大丈夫。彼らは十分に心得てますから。

===========

How To Make Love to a Trans Person

by Gabe Moses

Forget the images you’ve learned to attach
To words like cock and clit,
Chest and breasts.
Break those words open
Like a paramedic cracking ribs
To pump blood through a failing heart.
Push your hands inside.
Get them messy.
Scratch new definitions on the bones.

Get rid of the old words altogether.
Make up new words.
Call it a click or a ditto.
Call it the sound he makes
When you brush your hand against it through his jeans,
When you can hear his heart knocking on the back of his teeth
And every cell in his body is breathing.
Make the arch of her back a language
Name the hollows of each of her vertebrae
When they catch pools of sweat
Like rainwater in a row of paper cups
Align your teeth with this alphabet of her spine
So every word is weighted with the salt of her.

When you peel layers of clothing from his skin
Do not act as though you are changing dressings on a trauma patient
Even though it’s highly likely that you are.
Do not ask if she’s “had the surgery.”
Do not tell him that the needlepoint bruises on his thighs look like they hurt
If you are being offered a body
That has already been laid upon an altar of surgical steel
A sacrifice to whatever gods govern bodies
That come with some assembly required
Whatever you do,
Do not say that the carefully sculpted landscape
Bordered by rocky ridges of scar tissue
Looks almost natural.

If she offers you breastbone
Aching to carve soft fruit from its branches
Though there may be more tissue in the lining of her bra
Than the flesh that rises to meet itLet her ripen in your hands.
Imagine if she’d lost those swells to cancer,
Diabetes,
A car accident instead of an accident of genetics
Would you think of her as less a woman then?
Then think of her as no less one now.

If he offers you a thumb-sized sprout of muscle
Reaching toward you when you kiss him
Like it wants to go deep enough inside you
To scratch his name on the bottom of your heart
Hold it as if it can-
In your hand, in your mouth
Inside the nest of your pelvic bones.
Though his skin may hardly do more than brush yours,
You will feel him deeper than you think.

Realize that bodies are only a fraction of who we are
They’re just oddly-shaped vessels for hearts
And honestly, they can barely contain us
We strain at their seams with every breath we take
We are all pulse and sweat,
Tissue and nerve ending
We are programmed to grope and fumble until we get it right.
Bodies have been learning each other forever.
It’s what bodies do.
They are grab bags of parts
And half the fun is figuring out
All the different ways we can fit them together;
All the different uses for hipbones and hands,
Tongues and teeth;
All the ways to car-crash our bodies beautiful.
But we could never forget how to use our hearts
Even if we tried.
That’s the important part.
Don’t worry about the bodies.
They’ve got this.

正しいOKの使い方 2

1から続く

さて、銀行の窓口でいつもと同じように

「How are you?」と聞いたら

「Im OK」というので、

「あら、オーケーだなんて、どうしたの?」と聞いた。

するとその彼女が

「頭痛がするの。今日はお天気悪いでしょ?気圧のせいだと思うけど、耐えられない」

と言った。

 

「ホメオパシーのアルニカって知ってる?」

そこから私はホメオパシーの説明と、アルニカの説明をした。

ホメオパシーとは、波動の砂糖玉であること。Wholefoodsで買えること。ケミカルじゃないのであらゆるお薬と一緒に飲んでも大丈夫なこと。

歯を抜いた後、ドクターが「強めの痛み止めを3時間おきに飲めば大丈夫でしょう」と言ったが、ちょうどアルニカがあったので、痛くなるまでアルニカで我慢しよう、と思ったら、なんと全然痛くなく、アルニカだけで乗り切れたこと。

夫が20針縫って、麻酔が切れた頃痛くなるからと、痛み止めをもらったにもかかわらず、アルニカのんだら、痛み止めを飲みわすれた事などなど。

「あら!それスゴイわ!ありがとう!スペルは?」と彼女は喜び、帰りに買って帰ると言った。

とはいえ、その時間は午前中。

「それを買うまでが辛いわね。じゃあ、呼吸法を教えてあげるね。痛いところの色とかカタチを想像して、痛いところに人格を与えるの。その人格に大きく”白い、輝く呼吸”を入れて。そして、吐くときは、汚い色が出ると思って、それを繰り返すといいわ」

