沈黙 Silence

映画の試写会を見てきた。

ドッグパークの爺ちゃん友達サンディが
ライターズギルト(脚本家協会)に入っていて、
「日本が舞台の映画だよ、来るかい?」
と誘ってくれた。
 
長崎の、隠れキリシタンにまつわる お話。
 
感想は
めっちゃ深かった。
 
肝心のサンディ爺ちゃんは
「悲しすぎる。俺、見てられへん」
と、トムと私を残し、UBER使って先に帰った。
 
 〜 〜 〜
 
自分を信じるということも含めての「宗教」そのものに対して
「どうよ?」っていう問いかけの映画だと思う。
 
これを世界中の人が見て、世界中が「宗教」というものに
自分の信念というものにもう少しフレキシブルになったら
世界はもう少し楽チンなのかな、とも思ったり。
 
双方とも
言ってることは同じなんだけど切り口が違うだけ。。。
 
そういえば、前に友達ともよく話してたんだけど、
「キリストも仏陀も、悟りフェチの、偉大なるヨギーな人なだけだよね?」 
 
確かにそうなんだけど、人は魔法を求めるものなのだ。
私がクリスタルが好きなように、人は皆、魔法を夢見る。
そして集団での魔法は、結束が入る分、より強くなる。
 
  〜 〜 〜
 
見てる最中に感じたこと。
 
私たち日本人は
農耕民族であり、お上に統治され、力でコントロールされてる時間が長かった、
というバックグラウンドが血の中にあるから
「どうせ無理」的な諦めの思考が入っているんじゃないかと、ふと思ったなあ。
 
西洋人は
「やってみよう!やってみせる!」がベースだったり、
っていうことも感じた。
 
 
絶対的な善などない。
絶対的な悪もない。
ただ、その中に人の集団心理的なサドマゾ的感覚や
どうしても頼ってしまったり、楽に逃げたりする「依存性」や
そんなものがスパイスとして散りばめられている深さにも
ただ、うなってしまった。
 
 〜 〜 〜
 
ここからは私の見解なんだけど
心理的背景として
 
日本人のような農耕民族って本来「お天道様」崇拝で、
それ(太陽)は話をしてもくれず、
遠すぎて触ることもできず、
嵐をくれたり、雨をくれたり、ただ黙って結構厳しい。
 
そこへ、キリスト教のような
(クリスチャンの方、誤解しないでね。)
「懺悔」を含めた許しや、直接手を添えたり、
キリスト教せんべいを口の中に入れてくれたりする
「優しさ」ベースの
「外的要因が自分を幸せにしてくれる」ものがきて、
そりゃ嬉しいと思う。
初めての自己肯定だから。
 
 
また、”政治的”な「パワー」というコントロールと
”信じる”という「パワー」の戦い。
そのための犠牲はいっぱいあって、
 
正しいことでも、固執してしまうと抵抗となる。
犠牲を払っても「信じる」が強いと悲劇を生む。
 
それらが悲しく描かれていて。。。
 
平和的な解決はないものかな、って思うし
人間が人間である以上、
それって難しいんだろうな、って言う悲しさもよぎったり。。。
(この諦め感は日本の血なのか、私の悲哀なのかはワカラナイ)
 
 
 〜 〜 〜
 
スコセッシ監督は本来クリスチャンなんだそうだ。
だが、クリスチャンの視点からだけ描くのではなく
本質なものにタッチしてくる。
 
うーーん、深すぎてなんとも言えない。
 
ここ最近の、
最も考えさせられた映画だと思う。
 
  
 〜 〜 〜
 
それにしても
窪塚洋介さん、良かったなあ。笈田ヨシさんも。。。

そして、私の永遠のアイドル
イッセー尾形さん。

すげえ。

悪いけど、窪塚さんとイッセーさん、
この二人、他のキャスト全員を食っちゃったわ。
 
特にイッセーさんの吐息、眼差し、一挙一動で
会場が動くもんね。
 
 
 〜 〜 〜

ぜひ、見てみてください。オススメです。

http://chinmoku.jp/

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キレイのバランス

shan_cropped

子供を2人持って離婚をして、
いかにキレイにいるか。

彼女の写真を撮らせてもらって
改めてその美に対するコダワリに驚く。

当たり前だけど、いいものを着て
自分に投資して

彼女の場合
外側の現実味溢れる「ココイチ勝負」的な感覚と
内側のスピリチャルな感覚が
面白い具合でマッチしている。

自分を振り返るに
私はサボっていて、投げ出しているのでアレなんだけど、

好みからいうと
「見すぼらしいスピリチャル」とか
「清貧」
とか、好きじゃないのね。

かっこよく、生き生きとしているのがいいと思う。
それが本当のスピリチャルな気がする。

そういう意味では
別に派手じゃないけど
スピリチャルな人たちは皆さんキレイ。

彼女もそう。

バランスが取れてる。

スピリチャルだから、エコだから
「髪染めません」とか
「マクロビしかやりません」とか
「絶対タバコすいません」とか
その人の自由だからそれをジャッジする気はないけども
そういう頑なさって、顔とか皮膚に現れちゃう気がするんだよね。

