その人のプロセス 2)

その人のプロセス 1から続く

クラスの中で誰かが泣いている場合があるとする。

「大丈夫?大丈夫?」って行くのは、
「大丈夫?」って行く人が、
「誰かを助けていなければ自分の存在価値を認められない」
という問題がある人が多い。

もし、心がドバーっと開いて泣いているんだとしたら、
その気持ちを一人でしっかり味あわせてあげるべきだし、

本当に、心の底から苦しみが出てきたのだとすれば、
同じ苦しみを知っている人ならば、そっとしておくはずだ。

「かまって光線」を出して泣く場合の人がいたら
そんなものに「大丈夫?」って行くのは、女子高生ノリだし、
義理を果たすというだけの「ウソ」を育てる。
だから、なおさら放っておいたほうがいい。

〜〜〜

そういう風に訓練されているので、
私は「ああ、ただいま、彼/彼女 は プロセス中なんだなあ。。。」
と思うのであって、

たとえそこでその彼/彼女が号泣していようと、
彼らには泣く必要があるのだ。
たとえ今、彼らにわからなくても、
彼らには今、わからない必要があるのだ。

そこをジャマしてはいけない。

そもそも、人はそこを学ぶために生きてるんだ。
人の学びをジャマしてはいけない。

それは、境界線を超え、土足で人様の家に入っていくようなモノだから。

助けてはいけないのではない。

「本当に助けるというのは、
その人が自分のタイミングで、
自分の足で歩けるようになるのを
ずっと我慢強く見守るということだ」

その人のプロセス その1

色んな苦悩が、その人、その人、個人のプロセスであるという事を「体が」理解できるようになってきた昨今、誰が何を相談しにこようが、軸がぶれにくくなってきている。

人はみんなドラマを持っている。
お姑さんドラマ、ご主人ドラマ、子供ドラマ、失敗ドラマ、成功ドラマ、自慢ドラマ、不幸ドラマ、、、
それらのドラマは、人を介しているだけで、すべて、ドラマの語り手の中にあるのだということを、大概の語り手は気づいてないのだ。

誰が一番不幸か、不幸自慢をした時代もあった。それらのことをメロドラマ、シャンソン好き、と今や言いながら笑っている。

「ねえ、聞いてよ、これがアレでさ〜、こうでさ〜〜」
「あ、わかる〜〜!」
「だよね〜〜」
という共感が嬉しい部分はあるにせよ、
そこに留まると、何も生まれない。

ドラマのことは今度書く。

私が彼女/彼の肩代わりをして人生を生きてあげられるならともかく、(いや、生きてあげるとしたらその分少なくともギャラは欲しい)生きてあげられっこないんだから、一緒に悩むというのは、もうある意味古臭いのだと、私は思うんだ。

しかも、そのドラマに付き合わせられている間、時間のムダってモンだ。私の人生、短いんだしさ、人のドラマに付き合ってるほどヒマじゃない。
私の場合、そのドラマの内容に自分の興味がそそられるか、もしくは勉強になりそうなケースでなければ、付き合わない。(そういうのはカンでわかる)

それを、冷たいんじゃないだろうか?と思った若いころもあった。
いやいや、それは冷たいんじゃない。
それが、自然なんだと思う。
だって、お花だって木だって、共倒れしたらたまんないっしょ?

ってか、聞きたきゃきけばいいし、一緒に泣きたきゃ泣けばいいし、
人それぞれなんだけども、

5リズムをやるようになってから、一つ学んだこと。

「放っておいてあげなさい。準備ができたら自分から立ち上がってくるから」

これが5リズムの姿勢である。

 その2に続く