ベイエリア4:ゲシュタルト

私がサクラメントの後にサンフランシスコに来た、もう一つの大きな理由。
それは、ゲシュタルトのワークショップを受けるためだった。

1月に日本で、百武正嗣さんのゲシュタルト、エンプティチェアーのワークショップを受けた。

5リズムはゲシュタルトだよ、と言われるのを聞いて久しい。

どこがどうゲシュタルトなのか、ゲシュタルトの方に詳しくない私には「なるほどーー!だからかーーー!」という嬉しい悲鳴的喜びがいっぱい湧いてきたので、もっと習いたくなった。

1月の日本でのワークショップの帰り際に百武さんが
「君、住んでるのはアメリカなの?僕4月にサンフラン行くんだよね」
とおっしゃったので、それで参加を決めた。

本当は私のメンター、ケイト・シエラのワークショップがサクラメントであったので、そもそもそれに参加するために、顔ヨガのビデオ撮影をそこに合わせたんだけど、なんと、ケイトのワークショップと、サクラメントから二時間の場所、サンフランシスコで日程がカブった。

どうする?私。。。

体に聞いてみた。

ゲシュタルトを今、学ぼう。

自分が教える立場になった今、ゲシュタルトと5リズムの関係性をもっと知っておいたほうがいい。

体がそういった。

で、参加したが、

絶句。。。

すごすぎる。

百武さんのゲシュタルト(エンプティーチェア)は、日本人ならではの切り口と鋭い洞察で進めて行かれ、来ている西洋人たちは口をあんぐり開けたり、涙を流したり。。。

そして、人のセッションを見ながら自分を投影する。

私も前回の日本ではただ見ていただけだったが、
今回はセッションをしていただき、
ものすごいことが一つクリアになった。

多角的にものを見る。
多角的に感じる。
思考と感覚を 自在に分ける。自在につなげる。

この考えになっていくと、おのずから成長するしかない。
英語でいうところの「Eye Opening」「mind blowing」
目から鱗が剥がれる感覚。へ?ってブッとぶ感覚。
 
 
そっか、これがそうか。

まさに5リズムってゲシュタルトだ。

5リズムは、それを体に落とし込む。

そして、百武さんとランチをして、
また新しい展開となりそうな、そんな計画をお話しした。

それは本決まりになった頃にお知らせすることにするね。

みのり深すぎるサンフランシスコ。

やばいね、コレは。。。unnamed.jpg

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話し方のクセ 3

2から続く

5リズムのワークショップで ジョナサンに言われた事。

ジョナサンは5リズム創始者ガブリエル・ロスの息子で、彼は いわゆる「嫌われる勇気」を持っている、勇敢で大きなハートの持ち主である。だから彼が大好き。

男女共同のスタジオのトイレへ行ったら、ジョナサンが出てきて私と鉢合わせをした。その頃の私はジョナサンを怖く思っており、ジョナサンにビビっていた。

跳びのきそうになりながら「Sorry!」と思わず口から出たら

「Sorryって言うな!」と怒鳴られた。。。

ハッ!と凍りついたまま、トイレへ行って、

言われたことへのショックが隠せなかった自分がいた。

「何も怒らなくても、、、」と泣きそうになった。

話し方のクセ 2 で書いた近所の ソイツの気持ちと同じだった。

===

そのあと、ジョナサンがワークショップの中で、「Sorry」について話し始めた。やべー、アタシのことだ!めっちゃ恥ずかしい!と思ったが、「自分に向けてのプライベートレッスンである」くらいに受け止め、頑張って真摯に聞いた。

「いいか?心理学的に言うと、アポロジェティック(謝りやすい)なキャラクターというのが存在する。

本当に悪いと思って謝っているのか?本当に謝っているとしたら、お前は何を悪いことをしたんだ?自分に尊厳を保て。

本当に悪かったら謝るがいい。だが謝ることによって許しを乞う、謝ることによって ”許される自分” という環境づくりを知らぬ間にし、”謝る” という世渡りツールを使って甘えを増長する事もにもなりうる。確かに社会的潤滑油として”すみません”が使われる事もあるだろう、特に文化の違いによっては。。。だけど、その反面、ずっと謝っていると、一つのシビレとなる。いつもいつも、何にもかもに謝っていると、自分が謝ったことも気付かないばかりか、本当の意味の「Sorry」が色褪せてしまい、少なくともソイツから発せられるその言葉にはもう意味がないほど使い古される。だから、言葉は意識的に使え。言葉の持つ、美しい、本当の意味を無駄にするな!」

そうだ、、、そうだった、、、

===

この後、日本へ帰った時に、実家のご近所の人々を集めて顔ヨガのクラスをしたんだが、その時に集まってくる人、集まってくる人、みなさん「すいません」「すいません」と言って集まってきた。

このジョナサンの話をして、「今日は謝るのをやめましょう」と言ったら、みなさんが口を揃えて「あ〜、ホンマや!すみません」といい、「あ!また今言った!」と言ったら「ほんまや〜〜!言うてしもた!すみません〜〜〜」と言って爆笑になった。

そのあと、何度「すみません」を言ったか数えてもらったら、平均20回。

みなさん、自分の「すみません」の多さに驚いていた。

意識的に使おう。

 

で、じゃあ、普段なら「すみません」と言うときに どうしたらいいの?