私も含めて日本人にありがちな
そんな「屁の頑張り」みたいなものを

サラっと
「胸?小さくなれば入れればいいじゃない?ハッピーならいいじゃない?」
(確か、キャサリンゼタジョーンズも言ってたきがする)
的な しなやかさをキレイだなあ、と思ったとともに

キレイさに対する喜びとか楽しみみたいなものと共存している彼女を見てて
女性であることを、愛おしいなあ、と思った。

無防備な心を受け入れる

ブレネー・ブラウンという博士がいて
彼女の本を今読んでいる。(実際にはオーディオブックを聞いている)
彼女自身が語っているのだが、彼女は話が面白くて有名なので、
聞いていても、超おもしろい。

先週のケイトの5リズムのクラスの最後のシェアリングで
「私はわけもなく悲しい。私は自分がクソに思える」と言った。
それは11月にエサレンから帰ってきての、空っぽになった感が依然続いている。

私も先生なのに、そんな事を言うので、皆が凍った。

ケイトは
「あなたは絶対に嘘をつかない。とても勇敢で、無防備」

無防備さ:Vulnerability(ボーナビリティって聞こえる)
傷ついてもさらけ出す心、裸のこころ、もろさ、弱さ、を含んだような感じかなぁ。
日本語にはないんだけど、5リズムとかではしょっちゅう使うので、なんと訳せばいいか、時々困る。
Vulberableであれ。Vulberableであり、それを出せることは一番強い、と、5リズム創始者、ガブリエルも絶えず言っていた。

「あなたは無防備さをちゃんとさらけ出せるから皆を震撼させる。でも、もし今そこから抜け出せなくて自分が辛いのなら、ブレネーブラウンを読んでみたら?彼女は無防備さと恥との関係をメインにリサーチを続けている学者よ。」
とケイトが勧めてくれた。

以下、ブレネーの本から、おもしろかったところをピンポイントで抜粋。

======

スピリチャル、スピリチャリティーって履き違えやすい。
一つの観点として、感謝をしたほうがいいということがある。
でも、それに「囚われて」いると、本当の気持ちを押し殺すことになる。
例えば一番辛くて泣きたい時に「ありがとう」って?
本当にありがとうって言いたいのかな?
本当の自分を押し殺すって、スピリチャルなのかな?

文句や泣き言を言うことを恥ずかしいと思っている人?
文句を言わないほうがいいという視点があって、そこに固執する場合、
それって どうなのかな?

実は私の住んでいるところでハリケーンがあった時、電気が2週間止まって、信号は動かず、9月で、30度以上で、蚊が多くて、子供達は蚊に食われて熱を出し、そんな時に私はセラピストにあったのね。

「どう元気?」
「ええ、元気よ。もっとひどいことが起こるかもしれないのに、これくらいで済んだことに感謝しているの。他の人は家もなくなっているというのに、私たちは家があり、ジェネレーターで電気も一応起こせるし」

と言ったら、私を見てくれてるセラピストが

「嘘つき!ケツに火がついてるわ」と言ったの。

「もう最悪!って正直に言いなさいよ!暑くてガキは蚊に喰われて熱出して、クソ洗濯もできないわ、いろいろ文句があるでしょう? ね?ハラ立つでしょ?ハラ立つでしょ?今、誰を殺したい?殺したい人リスト出しなさいよ」
って言ったわけ。

「あ、その通りだ!よし、もう嘘つかない! 実は私の心の中ではすでに3人殺してるわ!」
「よしよし、その調子!他に今欲しいものは?」
「すっごい綺麗な水のシャワーを浴びたいっ!そして、冷風のでるエアコンつきの家よっ!」
 ・
 ・
「どう?今の気持ちは?」とセラピスト
「なんか文句言ってホッとしたわ。強くなった気がする」

セラピストがこう言ったのね
「でしょ?この”愛と感謝”ってね、自分の家の屋根がブッとんで、子供が熱出して電気が通ってない時にするもんじゃないのよ。文句を言う時にはきっちりと言いなさい」

例えば、ペットが死んだ時、それは後々感謝に変わる大きな変化だけれど、死んだすぐに感謝しなくちゃっていうおかしな感覚を持ち込まなくてもいい。

いわゆる「ヨガ的態度」を間違って実践しちゃダメよ。多くの人がヨガ的態度を目指すブームなわけね。「やっときゃいいんじゃないか的に」。
ヨガをやりもしないのに私はヨガパンツを履いてたりもするわ。私だって、探したら家の中に一度も使ってないヨガマットがあると思う。

