仮面の裏側、エゴの下

昨日書いたブログ、

それは、仮面のワークショップを展開している
ロブ・ファウストのパフォーマンスを見たことがきっかけで思い出した。
 
演劇科卒業の私にはとても面白かった。
 
特に「ゼロに帰る。ニュートラルに帰る」というところがツボにはまり、昨日のブログとなった。
 
 
仮面のパフォーマンスをするロブは、
古くはコンタクトインプロブのダンサーでもあった、
と自己紹介をした。
 
ルシアの5リズムのワークショップに来た時、彼はルシアのワークに惚れ、
彼のパフォーマンスを見たルシアは彼のワークに惚れ、
本来はルシアのワークショップの後に、
ルシアとロブと二人で「5リズム&マスク」というワークショップをするはずだった。
  
私はそのアシスタントにも入るはずだったのだが、
今回のエサレンの通行止につき、
週末のロブ絡みのワークショップはキャンセル。
 
その代わりに、パフォーマンスだけをしに来てくれた。
 
「Behind the mask / beneath the ego」
(仮面の裏側/エゴの下)
 
 
 
ほぼ同じものがこちらのTED TALKにアップされていたので
訳をつけてみた。(下記参照)
本職ではないので、間違いがあったらご指摘を。
 
ロブ・ファウストのパフォーマンスはこちらから。。。

 
 
 
=======
 
おしゃべり 4分目くらいから の訳 
4:00〜
 
私のバレエ、お楽しみ頂けましたか? ありがとう!
ね?マスクは面白いでしょう?
私はニューオーリンズで生まれ育ち、マディグラという仮面の祭りで育った。今日はこのマスクを比喩として、非言語コミュニケーションとユーモアを探っていきたいと思います。
 
今日は「リセット」と言うコンセプトにパーフェクトな仮面を持ってきました。
「ニュートラルの仮面」といいます。
演劇の先生はこれを生徒につけさせ、「心理的ゴミや過去やエゴを持たない、大人の体のまま生まれてきた人」を仮定して、全くのニュートラルでいるように、という練習をさせます。
このキャラクターは、姿勢もニュートラルで、早くも遅くもない通常のスピードで歩き、悪い態度もせず、感情も持たず、個性も持ちません。
 
これ、簡単じゃないです。なぜなら人間というのはニュートラルではないから。
いつも5つくらいのこと感じて抱えてて、自分個人のスタイルがある。
 
俳優にとってのチャレンジとは個性をリセットして「からっぽにすること」。
新しいキャラクターを入れるために、まずはリセットする。
 
現在7兆人の人が地球にいて、一人として同じ人はいなません。
でもパラドックスは、必死で理解しようとしている文化的違いや、内なる/外なる政治的な葛藤や平和がありますが、仮面の後ろ、エゴの下に隠された私たちは、本来は皆同じ、一つということです。
 
ちょっとこのニュートラルの仮面をかぶってみますね。
そのあと、もっと楽しいのをします。
 
 
 
おしゃべり 10分41秒目から の訳
10:41〜
 
ありがとう。マスクを見たとき、同じ顔をした人、いますか?もちろんいますよね。私は知っている、なぜなら、見てたから(会場笑い) 同じ気持ちになった人、いますか?いますね?
通常、女性がイエス、って答えるんだ。男性より強く共感する。男性諸君、来世紀には、ね。ま、男だって頑張ってるんだけどね。「ハニー、リセットしようと頑張ってるんだよ、君を、理解しようとしてるんだよ」って。
 
共感っていうのは通常、身体的なもの、潜在的なものです。頭で考えて出来るようなことではない。そして感情とは「伝染する」もの。いつも驚かされるのは何十年も何十年も一緒にいるカップルが本当に似てくること。似た顔の人が結婚するのではなく、彼らは互いを鏡のように長い間見あって、共感して、長い間同じ顔の筋肉を共有してるんだから似てきて当然だ。同じ笑顔をして、同じ眉間のシワがある。
 
「ハニー、具合悪そうだけどどう?何かいる?お茶?それともウイスキー?」(と心配顔で見る)
同じことを、こんな感じでやってみたら
(と、心配毛のない言い方で同じことをいう)
この結婚は長くないですよね。
 
共感は顔に出てくる。体に出てくる。声のトーンに出てきます。
 
最近の脳科学で言われていることは、私たちが受け取っている80%の感情のインフォメーションは顔の表情、声のイントネーション、そしてボディ・ランゲージだそうです。20%のみが実際の「コトバ」
ってことは、何を「話せば」いいのか、ってことですね?
ダンスしたりハグしたりする?
いや、もちろん20%は大切だ。
 