ガブリエルロスも、このようなことをやった、と5リズムのバイブルである本に書いてある。

私も、これは20歳代からずっと使ってきた。そして、昨今の5リズムでさらにその認識を深くしている。

 

銀行の窓口の彼女、必死で、呼吸をする。

何回も、何回も。

「これ、いいわ!なんか効いてる感じする!ありがとう〜!”」

窓口の中で何度も何度も「ふ〜、ふ〜〜」と言いながら「白い光」を吸っている彼女がいた。

===

 

「How are you?」

「I m OK」

「OKってどういうことよ?どうしたの?」

から始まる会話。触れ合い。

こんな1日も悪くない。

正しいOKの使い方 1

英語で「ハウアーユー?How are you?(ご機嫌いかが?)」

と聞かれて「I’m fine(元気です:機嫌いい)」と答える、と教えられる。

が、

実際のところ、I’m fineよりも

「I’m great!(グレイト、最高だよ)」の方が多いように思う。

へー、そんなにグレイトなのか?

 

多分、大袈裟なんだと思う。

 

と言うことは、FineやOKの場合は どうなる?

ま、Fineは「普通」って感じに受け取っておいて間違いないだろう。

そしてOK(大丈夫)って場合は、大概 大丈夫ではない。

 

今朝、銀行へ行った時に、窓口でいつものように「How are you?」の会話。

私は「I’m great あなたは?」と聞いたら 窓口の彼女が

「I ‘m OK」といった。

 

アメリカへ来たての頃、オーケーは、オーケーでない印だと知った。

 

ご近所の男の子に「どう?元気?」と聞いた時

「I ‘m OK. 父さんが今朝、亡くなった以外はね。。。」

えっ!そんなの全然オーケーじゃないじゃない!?と言う経験をしたことがあり、その後、気をつけてこの「どう?元気?」の会話を聞いてみたところ、オーケーは、ほぼオーケーでない人が、それでも何とかやってるわ系に使うのだということがわかった。

ウチの旦那も、朝起きて、おはよう、どう?と聞いた後にOKと答える時は、大概ゴキゲンが悪いし、OKと言われて「よかったね」などとは言ってはイケナイのであり、少なくとも「どうしたの?」って聞いてあげるくらいのことはしたってバチが当たらないのだ。

というわけで、窓口の女の子が「I’m OK」ということは、

何か彼女に不具合があるのだ。

ここのところ「心を開こう週間」を実践しているので、心配してあげなきゃ、なのである。

===

ちなみに、メイビー(Maybe 多分)も、日本の感覚だとポジティブもしくは、「どうっしよっかなー、うん、多分大丈夫」 的だが、英語でMaybe と言われたら、割とノーに近い。「おいでよ」「Maybe」な場合は、ほぼ100%来ない。

その2に続く

 

話し方のクセ 3

2から続く

5リズムのワークショップで ジョナサンに言われた事。

ジョナサンは5リズム創始者ガブリエル・ロスの息子で、彼は いわゆる「嫌われる勇気」を持っている、勇敢で大きなハートの持ち主である。だから彼が大好き。

男女共同のスタジオのトイレへ行ったら、ジョナサンが出てきて私と鉢合わせをした。その頃の私はジョナサンを怖く思っており、ジョナサンにビビっていた。

跳びのきそうになりながら「Sorry!」と思わず口から出たら

「Sorryって言うな!」と怒鳴られた。。。

ハッ!と凍りついたまま、トイレへ行って、

言われたことへのショックが隠せなかった自分がいた。

「何も怒らなくても、、、」と泣きそうになった。

話し方のクセ 2 で書いた近所の ソイツの気持ちと同じだった。

===

そのあと、ジョナサンがワークショップの中で、「Sorry」について話し始めた。やべー、アタシのことだ!めっちゃ恥ずかしい!と思ったが、「自分に向けてのプライベートレッスンである」くらいに受け止め、頑張って真摯に聞いた。

「いいか?心理学的に言うと、アポロジェティック(謝りやすい)なキャラクターというのが存在する。

本当に悪いと思って謝っているのか?本当に謝っているとしたら、お前は何を悪いことをしたんだ?自分に尊厳を保て。

本当に悪かったら謝るがいい。だが謝ることによって許しを乞う、謝ることによって ”許される自分” という環境づくりを知らぬ間にし、”謝る” という世渡りツールを使って甘えを増長する事もにもなりうる。確かに社会的潤滑油として”すみません”が使われる事もあるだろう、特に文化の違いによっては。。。だけど、その反面、ずっと謝っていると、一つのシビレとなる。いつもいつも、何にもかもに謝っていると、自分が謝ったことも気付かないばかりか、本当の意味の「Sorry」が色褪せてしまい、少なくともソイツから発せられるその言葉にはもう意味がないほど使い古される。だから、言葉は意識的に使え。言葉の持つ、美しい、本当の意味を無駄にするな!」