======

余談だが、そう言えば昔、日本では丘サーファーっつー言葉もあった。
これを聞いて、丘サーファーを思い出した。
 
 
脱線はさておき、これは5リズムともすごくつながる。
私が5リズムを好きなのは、自分に嘘つかないから。
とてもリアルだから。
 
まずは、その感情を押し殺さずに感じること。
感情は押し殺すと「麻痺 しびれ」へと変わる。
 
感情には良いも悪いもなく(それは人間が張ったレッテルであるから)
「この感情だけ排除しよう」と思っても区別できない。例えば嫌な感情を押し殺すと、喜びや感謝も一緒に押し殺してしまうことになる。
 
それと同時に、「まずは無防備で弱い自分を受け入れてから」。
無防備で弱い自分を受け入れるということは、実は何よりも強いのだ。
そのあとで、どんな大変な状況の時も「感謝をする」練習をしよう、と。
 
そして、このビデオの最後にも言っているけども、
「自分は充分よくやってる」と信じること。
自分に対してそう言えたら、その時、周りを聞くことができて、周りにも優しくなれ、自分にも優しくなれる。
 
と、ブレネーブラウン。
 
===

「はじめにリズムがあり、それがパターンとなり、それが波となる。それ以上でも以下でもない」
と、ガブリエルロスも言っている。「リズム」や「パターン」を「癖」と言い換えてもいい。
 
しかも、癖を波というなら、全員が凪いだら、波の面白さはナイ。
私は尖った波だから面白かったり、彼はうねる波だから面白かったりする。
 
悪いところ、悪い癖を治す、治さない、という問題ではない。
「ただあるがまま」を受け入れる。
「良い方に」しかも「治す」という考え方は本来はありえないのだ。

5リズムのみならず、アレキサンダーテクニークでもこのように言う。
多分、仏教でも、何でも、最終的にはこのようにいうのだと思う。
「あるがままを受け入れる」
 
物事(波)は絶えず変わる。だけど「いい」部分に固定して、お取り置きしておきたい。
その宇宙的法則があるにもかかわらず、実際に変わる渦中にいる事は怖く、どこかにつかまりたく、心地いい場所へ自分を限定しておきたい考えが、私を縛り付けていることに気づかなかった(人には言うくせに)。そして「人には言うくせに自分が出来てない」と自己否定する。
 
 
自分の弱さ、脆さにブチ当たったら、それを無視しないで、しっかりと感じること。
そして、感じきって、感じきったら、次へ進む。
 
いくつになったって、人生はこの繰り返しかもしれない。
  
 
クソ長いのに読んでくれた方、ありがとう。
 
ブレネーブラウン氏のTEDトーク 日本語字幕。(この字幕、素晴らしい!)
(2本目のTEDトークも素晴らしい。是非、探して見てみて。)

精神世界から下ネタまで

お寿司屋さんをやっている友人が私につけてくれたキャッチフレーズは
「精神世界から下ネタまで」

スピリチャルサイトを持っている友人がつけてくれたキャッチフレーズは
「スピリチャルテロリスト」

ウケる。

とにかく、
最終的には綺麗事なんだけど
綺麗事で生きていてはツマラナイし
「本当(真実)」にブチ当たらない

泥水から蓮が生えるといいつつ
泥水を見てみないふりをすることも多い世の中、

このキャッチフレーズにふさわしい
英語のジョークを今日はシェア。

そう、ちょっとだけ、シモ、入ってる。

===

昨日、ウチの夫がコーヒーを作ってくれたが
いつもよりスゴーーーーク薄かった。

で、

「今日のコーヒー、アメリカン?」
と私がジョークで聞いたら

「why? is it like “SEX in a boat?”」
(なんで? ボートでのセックス?)

SEX in a boat ってなに?

「You can say Making love in a Canoe」
(カヌーの上でのセックスって言ってもいいよ)

Making love, Make love は、セックスを綺麗にいうときの言葉です。

で、どういうことなの?

「It’s Fucking close to the water!」

・水に近いところでのセックス
・クソ限りなく 水に近い

そう、コーヒーは、クソ限りなく薄かった。

補足説明:

・Make love
・Sex
・Fuck
が同じ意味。性交。

で、ご存知のように、
Fuckには「クソ」とかの否定的な意味もある。

モンティパイソンの中に出てきたフレーズだそうだ。

=========

 

さてさて今日はスーパームーン

何十年に一度かの接近率なのだそうで

そんな日に自分のクラスがあるの、嬉しい。

 

余談だが、私が5リズムを好きな理由の一つは、

「高尚なもの」ばかりに行かず、

しっかりと闇を見て、楽しさに変えるように促すから。

だから私にぴったりで、とても三次元的。

どうせ上へなんて死んじゃったら行くんだから

今のうちに現世を楽しみましょう、的なところが好き。

 

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流す? 流さない?

