瞑想の仕方 その1

瞑想の仕方:

簡単なのをいくつかご紹介します。

足は座禅やヨガみたいに組んでもいいけど、
痛かったら無理なんてする必要はなく、椅子に座ってもいい。
あんまり深く考えないで、自分が心地よい方法を見つけること。

「ザ・瞑想!」みたいに大仰に考える必要はなく
自分と向かい合うことの方が大事なので、
「厳しい訓練!」みたいな考えは捨てて、
あくまでも自分が心地よい座り方、瞑想への向かい方を見つけてください。

そして、基本「背筋まっすぐ」
これは一応守ったほうがいいと思う。

まっすぐにできなかったら、寝転んでもいいけど、
寝転ぶと、私は寝ちゃう。

1)
自分の呼吸に集中する瞑想

少し音を立てて呼吸します。
ヨガで言う「ウージャイ」呼吸が一般的ですが
(*ダースベーダーみたいな音)
鼻呼吸で「少し音立てる」と思ってやれば
そんな程度でオーケー。

そして、耳をすませて、自分の呼吸を聞く。
呼吸は ゆーーーっくりと 吸いながら、
自分のタイミングで
「1、2、3、4、5、6」と数える。
吐くときも
「1、2、3、4、5、6」

吐くとき、吸うとき、同じ長さで
大きくなったり小さくなったりせずに
たえず同じ量(同じ量の音)が出るようにする。

これに集中してると、5分くらいはあっという間です。

この時の呼吸の数え方例:

手のひらを上にして、親指と人差し指でOKマークを作って、呼吸一回目。
次は、親指を人差し指の第1関節に持って行って、呼吸2回目。
次は、親指を第2関節に持っていって3回目。
次は、親指を第3関節に持っていって4回目。

そしたら、次からは、親指を当てる場所を、
中指に、そして、薬指に、そして小指に、と変えていきます。

これで16呼吸、数えることなく呼吸できます。

実はこの数え方は、ビクラムヨガ、ホットヨガなどで有名なビクラム・チョードリー御大がティーチャーズトレイニングで教えてくれたやり方。
ちなみに私はトレイニングはとってませんが、たまたまその場に居合わせて、瞑想1クラス、特別参加せてもらいました。

===

これ、結構「無」になれる呼吸です。

「あ、ダメだ、今、吸うときにブルブルってしちゃった」とか
思っても
その思考を放っておく。

「あ、そう思ったのね」
くらいのノリで。

褒められたり、誰かに勝ったり、
何かを得られたりするものではないし、

「すごいでしょ?私、スムーズに呼吸できるのよ」
って、そんなことで自慢しても
「え?もしもし?」
って言われるのがオチだし、

「そんなことで褒められても、
 そんなことで人に勝っても
 トロフィーもらえないし、
 万が一トロフィーもらっても、
 飾るの恥ずかしいだろう?」

と、パワーヨガのブライアン・ケストも昔、言っていた。

あくまでも自分が、自分と向かい合うための、
という意識でどうぞ。

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言い訳をしない。

”体が硬いから、柔らかくなってからヨガに来ます”
”太っててヨガウエアになるの恥ずかしいから、少し痩せたら来ます”

ってヤツがいる。

体を柔らかく自分をメンテナンスするためにヨガをするんじゃないのか?
君らはいったい、何のためにヨガをやるんだ?
体が1日で柔らかくなります、って薬をテレビショッピングで販売したら
君たちは買うのか?
体を柔らかくする意味は何なんだ?

===

10数年前、ブライアンケストのヨガに夢中で通っていた頃
ブライアンが毎日言っていた言葉である。

行きたくない時は
人はいろんな場所から言い訳を探してくる。

行きたくなかったら
「行きたくない」
では、ダメなのかな。

どうして色々な言い訳をするのだろう?

と言いつつ、私もするのね。

で、スケジュールが重なった時などは
正当な理由が見つかったかのごとく
大喜びで
他の時は連絡もせずに行かないくせに
「ごめんなさい、その日は これこれと重なっていて、、、本当は行きたいんだけど」

などというウソをつく。

===

言い訳をしない

という課題を自分に課してみたら
どんな風になるだろう?