そうだ、、、そうだった、、、

===

この後、日本へ帰った時に、実家のご近所の人々を集めて顔ヨガのクラスをしたんだが、その時に集まってくる人、集まってくる人、みなさん「すいません」「すいません」と言って集まってきた。

このジョナサンの話をして、「今日は謝るのをやめましょう」と言ったら、みなさんが口を揃えて「あ〜、ホンマや!すみません」といい、「あ!また今言った!」と言ったら「ほんまや〜〜!言うてしもた!すみません〜〜〜」と言って爆笑になった。

そのあと、何度「すみません」を言ったか数えてもらったら、平均20回。

みなさん、自分の「すみません」の多さに驚いていた。

意識的に使おう。

 

で、じゃあ、普段なら「すみません」と言うときに どうしたらいいの?

 

「すみません」の代わりに「ちょっと前を失礼します」を。

「すみません」の代わりに「ありがとう」を。

 

言葉は意識的に使うと、言葉自身が輝きを取り戻す。

最初から読みたい方はコチラ

話し方のクセ 2

話し方のクセ 1

そもそも、言葉の揚げ足をとるというのは、年寄りのやることだ。

だが私はソコソコ年を取っている。だから年寄りと言われても構わない。なんとでも言って。

===

友人に、話し方のクセを指摘した事がある。

「アタシってー、◯◯な感じ かも〜」

「あ〜〜、このお料理、美味しいかも〜」

「セロリ、意外とスキ かも〜」

「でも、ナマのタマネギは嫌 かも〜」

「◯◯◯ 意外と〜 かっこいい かも〜」

「コーヒー、私はミルクいらない かも〜」

 

妙に耳に障った。

「ねえ、好きなの? 好きじゃないの?」

と聞くと

「え?だから言ったじゃん。意外と好きかも〜」

 

かも、は 可能性を示す言葉である。

意外と、は、予想に反して、というときに使う 言葉である。

生タマネギが食えないんなら 「嫌かも」、じゃなくて「嫌」なんじゃん!

 

この二つに隠された、裏の心理はなんだ?

自分の感覚に自信がなく、自分の感覚を否定された時に「だから かも、って言ったじゃん」と逃げられる道筋を残しておける便利な言葉。

誰を好きだろうが何を好きだろうが、逃げようが逃げまいが、本人の勝手なので、私個人としてはそこは否定する気など一切ないのだが、肝心なのは、「本人がその真理や意味合い」「その言葉から及ぼす影響」をわかって言葉を使っているのか? ということだ。わかってなかったらソンだからだけじゃなく、そういう心理状態を自分で作り続けるということだ。

自信がないときには、得てして自信のない言葉遣いをする。

だからあえてソイツには

「〜かも」を使わないで話してみて。

と提案してみたワケだ。

その時は「マサヨったら人の揚げ足をとる、ひどい女!」と思ったらしい。目に涙を浮かべて「もう帰るっ!」と帰って行った。

「どうしたらいいと思う?なんでも言って〜!」と言ってウチに来たにもかかわらず。。。

ま、図星ってキツいからね。

===

あの時は泣いていたソイツも、後になって

「あんなこと言われて、超ムカついて、アンタのこと憎らしかったけど、

アレは効いた”かも〜〜”!」

と言って、二人で笑った。

 

その3に続く

 

話し方のクセ 1

テレサは最初はわかりにくい人だった。

なぜなら、すごく喋るから。
普通に喋るのではない。「大変よく」喋るのだ。

人は解ってもらう為に喋る。コミュニケーションのために喋る。

喋れば喋る程に解ってもらえると思っているが、実は喋る量が増すほど意味不明になり、
喋らないほうが明快だったりする。

テレサは早口でまくしたてる。
そして至る所に「I don’t know」を入れる。
つまり「いや、わかんないけども」「知らない」「ま、どうでもいいんだけど」系の「I don’t know」が入るのだ。
何か情報やトピックを散々述べた後、「I don’t know(私は知らないけどね 系)」