 

「すみません」の代わりに「ちょっと前を失礼します」を。

「すみません」の代わりに「ありがとう」を。

 

言葉は意識的に使うと、言葉自身が輝きを取り戻す。

最初から読みたい方はコチラ

話し方のクセ 2

話し方のクセ 1

そもそも、言葉の揚げ足をとるというのは、年寄りのやることだ。

だが私はソコソコ年を取っている。だから年寄りと言われても構わない。なんとでも言って。

===

友人に、話し方のクセを指摘した事がある。

「アタシってー、◯◯な感じ かも〜」

「あ〜〜、このお料理、美味しいかも〜」

「セロリ、意外とスキ かも〜」

「でも、ナマのタマネギは嫌 かも〜」

「◯◯◯ 意外と〜 かっこいい かも〜」

「コーヒー、私はミルクいらない かも〜」

 

妙に耳に障った。

「ねえ、好きなの? 好きじゃないの?」

と聞くと

「え?だから言ったじゃん。意外と好きかも〜」

 

かも、は 可能性を示す言葉である。

意外と、は、予想に反して、というときに使う 言葉である。

生タマネギが食えないんなら 「嫌かも」、じゃなくて「嫌」なんじゃん!

 

この二つに隠された、裏の心理はなんだ?

自分の感覚に自信がなく、自分の感覚を否定された時に「だから かも、って言ったじゃん」と逃げられる道筋を残しておける便利な言葉。

誰を好きだろうが何を好きだろうが、逃げようが逃げまいが、本人の勝手なので、私個人としてはそこは否定する気など一切ないのだが、肝心なのは、「本人がその真理や意味合い」「その言葉から及ぼす影響」をわかって言葉を使っているのか? ということだ。わかってなかったらソンだからだけじゃなく、そういう心理状態を自分で作り続けるということだ。

自信がないときには、得てして自信のない言葉遣いをする。

だからあえてソイツには

「〜かも」を使わないで話してみて。

と提案してみたワケだ。

その時は「マサヨったら人の揚げ足をとる、ひどい女!」と思ったらしい。目に涙を浮かべて「もう帰るっ!」と帰って行った。

「どうしたらいいと思う?なんでも言って〜!」と言ってウチに来たにもかかわらず。。。

ま、図星ってキツいからね。

===

あの時は泣いていたソイツも、後になって

「あんなこと言われて、超ムカついて、アンタのこと憎らしかったけど、

アレは効いた”かも〜〜”!」

と言って、二人で笑った。

 

その3に続く

 

「空(くう)」を踊る

マウンテンビューに、アンドレアジュハンのワークショップに来ている。
1年に1度の、4日間ワークショップ、全5回シリーズ。これで5年目である。
アメリカ全土から来る参加人数60人のうち、5年全部受けた人は、私をいれて6人。
最初は悩んだが、このシリーズ全部をちゃんと終わりにするように受けて、本当によかった。

アンドレアは心理学士で、実に様々なゲシュタルト心理学のアプローチでワークショップを展開している。
様々なボディワーク、ソーマティックメソッドを、心理学的な立場から検証をとって来た人。

教え方も素晴らしければ、理論も素晴らしい。
なるほど、やっぱりアンドレアだ。
教えるようになってから、よけいに先生方の偉大さがわかる。

空を踊る。
スペースを見る。

ここのところの自分のテーマとどんぴしゃだった。

空間をどう見るか、
空間をどうとらえるか、
空間を外に、
空間を中に、

全体と部分。ゲシュタルト。

ミクロとマクロだ。

相対も、フラクタルも、全部、ここなのだろう。

今後、これに行き着くんじゃないかと思う。

そう考えると、仏教って早いなー、イケてるなー。

ダンスを使った手法でコレを学ぶというのは、頭じゃなく、身体で理解できるから。
英語で言うエンボディメント(体現)
「空」この感覚、すごいなあ。。。

あいかわらず人のおうちにお世話になりながら、ゴハンをつくって、皆で食べて
楽しい居候暮らしの4日間。

今回はスタッフとして参加なのもあり、
様々な準備から、楽しく、いつもとひと味違ったワークショップのとりくみかたも体験している。

「教え始めたなら、なおさらもっと習え」

私の先生がそう言った。

納得。