言いたいことは何かっていうと
 
「ロブ、どう?元気かい?」
「あ、元気だよ、ただ寒いだけさ。うん、クールだよ、あ、リラックスしてるともさ。ホントに!」(と肩が異様に上がっている)
 
(その首を元に戻す。 *ようは、体は嘘つかない、ってコトですね by Masayo)
  
  
さて、今日は一つ別なことをやってみたいと思います。ほんの少しの違いを見ててくださいね。
アイラブユー(パターン1)
アイラブユー(パターン2)落ち着いた感じ
ほんの少しの違いです。
 
皆、立って、3種類、違った言い方でアイラブユーを言ってみてください。
 
みなさん、ありがとう!
イスタンブールのみなさん、最高だ。3組のカップルが去っただけだ(ジョーク)
  
  
ソクラテスは「未踏の(手つかずの)人生は生きる価値がない(The unexamined life is not worth living)」と言いました。
嬉しいことに「何が深刻か」を知ることは「何が笑えるか」を知ることでもある、とも言いました。
彼は、こんにちの科学者が言う「ユーモアが人をつなげ、信頼を築き、同期させ、クリエイティブな流れを作り、緊張を弱める」ことをすでに知っていました。
 
ということで、最後にもう一つ、お楽しみいただきましょう。
 
 
あ、もう一つだけ言いたいのですが、もし私たちが芝居のセンスとユーモアのセンスを持ち合わせていたら、もっと良い先生に、もっと良いビジネスマン、科学者、看護士、医者、政治活動家、友人、になれるでしょう。
 
ユーモア。大きいですよ。
 
〜 終了

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役割とアイデンティティ

私たちの中には女性性もあり、男性性もある。
私の中のインナーオヤジはかなり強く、そんじょそこらの男より男らしかったり、私の友人の女性たちは、皆こぞって内側がオッサンでありサムライであり(笑)
また、ウエストハリウッドは世界屈指のゲイタウンにつき、柳腰で歩く男性が50%を占める。

これらはとても正直なコトなのだ。
そして、もっともっと増えていくと思う。
なぜなら、魂に性別はないから。

と、性別のことだけを浮き彫りにするつもりなんてないのであって私が伝えたかったことはこれら、オトコ、オンナというものも単なる役割であるということ。

女、男、娘、妻、姉、夫、父、母、祖父母、長男、日本人、部長、係長、会長、社長、先生、弟、応援団の3年(わかる人にしかわからない)、風紀委員長、歌手、自由人、バンマス、水商売、農夫、地主、親方、ダンサー、サーファー、ボクサー、ファイター、サラリーマン、OL、リーダー、生徒、プー太郎、政治家、負け犬、貧乏人、金持ち、遊び人、、、

ゼーーーーンブ役割。
ゼーンブ自分を限定して安心できるアイデンティティ。

これらのアイデンティティは
「母だからこうあるべき。男だから泣いてはイケナイ。社長が払う」
などという社会的な常識と直結している。

そして、人間の中には、役割だけではなく、5リズムで言うところの性格のアーキタイプ(鋳型)もある。
(興味がある方は5リズムのワークショップ、God Sex and the bodyを受けてね)

しかも、これら役割は兼任しちゃうのね。
一個じゃない。
ようは違った顔を持っているということ。

私は
女であり、同時にアメリカ人夫の妻であり、
日本人の父の娘であり、
フォトグラファーであり、
犬のキキの飼い主であり、
5リズムの先生。

どれも私。
「じゃあ、私の実体は何?どれ?」

実は、仮面に寄りかかりすぎると、それを亡くした時の喪失感はスゴい。

私がカリスマOL(自己申請)だった後、
仕事を喪失した時の、羽のもぎ取られ感ったらなかった。

私が日本でブイブイ言わせたCGの会社の、名前の知れた女だなんてアメリカでは誰も知らなかった。
日本では「CGのイマージュの雅代です」と言えば、それこそD通、H報堂などに名前を轟かせていたのに。