最初にその事実に遭遇したのはアメリカへ来てまだそんなに経ってない2000年頃だった。

とあるイベントを見に行った時、ホテルのイベント会場のトイレに入ったら水が流れておらず、黄色い液体とトイレットペーパーが見え、嫌な思いをして次のドアを開けるとそこも水が流れていなかった。

5つトイレのあるうち、2つは誰かが入っており、結局残っている3つは全部、水が流れていなかった。
それでもレバーを下げると、水が流れるから、故障ではないらしい。

その、トイレの水も流せない集いは、バシャールの公開チャネリングセッションだった。
バシャールといえばイタコも同然、スピリチャルな集いに集まった人たちは、ドルフィン系のキラキラした出で立ちだった。

てめえら、スピリチャルなクセに、水くらい流しやがれ!!!

と、怒り心頭だった。

もし、その時に小林正観さんを知っていたら「ラッキー」と思ってトイレ掃除くらいしたことだろう。(現に正観さんを知った後は、至るスーパーや公共の場のトイレを狂ったように掃除した時期もあった)

 〜 〜 〜

2016年の今、5リズムを続けて8年になる。

一番近い場所の先生のジョー。
彼女はトイレの水を流さない。
「節水しなきゃいけないから。ここはカリフォルニアよ。ロサンゼルスは砂漠よ。サスティナブル(継続可能)なライフのためにも、たった一回のオシッコで水をあんなに流すなんてバカげてる。ウチへ来た時は、小なら流さないでね」

とても抵抗があったが、ジョーの家へ行った時は、流さないことにした。

 〜

以前、在米北海道人ミチヨと一緒にセドナへ行った時、5人でスイートの一部屋に泊まった。
「ミチヨは夜中にトイレに何度も行っちゃうかもしれないけどさ、水を流す音が聞こえると迷惑だから、流さないから。ね?わかるっしょ?」
というので
「いいよ、流しなよ」
と言っても
「いや。いいのさ。ミチヨは流さないのさ」

 〜

ヒッピーの聖地、トパンガのお家で水洗トイレの場合、二回に一回の割合で流れてない。
もちろん、大の場合に流れてないということに出会ったことはまだない。
が、トパンガのクラスでの公衆トイレも、キレイなのに2〜3回に1回の割合で流れてない。
ヒッピー的には、サスティナブルなライフを目指しているので、そうなんだろう。。。

 〜

5リズムの先生、ルシアと大阪で一緒の部屋に泊まった時、夜中にルシアがトイレに行った形跡があったが、やっぱり流れてなかった。ミチヨ的な音の迷惑なのか、ジョー的なサスティナブルなものなのか、わからないが、流れていなかった。

 〜

ダンスのクラスでは、誰かの後にトイレへ入ると、大概流れてない。

ダンスの友達の家では3件に1件の割合で流れてない。

どうやら、わざと流してないっぽい。

 〜

でも本当のことを言うと、節水が心配なら、個人宅の努力はもとより、自動で流れる空港のトイレやハイウエイのインターのトイレとかを自動じゃなくすればいいのにね。

 〜 〜 〜

で、最近の私は。。。

ミチヨに習ったのか、
夜中のトイレは小ならば流さない。だって下の階に響くもん。

そして異様にオシッコが近い私は、昼間でも自分だけの時は
2度までは流さない。

習慣ってすごいなあ〜〜
(と、感心している 笑)

 〜 〜 〜

で、何が言いたかったのかというと
物事は同じ一つの出来事でも
怒ったり、同意したり、考え方一つで全く正反対に変わるのね、ってコトよ。

だって、水のことだけ考えたらそりゃ流さないほうがエコだけど、気的に考えると、汚物がそのまま放置されているというのはありえないしね。

だから、悪い=いい
は、コインの裏表。
両方同時に存在するのね、ってコト。

光と闇、もっと大きな視点で

愛と光だけがえらいだなんて誰が決めたのだろう?

愛や光は白で、闇は黒。

黒は全てを包括した、最も気高い色だと思う。
だが、人がつくりあげたイメージとは
「善人=白」「悪人=黒」だったりしてね、

黒に申し訳なく思ってほしいと思う。
学ランとか、黒じゃんね?
白がそんなにいいならなんで学ラン変えないの?