おいおい。。。

最初は彼女の喋り癖に戸惑った。
散々喋っておきながら「ま、いいや、知らない事よ」と、今まで言った事を曖昧にするのは、聞いてる人に失礼だと思った。聞いてる方だって時間を使うのだ。私の時間を何だと思ってる?
知らないなら、無責任に言わなきゃいいじゃない、と。

だけど、だんだん解って来た。
彼女は、ただ、会話の隙間を埋める為に喋ってるだけだった。
1人で喋って、1人でうなづいて、
「やっぱり、知らないわ。どうでもいいわ」と結論を出す。
独り言をただ、聞いて欲しいかのように喋ったから。

ちなみに、じーーーっと聞いていたら、そのうち喋らなくなった。
そして、私と、一緒に泊まった友人の話をゆっくり聞いてくれるようになり、それから、本当に心を通じ合わせて話せるようになった。

「どうでもいいわ」と自分で結論づけつつ話すのは、心理的に見ると「防御」である。

「私はトピックスとしてこの話をしてあげるけれども、もし間違っていたとしても私のせいではない。私はこれだけ情報を知っているけど、私が同意した意見ではないので、それに関して責任は取らない」など。これだとたとえ悪口を言っても、自分のせいでないと回避できるし、自分からほぼ命令しておきながら「私の指示ではない」との責任回避。

実はウチの母が似たようなことを言う時がある。

「これ、●×で●×で、●×らしいよ。わからないけども」

巨大な情報量を持ちながら、わからないけども、と言う。
私はどうも、それが「丁寧」とか「謙虚」には聞こえない。それぞれにアクと独自の意見の強い娘たちから聞いた情報を他に流す時に、「お母さん、そんなのダメよ!」と怒られないために、「自分のせいではない」と、密かに主張しているのだ(笑)

問題は、それを無意識にやっている、ということ。

ということは、裏返してみたら、無意識を意識的にし、自分が言っていることにどんな意味を持っているのか意識して発したら、怖さも克服できるかもしれないということだ。

何事も面と向かわなくては変化するためのゼロ地点に立てない。

言葉のウラにある意味に気づくと潜在意識を変えられる。

どう思う?

 

話し方のクセ 2に続く

「また会いましょう」

ゴミを捨てようと思った時に
チラっとみたら文字が書いてあった。

ああ!物をお貸しした袋だった!
あの女の子からメッセージだったんだな、と。

読んでみたら
「また会いましょう」と書いてあった。

うーーーん。。。

 ***

私は昭和なので、言葉遣いの揚げ足をとる。
それくらいさせてもらっていいくらい年をとっている。

悪気がないのはわかっている。
自分が年上なのをタテにとるつもりもないが、
友人に連れられて、うちへプール入りに来て、ごはん食べさせて、
その年下の人から「また会いましょう」と言われたら
「いや、会うか会わないかは、私が決める」と答えたい。

まあ、関係が完全にイーブンな場合の
「また会おうね!」は別として

「また会いましょう」と言われて私が嬉しく思うのは
私が心底惚れた人たちのみ。

そして、私が自分から「また会いたい」と思うような、
そういう人たちはみなさん、年下でも年上でも
「また、会いたい!」
「また、会いに来てもいい?」
と言ってくださる。

誰も
「また会いましょう」
とは言わない。

わかるかな?このニュアンスの違い。

===
「また会いたい」(自分は希望を述べ、権限を相手に委ねる)
「また会いましょう」(権限は自分が持っている)
===

オノヨーコさんとか瀬戸内寂聴さんに
(実際にはお目にかかったことありませんが)
「また会いましょう」と言われたら
はいはい、もちろんです!光栄です!
お忙しいのにお時間を作っていただいて感謝です!
と思うけど

年下の、私が世話になってもいない方に
「また会いましょう」と言われると
屁が出そうになるんだな。

これはもう、知性なんだな。

言葉は大切に扱って欲しい。
海外に住んでるから、とか、
若くて世代が違うから、とか、
そういうものではなく、、、

アホ、バレるぞ。

  この場合のアホとは、
  頭だけじゃなく、心も。

「またお会いしましょう」
というセンスの人とは、
不思議だけど
私の友達に残らず、
そのまま消えちゃうんだなあ。

スペイン語放送のテレビ

私が5リズムをきちんと教える!と決め、自分にコミットした日の数日後、知らない人から一本の電話を受け取った。

「私、あなたのフライヤーを持ってるの。あなたは5リズムを教えるのでしょう?あなたのクラスをリアリティーショーで取材させてくれないかしら?」

ひょえ、何ですと?
何故ワタシが?

