話し方のクセ 3

2から続く

5リズムのワークショップで ジョナサンに言われた事。

ジョナサンは5リズム創始者ガブリエル・ロスの息子で、彼は いわゆる「嫌われる勇気」を持っている、勇敢で大きなハートの持ち主である。だから彼が大好き。

男女共同のスタジオのトイレへ行ったら、ジョナサンが出てきて私と鉢合わせをした。その頃の私はジョナサンを怖く思っており、ジョナサンにビビっていた。

跳びのきそうになりながら「Sorry!」と思わず口から出たら

「Sorryって言うな!」と怒鳴られた。。。

ハッ!と凍りついたまま、トイレへ行って、

言われたことへのショックが隠せなかった自分がいた。

「何も怒らなくても、、、」と泣きそうになった。

話し方のクセ 2 で書いた近所の ソイツの気持ちと同じだった。

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そのあと、ジョナサンがワークショップの中で、「Sorry」について話し始めた。やべー、アタシのことだ!めっちゃ恥ずかしい!と思ったが、「自分に向けてのプライベートレッスンである」くらいに受け止め、頑張って真摯に聞いた。

「いいか?心理学的に言うと、アポロジェティック(謝りやすい)なキャラクターというのが存在する。

本当に悪いと思って謝っているのか?本当に謝っているとしたら、お前は何を悪いことをしたんだ?自分に尊厳を保て。

本当に悪かったら謝るがいい。だが謝ることによって許しを乞う、謝ることによって ”許される自分” という環境づくりを知らぬ間にし、”謝る” という世渡りツールを使って甘えを増長する事もにもなりうる。確かに社会的潤滑油として”すみません”が使われる事もあるだろう、特に文化の違いによっては。。。だけど、その反面、ずっと謝っていると、一つのシビレとなる。いつもいつも、何にもかもに謝っていると、自分が謝ったことも気付かないばかりか、本当の意味の「Sorry」が色褪せてしまい、少なくともソイツから発せられるその言葉にはもう意味がないほど使い古される。だから、言葉は意識的に使え。言葉の持つ、美しい、本当の意味を無駄にするな!」

そうだ、、、そうだった、、、

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この後、日本へ帰った時に、実家のご近所の人々を集めて顔ヨガのクラスをしたんだが、その時に集まってくる人、集まってくる人、みなさん「すいません」「すいません」と言って集まってきた。

このジョナサンの話をして、「今日は謝るのをやめましょう」と言ったら、みなさんが口を揃えて「あ〜、ホンマや!すみません」といい、「あ!また今言った!」と言ったら「ほんまや〜〜!言うてしもた!すみません〜〜〜」と言って爆笑になった。

そのあと、何度「すみません」を言ったか数えてもらったら、平均20回。

みなさん、自分の「すみません」の多さに驚いていた。

意識的に使おう。

 

で、じゃあ、普段なら「すみません」と言うときに どうしたらいいの?

 

「すみません」の代わりに「ちょっと前を失礼します」を。

「すみません」の代わりに「ありがとう」を。

 

言葉は意識的に使うと、言葉自身が輝きを取り戻す。

最初から読みたい方はコチラ

話し方のクセ 2

話し方のクセ 1

そもそも、言葉の揚げ足をとるというのは、年寄りのやることだ。

だが私はソコソコ年を取っている。だから年寄りと言われても構わない。なんとでも言って。

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友人に、話し方のクセを指摘した事がある。

「アタシってー、◯◯な感じ かも〜」

「あ〜〜、このお料理、美味しいかも〜」

「セロリ、意外とスキ かも〜」

「でも、ナマのタマネギは嫌 かも〜」

「◯◯◯ 意外と〜 かっこいい かも〜」

「コーヒー、私はミルクいらない かも〜」

 

妙に耳に障った。

「ねえ、好きなの? 好きじゃないの?」

と聞くと

「え?だから言ったじゃん。意外と好きかも〜」

 

かも、は 可能性を示す言葉である。

意外と、は、予想に反して、というときに使う 言葉である。

生タマネギが食えないんなら 「嫌かも」、じゃなくて「嫌」なんじゃん!

