流す? 流さない?

最初にその事実に遭遇したのはアメリカへ来てまだそんなに経ってない2000年頃だった。

とあるイベントを見に行った時、ホテルのイベント会場のトイレに入ったら水が流れておらず、黄色い液体とトイレットペーパーが見え、嫌な思いをして次のドアを開けるとそこも水が流れていなかった。

5つトイレのあるうち、2つは誰かが入っており、結局残っている3つは全部、水が流れていなかった。
それでもレバーを下げると、水が流れるから、故障ではないらしい。

その、トイレの水も流せない集いは、バシャールの公開チャネリングセッションだった。
バシャールといえばイタコも同然、スピリチャルな集いに集まった人たちは、ドルフィン系のキラキラした出で立ちだった。

てめえら、スピリチャルなクセに、水くらい流しやがれ!!!

と、怒り心頭だった。

もし、その時に小林正観さんを知っていたら「ラッキー」と思ってトイレ掃除くらいしたことだろう。(現に正観さんを知った後は、至るスーパーや公共の場のトイレを狂ったように掃除した時期もあった)

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2016年の今、5リズムを続けて8年になる。

一番近い場所の先生のジョー。
彼女はトイレの水を流さない。
「節水しなきゃいけないから。ここはカリフォルニアよ。ロサンゼルスは砂漠よ。サスティナブル(継続可能)なライフのためにも、たった一回のオシッコで水をあんなに流すなんてバカげてる。ウチへ来た時は、小なら流さないでね」

とても抵抗があったが、ジョーの家へ行った時は、流さないことにした。

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以前、在米北海道人ミチヨと一緒にセドナへ行った時、5人でスイートの一部屋に泊まった。
「ミチヨは夜中にトイレに何度も行っちゃうかもしれないけどさ、水を流す音が聞こえると迷惑だから、流さないから。ね?わかるっしょ?」
というので
「いいよ、流しなよ」
と言っても
「いや。いいのさ。ミチヨは流さないのさ」

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ヒッピーの聖地、トパンガのお家で水洗トイレの場合、二回に一回の割合で流れてない。
もちろん、大の場合に流れてないということに出会ったことはまだない。
が、トパンガのクラスでの公衆トイレも、キレイなのに2〜3回に1回の割合で流れてない。
ヒッピー的には、サスティナブルなライフを目指しているので、そうなんだろう。。。

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5リズムの先生、ルシアと大阪で一緒の部屋に泊まった時、夜中にルシアがトイレに行った形跡があったが、やっぱり流れてなかった。ミチヨ的な音の迷惑なのか、ジョー的なサスティナブルなものなのか、わからないが、流れていなかった。

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ダンスのクラスでは、誰かの後にトイレへ入ると、大概流れてない。

ダンスの友達の家では3件に1件の割合で流れてない。

どうやら、わざと流してないっぽい。

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でも本当のことを言うと、節水が心配なら、個人宅の努力はもとより、自動で流れる空港のトイレやハイウエイのインターのトイレとかを自動じゃなくすればいいのにね。

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で、最近の私は。。。

ミチヨに習ったのか、
夜中のトイレは小ならば流さない。だって下の階に響くもん。

そして異様にオシッコが近い私は、昼間でも自分だけの時は
2度までは流さない。

習慣ってすごいなあ〜〜
(と、感心している 笑)

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で、何が言いたかったのかというと
物事は同じ一つの出来事でも
怒ったり、同意したり、考え方一つで全く正反対に変わるのね、ってコトよ。

だって、水のことだけ考えたらそりゃ流さないほうがエコだけど、気的に考えると、汚物がそのまま放置されているというのはありえないしね。

だから、悪い=いい
は、コインの裏表。
両方同時に存在するのね、ってコト。

それぞれの愛のカタチ 1)

「アンは最高にいかしたヒッピーガールだったんだ」
夫は、ワシントン州オリンピアに住む姉、アンの事を話す時、いつもそういいながら嬉しそうにする。姉、アンは、ポートランド、オリンピアと、ヒッピーのメッカにばかり住んでいるんだ、と笑う。