「光讃歌」にはいい加減、飽きている。

闇を葬ってはいけない。
闇は光を包括する大きな宇宙なのだ。

なーんて事ね、ずっと思ってたし、ずっと書いてた。

いろんなレベルがあり
いろんな視点があり、
いろんな角度がある、、、

そのレベルや視点や切り口によって、「光が素晴らしい」はとても正しいと思うし
少なくとも人殺しを推奨しているわけではないが、それは敢えて「光が作る影」なのかもしれない。

もし、
全部光だったら、メクラになるだろう。
全部光ってたら、光ってること、分からないだろう。

もうちょっと大きな視点で見てみたら、
闇は宇宙となり、
光はその中に点在する星と成る。

私は星を包括する、宇宙でありたい。

3DのCGをやった事のある人ならわかると思うが、
いわば、闇はグローバル座標の視点。
光はとてもローカル座標の視点。

光になるというのは、日常的、ローカル座標的にはとても正しい(物事に正負はないが)。
けれど、その光は、闇の中で初めて輝く。
だから、闇とは、光を存在させるための大きな器なのだ。

ガブリエル・ロス(5リズム創始者)も

「闇とは、光の子宮である」
と言った。

星も、暗い空がなくては光れない。

〜〜〜

「私に闇がない」という人もいる。

そんなヤツぁいねえ。
マザーテレサにだって闇はある。
なかったら生きている意味がない。(マザーは故人だけども)

 

暗闇のパワーは自分のパワーだ。
その中で光を輝かせたければ、まず闇を真摯に認めること。
そして、グローバルな(闇は光を包括する)視点に変えること。
宇宙的ゲシュタルトよ、これ。

「愛と光」を唱えただけでごまかせるほど、宇宙(世間と言い換えてもヨシ)は甘くないよ。
ソレを認めて初めて「弱み」は「強み」になるのだ。

私はそう思う。

これはスピリチャルでもなんでもなく、
単なる物理である。

〜〜〜

自分内の「闇」が正しく大きくなると、
それ自体が振動を始め、
それは素晴らしくエクスタティックで、
無限の宇宙そのものを感じるようになる。

そして、それは、
光が点在する、限りなく「暗く深い闇」なのだ。

その闇を、宇宙を、感じてみて。

闇の持つ、黒の持つ、

深さを

う〜んと

感じてみて。

アカデミー賞の影にこの女性あり

ブラピとか、ハルベリーとか、ビヨンセにはじまり、シルベスタスタローンまで、いわゆるセレブは必ずといっていいほど、彼女のクラスを受けたことがあるのだという女性。そういえば、ハルベリーが「彼女なしで私のオスカーはありえない」と号泣したスピーチは感動的だった。その「彼女」イヴァナ氏。

「見たい!」

その気持ちは岩をも動かし(笑)、ついにアクター以外は普通入れない、しかも同じアクターでもマスターコースとよばれる上級のクラスを見せてもらえることになった。

まず、役者さんたちがシーンを演ずる。
それにたいしてイヴァナ氏が「指示」を出す。
そして、もう一度、同じシーンを演ずるのだが、、、

これが同じものかというくらい変わる。

38倍良くなる。タマげた。

イヴァナ氏はダメ出しをするわけではない。ただ、アクターたちに設定を指示するのだ。こころの設定、感情の設定、それを役者の実生活と結びつけさせ、そこにアンカーをおいてあげるのだ。

また、とても優秀な役者さんがモノローグをした。コメディだったので、ひっくり返るくらい笑って、こんな完璧な演技には、何も直しなどないだろうと思ったら「あなた、侮辱されたことある?侮辱された時の気持ちを持ったまま、もう一度同じようにやってみて」と言った。

そしたら、みている側は笑うだけでなく、涙がツーっと頬を落ちるような、そこにいる役者さんの人生が見えるキャラクター作りに変わって、印象がググっと変わったのだった。

私は5リズムというソーマティック(体を使った)ムーブメントをしているから、体からウソがわかる。第一回目にアクターたちが演じたシーンだと、たとえ演技は怒っていても、体が怒ってないとか、そういうウソがわかる。

それをどうやってイヴァナ氏はなおすんだろう?と思ったら、そんなモノ、彼女は直さずに、「こころ」の設定を直すのだ。すると、結果としてカラダはついてくる。ココロにウソがなくなると、カラダにウソがなくなるのだ。

役者さんに人生を背負わせるから、とたんに人間味が出て、演技ではなく、一人の人物としてリアルになるのだ。それを見る私たちは、感情移入をしやすくなるのだ。

しかし、その指示を出すイヴァナ氏を見ていると、彼女は演出家とかそういったものである以前に

”シャーマンだ”