 

この二つに隠された、裏の心理はなんだ?

自分の感覚に自信がなく、自分の感覚を否定された時に「だから かも、って言ったじゃん」と逃げられる道筋を残しておける便利な言葉。

誰を好きだろうが何を好きだろうが、逃げようが逃げまいが、本人の勝手なので、私個人としてはそこは否定する気など一切ないのだが、肝心なのは、「本人がその真理や意味合い」「その言葉から及ぼす影響」をわかって言葉を使っているのか? ということだ。わかってなかったらソンだからだけじゃなく、そういう心理状態を自分で作り続けるということだ。

自信がないときには、得てして自信のない言葉遣いをする。

だからあえてソイツには

「〜かも」を使わないで話してみて。

と提案してみたワケだ。

その時は「マサヨったら人の揚げ足をとる、ひどい女!」と思ったらしい。目に涙を浮かべて「もう帰るっ!」と帰って行った。

「どうしたらいいと思う?なんでも言って〜!」と言ってウチに来たにもかかわらず。。。

ま、図星ってキツいからね。

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あの時は泣いていたソイツも、後になって

「あんなこと言われて、超ムカついて、アンタのこと憎らしかったけど、

アレは効いた”かも〜〜”!」

と言って、二人で笑った。

 

その3に続く

 

話し方のクセ 1

テレサは最初はわかりにくい人だった。

なぜなら、すごく喋るから。
普通に喋るのではない。「大変よく」喋るのだ。

人は解ってもらう為に喋る。コミュニケーションのために喋る。

喋れば喋る程に解ってもらえると思っているが、実は喋る量が増すほど意味不明になり、
喋らないほうが明快だったりする。

テレサは早口でまくしたてる。
そして至る所に「I don’t know」を入れる。
つまり「いや、わかんないけども」「知らない」「ま、どうでもいいんだけど」系の「I don’t know」が入るのだ。
何か情報やトピックを散々述べた後、「I don’t know(私は知らないけどね 系)」

おいおい。。。

最初は彼女の喋り癖に戸惑った。
散々喋っておきながら「ま、いいや、知らない事よ」と、今まで言った事を曖昧にするのは、聞いてる人に失礼だと思った。聞いてる方だって時間を使うのだ。私の時間を何だと思ってる?
知らないなら、無責任に言わなきゃいいじゃない、と。

だけど、だんだん解って来た。
彼女は、ただ、会話の隙間を埋める為に喋ってるだけだった。
1人で喋って、1人でうなづいて、
「やっぱり、知らないわ。どうでもいいわ」と結論を出す。
独り言をただ、聞いて欲しいかのように喋ったから。

ちなみに、じーーーっと聞いていたら、そのうち喋らなくなった。
そして、私と、一緒に泊まった友人の話をゆっくり聞いてくれるようになり、それから、本当に心を通じ合わせて話せるようになった。

「どうでもいいわ」と自分で結論づけつつ話すのは、心理的に見ると「防御」である。

「私はトピックスとしてこの話をしてあげるけれども、もし間違っていたとしても私のせいではない。私はこれだけ情報を知っているけど、私が同意した意見ではないので、それに関して責任は取らない」など。これだとたとえ悪口を言っても、自分のせいでないと回避できるし、自分からほぼ命令しておきながら「私の指示ではない」との責任回避。

実はウチの母が似たようなことを言う時がある。

「これ、●×で●×で、●×らしいよ。わからないけども」

巨大な情報量を持ちながら、わからないけども、と言う。
私はどうも、それが「丁寧」とか「謙虚」には聞こえない。それぞれにアクと独自の意見の強い娘たちから聞いた情報を他に流す時に、「お母さん、そんなのダメよ!」と怒られないために、「自分のせいではない」と、密かに主張しているのだ(笑)

問題は、それを無意識にやっている、ということ。

ということは、裏返してみたら、無意識を意識的にし、自分が言っていることにどんな意味を持っているのか意識して発したら、怖さも克服できるかもしれないということだ。

何事も面と向かわなくては変化するためのゼロ地点に立てない。

言葉のウラにある意味に気づくと潜在意識を変えられる。

どう思う?

 

話し方のクセ 2に続く