言葉の使い方を変えてみる

英語では

You make me happy
You drive me crazy
You made me angry などという。

「お前がワシを〜〜させた」

君が自分をハッピーにしてくれたならいいけど、
君が俺を怒らせた
君が俺をぐちゃぐちゃにする

だの、
言葉がとても「他人のせい」

多くの人が
「トランプが俺を怒らせた」って言うんだけど
トランプ、アンタを怒らせてる時間、ないと思うの。

もっと、自分が怒ってる。トランプがアホだから、って言えばいいのにね?

〜〜〜

なんでこんな言葉尻を取るかというと、
言語は思考と繋がってるからなのだ。

知り合いで
とても被害者になっちゃう人がいるんだけど
その人は必ず
「誰々が〜〜、って言うから」

その度に私は
「じゃあ、あなたはどうするの?」

と聞いても
「だって、誰々が〜〜、っていうのよ?」

って。

「じゃあ、その人が〜〜って言ったら、あなたはそうするんだ?」

「だって、しょうがないじゃない?」

そこで私が尋ねるのは

「誰の人生を生きてるの? 
 誰々によって幸せになったり不幸になったりするアナタの人生って何?」

責任を自分で取らない言葉遣いだったり、
必ず相手のせいだったり、
そういう思考回路が言葉に出てて
「私は自分のことかわいそうって思ってますよ〜」
って、宣伝してるようなモノ。

まずは、言葉を変えてみたらいいと思う。

能動態か受動態か?
相手が主語、もしくは相手が隠れた主語になっていないか?
 
そして、自分の意思でない言い方をしているとしたら
主語を自分に戻してみるとか。。。

すると、きっと変わるんだよ。

Have a great day!

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話し方のクセ 2

話し方のクセ 1

そもそも、言葉の揚げ足をとるというのは、年寄りのやることだ。

だが私はソコソコ年を取っている。だから年寄りと言われても構わない。なんとでも言って。

===

友人に、話し方のクセを指摘した事がある。

「アタシってー、◯◯な感じ かも〜」

「あ〜〜、このお料理、美味しいかも〜」

「セロリ、意外とスキ かも〜」

「でも、ナマのタマネギは嫌 かも〜」

「◯◯◯ 意外と〜 かっこいい かも〜」

「コーヒー、私はミルクいらない かも〜」

 

妙に耳に障った。

「ねえ、好きなの? 好きじゃないの?」

と聞くと

「え?だから言ったじゃん。意外と好きかも〜」

 

かも、は 可能性を示す言葉である。

意外と、は、予想に反して、というときに使う 言葉である。

生タマネギが食えないんなら 「嫌かも」、じゃなくて「嫌」なんじゃん!

 

この二つに隠された、裏の心理はなんだ?

自分の感覚に自信がなく、自分の感覚を否定された時に「だから かも、って言ったじゃん」と逃げられる道筋を残しておける便利な言葉。

誰を好きだろうが何を好きだろうが、逃げようが逃げまいが、本人の勝手なので、私個人としてはそこは否定する気など一切ないのだが、肝心なのは、「本人がその真理や意味合い」「その言葉から及ぼす影響」をわかって言葉を使っているのか? ということだ。わかってなかったらソンだからだけじゃなく、そういう心理状態を自分で作り続けるということだ。

自信がないときには、得てして自信のない言葉遣いをする。

だからあえてソイツには

「〜かも」を使わないで話してみて。

と提案してみたワケだ。

その時は「マサヨったら人の揚げ足をとる、ひどい女!」と思ったらしい。目に涙を浮かべて「もう帰るっ!」と帰って行った。

「どうしたらいいと思う?なんでも言って〜!」と言ってウチに来たにもかかわらず。。。

ま、図星ってキツいからね。

===

あの時は泣いていたソイツも、後になって

「あんなこと言われて、超ムカついて、アンタのこと憎らしかったけど、

アレは効いた”かも〜〜”!」

と言って、二人で笑った。

 

その3に続く

 

話し方のクセ 1

テレサは最初はわかりにくい人だった。

なぜなら、すごく喋るから。
普通に喋るのではない。「大変よく」喋るのだ。

人は解ってもらう為に喋る。コミュニケーションのために喋る。

喋れば喋る程に解ってもらえると思っているが、実は喋る量が増すほど意味不明になり、
喋らないほうが明快だったりする。

テレサは早口でまくしたてる。
そして至る所に「I don’t know」を入れる。
つまり「いや、わかんないけども」「知らない」「ま、どうでもいいんだけど」系の「I don’t know」が入るのだ。
何か情報やトピックを散々述べた後、「I don’t know(私は知らないけどね 系)」