いやーー、すごいモノを見せていただいた。

ハルベリーしかり、彼女をメンターとする人がたくさんいるのがわかる。
私も女優だったとしたら「この人がメンター」というと思う。
女優じゃなくても、この人は私が勝手に思う密かなる自分のメンター。

しかし、彼女と一緒に仕事をした人たちは、皆、とてもスピリチャルだと思う。

UFOやエンジェル、聞こえる、見える、とか関係のない、「本当の意味での」スピリチャルね。

改めてアクターという仕事に敬意を評する。

5リズムとも考え方がとても近いと思う。
こころを再現するお仕事。
カラダがウソをつかないお仕事。
自分の人生を役に(踊りに)入れるお仕事。

アクターもダンサーも、本来は技術ではなく「インナーワーク」である。
そこをわかっていないパフォーマンスは、「仮面(マスク)」の域を出ない。

「アクターとは心のアスリートである」 by ガブリエルロス 5リズム創始者

 

日本語版 イヴァナ氏の著書 白石哲也 訳  役者の方は是非読んでみて!

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(日本人でチャバック式演技術のティーチャーズトレイニングを受けた先生がいらっしゃいます。白石さんご本人と、トリさん、もうお一人はなんと桐朋学園演劇科の私の後輩でした!)

 

真ん中が抜けていると、、、

真ん中が抜けている人がいる。

たとえば、
明日の事を考えるのに、今日一日を使っちゃう人。

今、ここにいる ここ、とか 今 とかを
おざなりにする人の事を言っているのだ。

ヨガで、我が師、ブライアンケスト(ちなみにpoweryoga.com )は言う。

「この筋肉を伸ばしている時に、今晩の晩ご飯、何作ろうかしら?と考えている君、君はヨガをしているのではない、クッキングをしているのだ。この筋を伸ばしている時、あら、前の人のヨガウエア素敵だわ、ルルレモンかしら?明日通る時に見てみよう、と思っている君、君は今ヨガをしているのではない、ショッピングをしているのだ。伸ばすべき筋にアテンションしてない。あなたのマインドはどこかへ飛んでいる。」

大笑いしながら激しく同意した。

同じ事が至る局面で言える。

たとえばテキストメッセージ。
テキストメッセージとは便利な世の中になったものだ。
いつでもつかまえられるし、渋滞とか赤信号とかで、ちゃちゃちゃ、とチェックできるし(ホントはダメ)、あれがあるおかげでどんなに便利で楽しく、住所など口頭で無理な事が確認できるだろうか。

だが、映画館で、ずーーーっとテキストしてるバカがいた。
あげくの果てに、あんまりちゃんと見てないからもう一度見たいわ、と言う。

また、私と一緒にいるときに、ずーーーっとテキストをしている別の友がいた。
大事な用事なんだと思って放っておいた。

その友にしょ〜もないテキストを送った時、速攻で返事が来て、「今、友達と食事中よ。これ、食べて、これ食べたの。なかなか美味しいわ」などと言い、会話をどんどんフって来る。

おい、待て。
という事は、私と一緒にいるときのテキストも、そういう事なのか?

Aさんといるとき、Bさんとテキストをし、BさんといるときにAさんとテキストをする。じゃあ、Aさんといる時に、ストレートにAさんと話せばいいじゃないか?
矢印が、目の前(たとえば自分)ではなく、いつも別な方向へ行っている。
いつも、別な所と繋がっていて、あげくの果てに
「ああ〜、人生ってつまんないわね〜」

つまんないのは、
今、この瞬間を、この空間を、大切にしてないからじゃないか?
図で表すと、いつも円周を回って向こう岸ばっかり見ていて、
真ん中の円が埋まっていないからじゃないのか?

また、付け加えるに、写真!
デジカメになってから、いくらとってもランニングコストが安いからやたら多くなったのがコレ。

私も写真を職業柄撮るし、写真が好きだから、気持ちはよくわかるが、セドナなどの観光地へいって、その場の空気に触れずに、気が狂ったように写真ばっかり撮っていると、「写真を撮る」という今この瞬間は得られても、「セドナを楽しむ、感じる、吸い込む」ことを忘れて、ただ、記録して、家に戻ってきた時に写真を見てセドナを思い起こして、自分の脳内でもう一度組み立てているだけのような気がする。

私も、その昔、旅行へ行くのに、パスポートにスタンプを押してもらう事が一番誇らしく、それを自慢げに友達に見せた。そのために旅行をした若かりし頃もあった。

そして、現地へ行くと、まずお土産を探し、それでツアー日程が終わってしまう事もあった。何しに旅行に来たんだ。。。

だから、本当は他人の事は言えないんだが、。

これら全部、ぜ〜〜んぶ、
「本末転倒」と言う。

そしてこれらを繰り返していると、、、

著しく、空しい。

イコール、

自分を愛せない。

自分の愛し方が解らない、という人をよーく観察してみると、
大概は、「真ん中が抜けている」

多分、コレほんと。

アセンションって結局のところ

ウエストハリウッドへ引っ越して一年半。
ここのご近所は、世界屈指のジェンダー(性別)のない世界。
そう、男も女も関係ない、魂そのままで生きている人たちが多く住む場所。世間一般にはゲイ・タウンとも言う。