その時もいみじくも思ったのだけれど
「私の実体とは、なんだろう?」

私が私でいるために、
役割とは単なる衣装であって、マスク(仮面)であって、
それらは場所ごとに外すのだ。そして付け替えるのだ。

本当の私とは、限定しない、ワクのない、
常に変動するモノ。

本来の自分に出会うと、痛いほどに嬉しく懐かしくなる。
本来の自分に出会うと、自己が空(くう)に消えてしまいそうになる。

本来の自分に出会うということは
ただ、息を吸って、吐く、
その間にあるモノに戻ることなのかもしれない。

どーだっていい大切なモノに帰る。
どーだっていい愛おしいモノ。
どーだっていい透明なモノ。

それでも人間ってさ、
カテゴライズしてラベル貼って、
自分を納得させたいんだよね。

それもまた愛しい。

仮面舞踏会

少年隊じゃないのよ。
ハロウィンなのよ。

ハロウィンは仮装をする。
仮面をつけたり、コスチュームを着たり。

私たちの日常も、実はコレ。

「役割」という仮面をつけている。

「お母さん」だったり
「良い妻」だったり
「いい娘」だったり
「しっかりモノのお父さん」だったり
「えらい社長」だったり
「働き者で愛想のいい受付嬢」だったり。

仮面を自分だと思っている場合がある。
また
家に帰った途端、仮面を外す場合もある。

仮面は、とても便利なモノ。

比喩として言うのだけれど、
全部ハダカになってしまうと、とても勇気のいること。
ハダカになれるというのは、とても強いこと。

私たちにその強さがない時、
私たちはとても便利な仮面をつける。

「爽やかなお兄さん」とか
「すごく優しいおばちゃん」とか
「面倒見のいいおっちゃん」とか。

それらがちょっと仮面を外した時
人は
「あの人、変わった」という。

本当は変わってないと思うよ。

私もいっぱい仮面を持っている。
意識的であろうと、無意識であろうと
便宜上、いろいろと、付け替えている。

だけど

自分が 仮面をつけていると知らないで
その仮面が馴染みすぎた時
それは シビレとなる。
外したくてもなかなか外せなくなってしまう。

そして、そんな頃、
自分を限定し始めてしまうのだ。

「私って、こういう人だから。。。」

〜  〜  〜

さて、あなたはどんな仮面をつけてますか?

人の評価は面白い

前の5リズムの大きなクラスの感想を
ここ数回、いつも一緒になるオヤジ、フィルがくれた。

「いやーー、良かったよ。
終わった後、外にいた皆とも話して、
少なくとも1ダース以上の人が、
素晴らしかったって盛り上がってた」

と言われて、まあ嬉しくないワケではない。

「どこがよかったの?」

と聞いた。

「君の良さと言えば、シャドウ(闇)に、
きっちりと向かい合わせてくれたことだった。
あの時の君は、マスク(仮面)のワークショップを
そのまんま持ってきたような感じがした。

そして、クリアに人をエネルギーでまとめて、
深い闇につなげて、自分に向かい合わせてくれた
とても深いクラスだったよ」

ここまでは、自分でも気づかなかったので
ほう、そうだったか、と聞いていた。

「クラスの成功の一つには、キミが初めてだから、
皆が一生懸命聞こうとした。それは否めないよ。
でも、それ自体、生徒皆にはとても良かったんだけど」

なるほどね、それはそうだ!

「そして、君の英語も 充分なんだ。
君の英語自体、間違ってたとしても
通じるし、まさにポエムみたいに聞こえる。
だから、それは強みになるんだ」

なるほど。

「君は存在感があるわけでもないし、
そこにいて、うわあ〜〜〜!っていうふうなオーラとか、
綺麗で、そこを通っただけで皆がひれ伏すっていう訳でもない」

 

・・・ は ?

 

私の顔は少し固まったか、歪んだか、
困った顔をしたか、ニヤリと笑ったか
このうちのどれかだったと思う。

「さりげな〜く、平然とした態度で
がっつりとシャドウに向かわせておいて、
皆に さ、踊ろ!と、軽くいうあたり、
とにかく、君はすごいものを持っているんだと思った」

下げといて、アゲか?

「言っとくけど、Presenceは、そんなにないのにね?
うん、ほんとだ、Presenceはないのにね?」

* Presence : 存在感、 あり方、 堂々とした様子

 

 

ほっとけ。(笑)

 

 

 

「ありがとう、お褒めの言葉だと思って、いただいとくわ」

と言って帰路に着いた。

〜 〜 〜

そっか。

じゃあ、もっと堂々と威張っちゃおうかな。

日本だったらもうちょっと堂々としてる。
コッチでは、若く見えちゃうのもあるし、
ハジメテのことだったので
ちょっと可愛子ぶってたのかもしれない。

私の敬愛する師匠、ケイトやその夫ティムは
「あんたが本気入れた時のPresenceはハンパじゃないわ。
そこをしっかり知っておくといい」
という。

「マサヨはスイートで、あなたを愛さない人って
いないんじゃないかと思うわ」
とジョーは言う。

「誰もあんたの隠されたドラゴンを知らないのよ。
ふふふ、それが魅力なのにね。皆、知らないのよ」
とフローが笑う。

〜 〜 〜

人はいろんな見方をする。
だから面白い。
だから聞きたい。

嫌で帰った人もいたかもしれない。
その人の意見も聞きたい。
だって、面白いもんね?