そのリアリティーショーとは、ビバリーヒルズに住むラテン系の奥様たちが、様々な習い事にチャレンジする、というものだった。

私はまだ新米の先生なので、いい先生紹介しましょうか?
と言ったら、プロデューサーのキャロルさんは
「いいのいいの、どうせやる側も素人なんだから、あなたでいいの。それに英語が達者な必要もないの。私たちはスパニッシュTVで、スタッフもメキシカンばかり。全米ネットワークだけど、見る人は皆ラティーノで英語が話せない人対象なんだから。逆に難しい英語じゃなくて助かる」

ほう、、、

一度は、そのままシカトした。

したら一週間後、また電話がなって、
「決心した?」と。

いや、5リズムのヘッドクオーター(本部)に聞いてみないとワカラナイ、と言ってみた。それは婉曲的に「手続き面倒くさいよ、それでも撮影したいの?」と意味して言ったつもりだった。

そしたら「是非、聞いて了承をとってくれ」と言うので、ヘッドクオーターに一応メールをした。断られるだろうと思ったら、諸アドバイスをもらい、それらをTVサイドが全て了承する事で合意し、撮影となった。

ようは、トントンと進んでしまったのだ。
断る理由がないとき、それはゴーのサインなのだ。私のポリシー。

===

撮影日。

自分が写される側としての撮影現場なんて、数十年ぶり。
ちょっとだけ血が騒いだ。
そうか、キライじゃないんだ。

すんなり事が進んだワケではなかった。
「音楽が使えない」
5リズム的には最大のピンチ。
権利の問題で、音楽を使うと、えらい金額がかかるのでNG。
音楽ナシのままする事になった。
ちょっとドキドキした。
 
出来るか?

こういう時は初心に戻る。

 私は何を伝えたいのだ?
 人間の持つミラクルを伝えたいのだ。
 それが伝わったら、それでいいのだ。

よし、出来る。出来る。
自分に言い聞かせる。

案の定、ディレクターはおもしろおかしくするために、彼女たちにちょっとだけヤラセでゴネさせてもいいか?と聞いて来た。
私の答えはノー。
リスペクトを払わないのであれば、撮影には応じたくない、と。

それでも実際の撮影の時には、おもしろおかしくする指事が出されたようで(こういうところ、テレビの人って無理矢理やる傾向にある)ちょっとだけ突っ込んだりして来たので、カメラが回っている中、クラスを止めてこう言った。

「リスペクトをして。リスペクトとは、講師である私のためにするのではない。このクラスを真摯に受けるという事は、技術を身につける事ではなく、あなた自身と向かい合う、すなわちあなた自身のためなのだから、自分自身に尊敬と敬意を払うべきだ」

それから出演者だけでなく、スタッフも顔つきがかわり、とても率直に全てを受けてくれるようになった。
そして、30分だけだったけれども、一生懸命 踊ってくれた。

最後は、5人の出演者のうち、3人が泣いた。

収録の最後に、皆が日本語でthank you はなんていうの?と聞いた。
ありがとうだよ、と教えると 全員が「アリガトウ」と言って別れた。

ほっ。。。

現場のスタイリストさんが
「皆、気に入ったみたいよ。終わってすぐわかるもん」
と、教えてくれた。

===

終わってから、この役割が自分で充分だったのかとか、色々思った。
全世界のエライ先生達がもし、ソレを見たらどうしよう?とか。。。
新米の講師マサヨは全然なってないとか、、、
レベル達してないとか、、、

実際、ちょっと怖かった。後になってから震えた。
私は今の自分のままのベストを尽くしたから、それでいいのだ。
それで何か言われる必要があれば、それは私の受けるべき勉強。

とにかく、収録では、出来る限りの事はした。
だから、それでいいのだ。

放映は5月との事。もう放映したのかな?
しかし、メークアップすりゃよかったよ。
全米のスパニッシュTV De すっぴん。

unnamed