おいおい。。。

最初は彼女の喋り癖に戸惑った。
散々喋っておきながら「ま、いいや、知らない事よ」と、今まで言った事を曖昧にするのは、聞いてる人に失礼だと思った。聞いてる方だって時間を使うのだ。私の時間を何だと思ってる?
知らないなら、無責任に言わなきゃいいじゃない、と。

だけど、だんだん解って来た。
彼女は、ただ、会話の隙間を埋める為に喋ってるだけだった。
1人で喋って、1人でうなづいて、
「やっぱり、知らないわ。どうでもいいわ」と結論を出す。
独り言をただ、聞いて欲しいかのように喋ったから。

ちなみに、じーーーっと聞いていたら、そのうち喋らなくなった。
そして、私と、一緒に泊まった友人の話をゆっくり聞いてくれるようになり、それから、本当に心を通じ合わせて話せるようになった。

「どうでもいいわ」と自分で結論づけつつ話すのは、心理的に見ると「防御」である。

「私はトピックスとしてこの話をしてあげるけれども、もし間違っていたとしても私のせいではない。私はこれだけ情報を知っているけど、私が同意した意見ではないので、それに関して責任は取らない」など。これだとたとえ悪口を言っても、自分のせいでないと回避できるし、自分からほぼ命令しておきながら「私の指示ではない」との責任回避。

実はウチの母が似たようなことを言う時がある。

「これ、●×で●×で、●×らしいよ。わからないけども」

巨大な情報量を持ちながら、わからないけども、と言う。
私はどうも、それが「丁寧」とか「謙虚」には聞こえない。それぞれにアクと独自の意見の強い娘たちから聞いた情報を他に流す時に、「お母さん、そんなのダメよ!」と怒られないために、「自分のせいではない」と、密かに主張しているのだ(笑)

問題は、それを無意識にやっている、ということ。

ということは、裏返してみたら、無意識を意識的にし、自分が言っていることにどんな意味を持っているのか意識して発したら、怖さも克服できるかもしれないということだ。

何事も面と向かわなくては変化するためのゼロ地点に立てない。

言葉のウラにある意味に気づくと潜在意識を変えられる。

どう思う?

 

話し方のクセ 2に続く

「また会いましょう」

ゴミを捨てようと思った時に
チラっとみたら文字が書いてあった。

ああ!物をお貸しした袋だった!
あの女の子からメッセージだったんだな、と。

読んでみたら
「また会いましょう」と書いてあった。

うーーーん。。。

 ***

私は昭和なので、言葉遣いの揚げ足をとる。
それくらいさせてもらっていいくらい年をとっている。

悪気がないのはわかっている。
自分が年上なのをタテにとるつもりもないが、
友人に連れられて、うちへプール入りに来て、ごはん食べさせて、
その年下の人から「また会いましょう」と言われたら
「いや、会うか会わないかは、私が決める」と答えたい。

まあ、関係が完全にイーブンな場合の
「また会おうね!」は別として

「また会いましょう」と言われて私が嬉しく思うのは
私が心底惚れた人たちのみ。

そして、私が自分から「また会いたい」と思うような、
そういう人たちはみなさん、年下でも年上でも
「また、会いたい!」
「また、会いに来てもいい?」
と言ってくださる。

誰も
「また会いましょう」
とは言わない。

わかるかな?このニュアンスの違い。

===
「また会いたい」(自分は希望を述べ、権限を相手に委ねる)
「また会いましょう」(権限は自分が持っている)
===

オノヨーコさんとか瀬戸内寂聴さんに
(実際にはお目にかかったことありませんが)
「また会いましょう」と言われたら
はいはい、もちろんです!光栄です!
お忙しいのにお時間を作っていただいて感謝です!
と思うけど

年下の、私が世話になってもいない方に
「また会いましょう」と言われると
屁が出そうになるんだな。

これはもう、知性なんだな。

言葉は大切に扱って欲しい。
海外に住んでるから、とか、
若くて世代が違うから、とか、
そういうものではなく、、、

アホ、バレるぞ。

  この場合のアホとは、
  頭だけじゃなく、心も。

「またお会いしましょう」
というセンスの人とは、
不思議だけど
私の友達に残らず、
そのまま消えちゃうんだなあ。