みんな、キラキラしてる。光の粉が溢れてくるような表情をしている。
楽しんで生きている。お友達も出来た。

11月、日本から友人、由紀子ちゃんの「地球人のための〜」のツアーの方々が来て、ワークショップのコーディネートとアテンドをした。

アタシん家でバシャールのグループセッションをやった。
それからセドナへ行って、神聖幾何学のセミナーも受けたし、ボルテックスへも行き、瞑想もし、スエットロッジだってして、スピリチャルてんこもりだった。

その中でいっこだけ、通常のスピリチャルのツアーでは絶対に入れない事をした。
バシャール後、ごはんを食べてから、誰かがどこか、クラブへでも行きたい、と言い出したので、この落差もな〜、と思いつつ、ちょっと刺激が強すぎるかな〜、とも思いつつ、思い切って皆さんを ゲイクラブ「M」へお連れした。

チップの1ドルの挟み方からはじまって、皆さんに遊び方を少しだけ覚えていただいた。
目を白黒させている人もいた。が、数時間いるうちに、皆さんも慣れてきて、楽しかった模様。

さて、セドナで最終日、皆で集まって感想を言い合った。

「バシャールもよかったし、神聖幾何学もよかったんですが、一番感動したのは、ゲイクラブでした。ああいうふうに皆さんがキラキラ生きていて、スピリチャル云々言うまでもなく、実は、あれこそが愛そのものだと思いました。自分たちが普段とらわれている色んな方面でのワクだとか、そいういうものに気付かされたような感じがして、すごく感動しました」
と、参加者のNちゃんが涙まじりで言った。

うん。そうなんだよ、、、
彼らは、会話の中で、愛とか光とかエンジェルとか あまり言わない。
だって、自分達が愛そのもので、愛に生きてるから言葉に出して言う必要もない。
自分達がエンジェルなんだから、言う必要もない。
ただ、一生懸命遊ぶ。一生懸命、生きる。
愛も、泥沼も、悲しみも、楽しさも、全部背負って。。。一生懸命生きる。

ようこそ、光のフォトンベルトへ。(笑)

結局、アセンションなんて、そういうコトかもしれない。

ありがとうをマントラのように唱えていても、額にシワよって言ってたらウソ丸出し。
そんな他力本願じゃ効果が減少。
本気で笑って本気で泣いて、汗出して、身体で感じる。

上へ上へ(精神へ、エーテルへ)、と行きたかったら、上ばっかり見て背伸びで終わるより、
ちゃんと下へしゃがん(地に足つけて、身体を使って)で、ジャンプしたほうがいい。

奇しくも、
バシャールも
神聖幾何学のアヤも
スエットロッジのシャイナも

みんな、言った事は同じだった。
「まずはグラウンディングして、自分をセンタリングし
 自己統合をすること。
 全てはそこからだ」

と。

地球とつながり、天にのびろ。

私はこういう勘にかけては、人一倍早い。
もう、実はスピっている場合ではない。
と、マジで思う。

でも媒体は何故か、遅いんだよなー、そういう感覚が。。。
ま、いっか。

『遊べ! 遊べ!
 地球というステージで、身体を使って もっと遊べ!』

そう言われているような気がする。

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on my American Bday…..
thank you everybody. love you all.

自己統合 まずは自分を満たす

Happy Thanksgiving!

ゆっくりな時間が流れるLAライフの中、この11月はハードに動かせていただいた。通訳とか、旅(セッション)のコーディネイトとか、なんだか、秋からそういう流れになっていて、やたらセッションとかワークショップにスタッフとして参加させていただきまくっている。

たくさんのたくさんの学びがあり、まったりとそれらの経験を見返している。

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エサレンでのワークショップで、半日だけ、エサレンマッサージの手ほどきをうけた。
その時にルシア(5リズムの創始者:ガブリエル・ロスの義理娘で、エサレン創立時のメンバーの1人、ペギーの娘)が言った言葉からはじまった。

「いいこと?マッサージをするという事は、人のエネルギーフィールドに入って行くという事。相手と同調する前に、”まず、自分自身と統合して、自分と繋がって、自分をセンタリングして”。それをしてはじめて、人と同調する事ができるの。片手をハートに、片手をお腹に、自分の身体をしっかりと感じて、自分を満たしてから、人の中に入っていきましょう」

