なんでも儀式にする女

パラシャクティは
シャーマンを名乗るだけあって
なんでも儀式にする。

今日はその彼女の撮影だったが、
撮影前に、大層な風呂敷のような布を広げ、
さまざまなスピリチャルグッズを広げ、
そこを聖なる場にする「場づくり」をする。

キャンドルを焚いて、
セージでスマッジして、
(実は私も撮影前はいつもセージで場を清める)
そして、一人づつのコミットメントを
トーキングスティックに向かって言う。

マジすか?

と思う私もいるのね。

私はスピ歴が無駄に長く、
かれこれ30年になる。

儀式の大切さはわかっているけど
ちょと恥ずかしかったりするのね。

そんなんしなくても出来るやろ?的に。

まあ、いいか。

二人のトーキングスティックのコミットメントを聞いてて、
ちょっとキラキラだなあ、とも思う。

スピリット、とかハートとか、
私がクラスで使うようなこっぱずかしい言葉を使うしー
撮影してるあっちの部屋でウチの夫とその息子がゲームしてるしー
せめてドア閉めとけばよかったよー
ウエストハリウッドの、暖房が効いた絨毯の上で言っても
ネイティブっぽさはイマイチだしー
そのキャンドル、100均だしー
目の前のメイクさんはキレイなゲイ男子だしー
でも顔大きいしー
正座してるしー
床、掃除機かけたけど犬の毛、いっぱいだしー

と、気は散るものの、
よっしゃ、3人の気を合わせるためのものだ、
しゃーない、儀式に乗ったろやないの。

私の番がきたので

「魂のキレイさと、外側のキレイさ、両方をちゃんと見つけて撮れるように繋がって、私のクリエイティビティを最大に発揮します」

とトーキングスティックに向かって言う。

パラシャクティが
わぁ〜、って小さくため息を嬉しそうについた後、

「アホゥ!」(ネイティブアメリカンの いわゆる聖なる掛け声)
と皆で言う。

ちょっと恥ずかしかった。

でも、そのおかげなのか
3人の気持ちが繋がった感があったり、
私も自分が納得しないところは絶対引かなかったりして、
自分が100% 自分でいることができたと思う。
 
 
 
 
 
 
うん

儀式は悪くナイ。
だって、宣言だもんね。

なんでも儀式にする女、パラシャクティを
ちょっと見習おうかな、って思った。

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プラシーボ(プラセボ)

砂糖菓子を「これ、頭痛に効くから」とあげて、本当に効くことがある。
現に軍隊で薬が足りない時、水を注射の代わりに打って、かなりの確率で痛みが引いたという事実もあるそうだ(Jo Dispenza著 “You Are Placevo”)

プラシーボ/プラセボ Placevo (cのところにアクセント)

プラセボのことは苫米地英人さんの著書にもたくさん出てくる。

イマジネーションのところでも書いたけれど、
だいたい、「痛いの痛いの飛んでけ〜」もプラセボならば
お医者さんさえ、ある人にとってはプラセボ。
だって、お医者さんの顔見たら安心するから。

また、儀式そのものもプラセボだ。
儀式を特別なモノと考える必要などない。
踊りが祈りであるように、
何かを動きに込めて、自分で信じて、そうであるように振る舞い、
自分の内なる神へコミットメントするのが本来の儀式だとすれば
儀式とは、完全なるプラセボ効果を狙ったものである。

よしやるぞ!というアファメーションもある意味プラセボ。
いざとなったらユンケル飲んで頑張る!ユンケルもプラセボ。

薬、マジナイ、儀式、励まし
世の中、すべてプラセボから始まる。

それを疑っていては、何も起こらない。

だから、私はプラセボ効果を100倍利用する。

本当かどうかなんて、論議してる暇があったら、やる。

〜 〜 〜

プラセボの仕組み

脳は、過去と未来、
そして自と他を区別できない。
そして、起こっていることが脳内か脳外かも区別できない。

脳とは、「思うだけで、体に伝達し、その部分に伝わる」

これはアレキサンダーテクニークでもそう教えてもらったが
「ゆるんでいいよ」と「思う」だけで、体は結構緩む。

思う=実際に体内には起こるのだ。
大きな変化ではなくても、実際に起こるのだ。

苫米地さんの本には
臨場感をもって「やった!」という「脳体験」をしたら、
過去と未来がわからない脳は、今のことだと思い込んで
また、それを繰り返す。これが結果的に、
脳の限界点を上げるということであり、
結果的に、臨場感をもったその状態を、後付けで「引き寄せる」

これ、遠回りにプラセボだよね。

別に「引き寄せの法則」などという言い方を使わなくても
ごく当たり前に科学的なこと。

〜 〜 〜

皆さんは
プラセボを上手に使って自分の人生をクリエイトしていきますか?

それとも

それって本当なの?って、本当かどうかを論議する方に時間を使いますか?