そして

どれが本当かなんてない。
どれも本当。
どれもその場限り。

仮面:キャラに振り回されるな

「私、こういうキャラでいきます」

FBでこれを読むたびに、ちょっと悲しくなる。
痛くなる。

人は多面体で、いくつもいくつもの自分の要素がある。

あまりにも自分がたくさんあって
ほとんどすべての要素があって
すなわち、自分なんてものは存在しない。

全てであり 空(くう 何もない事)である。
もはや仏教的。

だから、

私はこういうキャラだとか
断定しないほうがいいと思う。
断定する必要性があるなら「なぜ?」と問いたい。

ラベルをつけたがる人が多い。

「私ってこういう人だから〜」

「母は頑固で、絶対に変わらない」

いや、変わるから。

頑固な母に、私より柔軟な面があるから。

物事は流れる水のごとく
絶えず変わっている。
まちがいなく、絶えず。。。

いいですか?

「こういうキャラでいく」
というのは

とっても便利な仮面(マスク)をつけることであり
「本当の自分(絶えず変わり続ける自分)を隠す」
ということです。

それらの仮面は
時に
多いに利用すればいい。
多いに使えばいい。

だけど、

ずっとその仮面をつけてるんじゃなく、
1日の中だってしょっちゅう外す。
しょっちゅう変える。

だから、
「このキャラで行く」

というものではない。

なぜなら人生は
「商売ではないから」

人生ってもっと、ナマなのよ!

仮面っつーのはね、
商売のためにつけるの。

男と会う時、
仕事をする時、
親の前へ行った時、

便利ならばガンガン付け替えればいい。

だけど、固定しないよね。

そして、付け加えるならば
本当に優れた役者や商売人は
仮面をつけない。
ナマの自分で勝負してる、
その強さがある。

マスクはマスク。

〜 〜 〜 〜

あ、今日のワタシは偉そうだな〜〜。

「いいですか?」とか言ってる。

ま、いっか。

〜 〜 〜 〜

5リズムでマスクのワークもある。

今度、日本へ帰った時にはソレをしようかな。

この石をあなたに

仮装をしたままの私に、天使の羽根と仮面の仮装の、1人の女性がやってきてこう言った。

「この石を持ってて。これはあなたの石。ライターの石。あなたはモノを書く人でしょう?書く時にこの石をにぎって、少し瞑想してから書くといいの。お守りに持ってて」

その石は、ビー玉とかおはじきみたいな石だったが、黒い手袋をした私の手のひらの中で、キランと光ったような気がした。

 ***

大晦日の仮装パーティー。コスチュームで踊り狂う年越しはまさにアセンション!(笑)
参加したワークショップのメインイベントは、この仮装年越しであると言っても過言ではない。

キラキラカツラに金のシルクハット、へんな眼鏡をかけて、スパンコールのトップに黒の手袋とブルーのチュチュを着たヤツが私だと誰も気付かなかった。誰がどこの国系の人かなんて、もはやワカラナイ。

普段は案外、笑顔やコトバ、自分の好みの洋服でキャラクターが成り立っている。服装は主張であり、その創り上げたキャラクターの中に自分をおいている。
が、仮装をすると、それら自分の普段のキャラクターはどこかへ姿を潜め、「一定の鋳型の仮面」の下で、その人本来のもつ雰囲気、その人のリズムのとりかた、心の開き方、他人への侵入して来かたのみで、相手を判断する事になる。
まさにエネルギーそのもの。

そんなわけで、自分が誰かは、バレていなかった。
80人近くいる人の中で、仮装した私をめがけてその女性はやってきて、突然、石をくれたのだ。

ただ、日本人アクセントで会話をはじめたら
「あら?あなただったの?」というような微笑みを、相手が投げかけてきた。

 ***

確かに文章を書くのは好きだし、以前はメルマガも出したり、作詞家、森浩美さんのサイトにレギュラーも持たせていただいていた。
が、仕事としてなりたってはいない。

「ありがとう。ありがたいけど、私はモノ書きが仕事じゃないの」

「いいえ、あなたは書くと思うわ」
スパンコールを身にまとい、手袋ごしに石をいじっている私の手を両手で覆いながら、仮面と羽根をつけた彼女はそう言った。

「どうしてそう思ったの?どうしてこれを私に、と思ったの?」

困った様子もなく、
「わからないわ。でも、石が、あなたのところへ行くようにって、私に伝えたから」

そう言うと、彼女はダンスフロアーに消えていった。

 ***

というわけで、

2012年、
忘れかけていた文章への情熱をもう一度胸に、

書きます。