ステージに立つ側か、観客で見る側か

昨日の続きのような感じなんだけど

アスリートの美しさはその存在感にある。
今一瞬を生きるとか、「いまここ」とか
人は簡単に言うけれど、
アスリートのそれを見たら、
私の一瞬に生きる、のクオリティーなんぞ
可愛い(この形容詞がポイント)お嬢ちゃん芸だと思えるほど
彼らの一瞬にかけるそのクオリティーは半端じゃない。

別な何者かが突き動かしているような、
人間業とは思えない、そこには技をはるかに超えた精神があり、
そんな生き方をするために
もしかしたら人は肉体的なトレーニングをしたり、
マーシャルアーツをしたりするんだろう。

挑戦する人は、本当に美しい。
その眼に魂が入る。
その皮膚光が入る。

全米ケトルベル協会のケンにも
「君もやれよ〜」と言われ
ほんのすこし、その気になってる。

1日5回ならケトルベルあげてもいい。
それ以上は無理、と言ったら、せめて15回!と笑われた。

見てる場合じゃない。
自分がやんないと。

アスリートを
アーティストに置き換えてもいいし、
パフォーマーに変えてもいい。

とにかく、
野次を飛ばしたり批判をしたりするだけの
批評家にはなりたくはい。

やった人は、
やって失敗する人を批判しない。

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〜 〜 〜

見る側?

それとも

挑戦する側?

もちろん!

私はいくつになって挑戦する。

ケトルベルで変身

シアトルにきていて、明日の早朝に帰る。

今回はケトルベルの試合。
ヤカンの形をしたダンベルを持ち上げる競技で、そんなに知らなかったんだけど、ジムを経営する友達がその大会を開くから、ということで私を写真で呼んでくれた。

大会の前後に少しだけ個人セッションをやらせてもらった。

今回写真の個人セッションを申し込んでくれたロンダは、一昨年ファミリーフォトに参加してくれたのだが、普通のおばちゃんだった。
それが、今年は見違えるようになっていた。

ケトルベルが彼女を強くセクシーな女性に変えたのだ。

翌日、大会にまるまる6時間、フォトグラファーとして参加し、その魅力がわかった。
これもまた、瞑想であり、自分への挑戦であり、自分の限界を超えるためのスポーツなんだな、と。

大会はドラマチックで、フォトジェニックで、涙が出た。

自分の可能性に挑戦する姿は眩しく美しい。

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