行くか、行かないか。

やるか、やらないか。

理由を聞かれた時、
取り繕わない。

たったそれだけのこと。

そして、言い訳をしなくてはいけないような
思わせぶりなこともしない、言わない。
それを「言い訳をしない」に
セットするといいと思う。

日本人には、こっちの方(思わせぶりなことを言う)が
難しいかもね。

真ん中が抜けていると、、、

真ん中が抜けている人がいる。

たとえば、
明日の事を考えるのに、今日一日を使っちゃう人。

今、ここにいる ここ、とか 今 とかを
おざなりにする人の事を言っているのだ。

ヨガで、我が師、ブライアンケスト(ちなみにpoweryoga.com )は言う。

「この筋肉を伸ばしている時に、今晩の晩ご飯、何作ろうかしら?と考えている君、君はヨガをしているのではない、クッキングをしているのだ。この筋を伸ばしている時、あら、前の人のヨガウエア素敵だわ、ルルレモンかしら?明日通る時に見てみよう、と思っている君、君は今ヨガをしているのではない、ショッピングをしているのだ。伸ばすべき筋にアテンションしてない。あなたのマインドはどこかへ飛んでいる。」

大笑いしながら激しく同意した。

同じ事が至る局面で言える。

たとえばテキストメッセージ。
テキストメッセージとは便利な世の中になったものだ。
いつでもつかまえられるし、渋滞とか赤信号とかで、ちゃちゃちゃ、とチェックできるし(ホントはダメ)、あれがあるおかげでどんなに便利で楽しく、住所など口頭で無理な事が確認できるだろうか。

だが、映画館で、ずーーーっとテキストしてるバカがいた。
あげくの果てに、あんまりちゃんと見てないからもう一度見たいわ、と言う。

また、私と一緒にいるときに、ずーーーっとテキストをしている別の友がいた。
大事な用事なんだと思って放っておいた。

その友にしょ〜もないテキストを送った時、速攻で返事が来て、「今、友達と食事中よ。これ、食べて、これ食べたの。なかなか美味しいわ」などと言い、会話をどんどんフって来る。

おい、待て。
という事は、私と一緒にいるときのテキストも、そういう事なのか?

Aさんといるとき、Bさんとテキストをし、BさんといるときにAさんとテキストをする。じゃあ、Aさんといる時に、ストレートにAさんと話せばいいじゃないか?
矢印が、目の前(たとえば自分)ではなく、いつも別な方向へ行っている。
いつも、別な所と繋がっていて、あげくの果てに
「ああ〜、人生ってつまんないわね〜」

つまんないのは、
今、この瞬間を、この空間を、大切にしてないからじゃないか?
図で表すと、いつも円周を回って向こう岸ばっかり見ていて、
真ん中の円が埋まっていないからじゃないのか?

また、付け加えるに、写真!
デジカメになってから、いくらとってもランニングコストが安いからやたら多くなったのがコレ。

私も写真を職業柄撮るし、写真が好きだから、気持ちはよくわかるが、セドナなどの観光地へいって、その場の空気に触れずに、気が狂ったように写真ばっかり撮っていると、「写真を撮る」という今この瞬間は得られても、「セドナを楽しむ、感じる、吸い込む」ことを忘れて、ただ、記録して、家に戻ってきた時に写真を見てセドナを思い起こして、自分の脳内でもう一度組み立てているだけのような気がする。

私も、その昔、旅行へ行くのに、パスポートにスタンプを押してもらう事が一番誇らしく、それを自慢げに友達に見せた。そのために旅行をした若かりし頃もあった。

そして、現地へ行くと、まずお土産を探し、それでツアー日程が終わってしまう事もあった。何しに旅行に来たんだ。。。

だから、本当は他人の事は言えないんだが、。

これら全部、ぜ〜〜んぶ、
「本末転倒」と言う。

そしてこれらを繰り返していると、、、

著しく、空しい。

イコール、

自分を愛せない。

自分の愛し方が解らない、という人をよーく観察してみると、
大概は、「真ん中が抜けている」

多分、コレほんと。