ほう。。。

ダンスの時も言っていた。
「自分を満たす。自分と統合する。本当の自分になる。そうしたら簡単に人とハートが繋がる」
自分の感覚を大事にして、「他人のためでなく」自分のために踊る時、人のエネルギーを一番感じられるようになる。

パラドックスだけど、何事にもソレが言える。

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ドンミゲルルイス氏に あわせていただいた。長〜〜いハグをしていただいた。
愛、愛、愛の人。
からっぽの心や、かたくなな心、傷ついた心には、この人の愛はすごく染み渡るだろう。

私は、ハグされている間、楽しかった。そして、ミゲル氏との間で、二人の愛を循環させようと思った。

「私たちは一滴の水です。湖の水も、大海の水も、皆おなじ、一滴の水から出来ています。
 だから、私たち一滴の水たちは、大海の水と同じである事を覚えておいてください。
 私たち、ひとりひとり、ひとつぶひとつぶが完璧である、
 ひとつぶひとつぶが愛に満ちあふれているという事。
 そうしたら、池の水も、大海の水も、どこの水とも同じであり、
 繋がっているという事がわかります」

おお、自己統合! マクロとミクロ、、、

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バシャールのグループセッションでも、、、

バシャールも同じように言った。
自己統合をする事。自分を愛する事。自分にうそのない事。そうするとスピードが早い。
「本当に楽しいと思って本当に楽しい事を発すると、本当に楽しい事がやってきますが、
 本当に楽しくないのに、楽しいとウソをついて言葉に出しても、
 楽しい現実はやってこないこの論理、わかりますか?」
と、バシャールらしい口調でまくしたてた。

では、本当に楽しくなりたいのに、楽しくなれない場合はどうしたらいいですか?
の問いに
「何が楽しくさせないか、その恐怖を見てみなさい。
 楽しくない場合、嫌な事を見てみるのも大事。
 いやだという感情は、あなたの恐怖を教えて、あなたを守ってくれていますからね。
 その恐怖を知り、それらをクリアしたら、簡単に楽しくなる。まずは自分。自己統合です」と。

「ファースト、 インッテ〜グレイト ユアセルッフ」というバシャールの口調が耳に残っている。
そして、それから 愛へ。

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セドナではAYAの神聖幾何学のレクチャー。

グラウンディングしている事がいかに大事か、マザーアースのど真ん中に、足から自分を繋げていき、頭は天に。黄金比率などを学びながら、上へ、上へだけ行くのではなく、しっかりと根を張っている事。
「まずは自分としっかり繋がって、センタリングして、そしたら、次に人と繋がる事ができます」

ああ、ルシアもいってたっけなあ、バシャールもいってたっけなあー

また、陰と陽の統合でもあり、○と|の統合でもある、”ファイ∅” でもある、と。
私が昔歌っていたユニットが ルナティック ファイ(∅)というので、ひさしぶりにファイを見るなんて、と少し嬉しかったりもした。

AYAもまた、愛、愛、愛の人。

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日程も短かったので、ボルテックスなどをチラっとカスった後、スエットロッジへ。

地面に描かれていた文字は無限大のインフィニティ ∞ (←8の横になったバージョンね)

まずはグラウンディング、そして自己センタリング。
そうすると初めて外と繋がる、と。
自己統合、内部統合の後、外と繋がる。
それらは永遠に続くから、インフィニティを選んだ、とスエットロッジをやってくれたシャイナが言っていた。

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まあ、人というのはえてして自分に必要な部分だけを吸い取るので、私の仮題がそういう事だったから、全ての人がいっていた中で、ソコに反応しただけかもしれないが、これだけの人が「自己統合」を言うのは、オモシロイなと。

自分が寂しいから人の面倒をみたり、自分を満たす事のかわりに、他人の世話をするタイプとか、
他人の事で忙しい忙しいといって、自分がぽっかり空っぽになっちゃうタイプとか、
自分にヒーリングが必要だからヒーラーになっちゃうタイプとか、

まあ、どれも多かれ少なかれ、私にも当てはまるんですが、

約20日以上にわたる「人と一緒」の時間が終わり、やっと1人になり、
「ああ〜〜、自分を満たす時間〜〜〜」と、今、まったりとシアワセ。

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「センタリングして自分と繋がる」をビジュアルでたとえるならクリスマスの電飾のようなモノかもしれない。
自分の電球が切れてるのに、皆とつながっても光らない。まず、自分の電球のタマ、チェックしましょうって事なのかもしれないな、なんて。

ああ、モノのたとえにクリスマスが出てきちゃう季節になっちまいました。
え?もう? みたいな。景色的にも時間的にも、季節感全然ないんですけれども、、、(笑)