オリンピアでのファイブリズム(R)ダンスのワークショップに急遽参加する事が決まった私に、正月にもかかわらず、アンは快く宿を提供してくれた。

「私も昔、オレゴンのポートランドでファイブリズムをやっていたのよ」
もう、この言葉を聞いただけでアンは「My People(私の仲間)」であり、いらない社交辞令は必要ナシとなった。

ワークショップの時に消化しやすいように、いったその日に大鍋にスープを作ってくれ、野菜のヘタなどはコンポストにして、裏庭の畑へ埋め「ミミズがちゃんと出てきてるからほら、鳥がいっぱい来るでしょう?」と笑った。

彼女はスープのみならず、青汁系プロテインを水筒に詰めてくれたり、バスの時間のチェックから遅い時間の送り迎えまで、まるでステージママのごとく色々とやってくれた。

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とある朝、私が10時ごろキッチンに出て行くと、アンの夫、テッドが料理をしていた。
「君はスープを食べなさい。僕はアンにランチを作るから。アンが君を乗っけて行く時に食べやすいようにエッグ・マフィンを作ってる」

大きなテッドが持った1つの卵用の小さなフライパンはまるでオモチャに見えた。丁寧に丁寧に愛情をそそぎ、そのフライパンにバターをころがす姿をカウンター越しに見ている時間が大切に思えた。

「テッド、自分のぶんは?」
「僕は別なものを食べるからいいのさ」
「そうやっていつも、アンの食事をつくるの?アンだけのために?」
「そうだよ。愛する人のために作るのは、とても楽しいものさ」

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アンとテッドは2011年の10月に結婚した。
57歳同士の再婚だ。

卵とバターの匂いが立ちこめてくる中、テッドはこう言った。

「僕とアンは、もう30年も知ってるんだよ。君も聞いたかもしれないけれども、僕がアンにはじめてあったとき、お互い一目で恋に落ちた。だけどその時、アンは僕の親友、ジムとつきあってたのさ。僕たちは一緒に同じバーで、バーテンダーとして働いてたんだ。アンと出逢った時、彼女はすでに親友の恋人だったんだよ」

そして、テッドはあきらめるためにすぐに他に彼女を作って結婚し、二人の子供を作った。それはアンがジムに自分の気持ちを話そうかと思っていた矢先だったのだそうだ。
アンもジムと子供を作り、ふた家族は友達として仲良くしていた。

が、テッドの妻は、幼い息子二人をおいて、ガンを患い、たった30歳で帰らぬ人となった。

親友ジムはテッドを心配し、男達は一緒に飲みに、一緒にフットボールにでかけ、両方の子供達は、アンが家で面倒を見ている日々が続いたのだそうだ。

お互い、隠しきれない情熱を持っていたのをジムが気付いたのか、そのうちジムはドラッグに走り、家庭は半崩壊し、アンがこれ以上一緒に住めない、と言うと、ジムは家を出て行った。

その数週間後、テッドがアンに電話をかけた
「アン、だいじょうぶかい?」

それが全てだった。

もう、誰もとめられなかったのだそうだ。

長い長い道のり。

ドラッグをやめて戻って来ようと努力したジムは可哀想だったと思うけれども、人には役割がある。
ジムという美しい人の遺伝子を持って産まれたデイビッド。
30歳でなくなったテッドの奥さんは、二人の息子を残す必要があったと思う。

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「ぼくたちはね、本当にお互いが大好きなんだよ」といいながら
マフィンをやいて、大事そうにワックスペーパーに包み、愛おしそうにマフィンを持ち上げ、オーブンのなかで冷めないように、暖めているテッドが私の目の前にいる。
なんて暖かい風景なんだろう?

朝のシャワーを終えて、髪をふきながら出てきたアンは、
「私たちはずっと子供達が大きくなるのを待っていたのよ。傷つけたくなかったから。そして、去年の夏、子供達に話したら、皆が喜んでくれたの。だから結婚したのよ」
といいながら、テッドにマフィンのお礼のキスをした。

私も、あの時に離婚してアメリカへ来なかったら、
こんな光景は目にしていないだろう。

肝心なトムをロサンゼルスで留守番させて、トムの姉の家にいる。
そこで、姉の30年の恋の実りを見ている。

人生って不思議だ。