旅というのは、サササとかじって次へ行けばいいと言うものでない。
昔、二十歳になったばかりの頃は、一日に2つか3つ、国を回って、パスポートにハンコだけもらえばいいという、スタンプリレー的な考え方を持っていた自分だったが、今や、1日観光客としていたくらいで何がわかるんだ?という感じ。
そんな私がタオスを語るには100年早いけれども、とりあえず、タオス。感じた事をそのまま書いてみる事にした。
一緒にいった皆さん(操ちゃん、イルちゃん、英月ちゃん)のブログを読んだら、タオス・プエブロ(タオスにある集落)は世界遺産。600〜1000年前の建物にいまだに住んでいる。その中に多分、テレビやネットとかもあったりして、多分、冷蔵庫もあったりして。チラっとのぞこうと思ったけれども、いやいや、下品だ。やめといた。
とにかく、そのアドビスタイルの土塀の家に住み、ネイティブの昔ながらの暮らしを観光客に見せている。ターコイズで作ったアクセサリーや、ネイティブっぽい羽根をあしらったドリームキャッチャー、コーンで作ったネックレス、手描きの焼き物。伝統的なものからアーティスティックなものまで、色々と売っていた。
ちょっと脱線するんだけども、テレビやネットなどが氾濫している昨今、伝統を守る事と新しい事の導入のバランスが難しいなあと思う事がある。
たとえば、内モンゴルへ行った時、テレビが来た事によって初めて自分たちが貧乏だと知った子供がいた。またバリ島では白人のオバハンが「可哀想に、大学教育も受けられないのね」と可哀想そうな顔をした。今まで特に何も考えずに幸せだったことが、情報によって自分たちが不幸になり、西洋的文明化を強く願う。内モンゴルでも、インドでも、ダラムシャラでも、バリでも、ホピ族でも、ミッキーマウスのTシャツは一定の「欲しいモノ」であったり。。。
それを追う事が悪ではないが、新しい価値観の導入によって自分たちが不幸だと思うのは、世界標準という「他」と比べるからだが、実際に、白人の裕福で(その分物価も高い)おもしろおかしい(くみえる)生活を標準=善として見せられたら、必死で伝統を守って不便で質素に生きて行くには結構パワーが要る。しかし、一見幸せそうに見える文明に生きる人たちが幸せなのかというと、ソレはわからない。現に今の東京の人たちはお金を払ってエコな生活をしたりする。そこに求めるものは自然との共存と何もない豊かさ。
情報社会において世界の最先端を知りつつ、自分たちの不便で美しい文化を守ろうとするプライドのパラドックス。その中においても私のように生半可に外国に出て知ったかぶりをする人間が介入する事によって、よい事もあれば、妙に文明をおいかけて「変な結果の近代化」を推進してしまったり。。。
脱線ついでだが、出産の方法において、日本はアメリカの5年遅れの方式を追いかけている。が、逆にアメリカの進んだ産婦人科では日本の(またはアジアの)昔のお産婆さんの方式を追いかけていて、産婦人科の先生と「ないものねだりよね」と話した事があった。かっこいい!と思う事が若干ずれる事から文化の融合にはそのような副作用が伴うのかもしれないと思う。
さて、ネイティブアメリカンは自殺者がとても多いのだそうだ。フツーに数ファミリーに一人くらいの割合で自殺者がいるらしい。鎖国がいいとは言わないけれど、もし、文明を入れず、昔のままでいたら、それでも自殺したのだろうか?
「昔はよかったんだよ。メキシコとネイティブの間で、子供を拉致し合い、大人になってから人質として使うとか、そんなヒドい争いも平和に(!?)あったんだよ」と、ギルさんは笑いながら言った。そんな平和な(!)時代にも自殺があったのだろうか?
伝統を上手に昇華して回ってるのは京都。伝統を売ろうと思ったら、絶対に高飛車でいなくてはやっていけないと思う。清貧にて伝統を守る、または売るのは、ものすごいパワーがいる。ある意味、滅入る。
タオス・プエブロで十字架がいっぱい建っているお墓を見た時、ギル隊長が言った「自殺者が多いから」の言葉を思い出した。やるせなさと少しの怒りが出て来た。被害者でいてはいけない。たとえ過去にどんな害をうけようと、被害者意識を持っているうちは克服できない事がある。(これは過去に私が障害者だった時に学んだ)
そして、命を無駄にしてはいけない。私は自殺は解決方法でも潔い美だとも思わない。自殺の連鎖はイヤだ。自殺が当たり前になってはいけない。辛くても絶対に生きて欲しいと願う。
「生きるのが辛いとか苦しいだとか言う前に 野に咲いた花ならば力の限り生きてやれ」by松山千春
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さて、着物撮影。モデルさん2人の写真はもうたっぷり撮ったので、タオスではデザイナーの操ちゃんとカメラマン私が着物を着て、モデルさんたちにスナップをとっていただく事にした。従って今回の写真で私と操ちゃんが一緒に写っている写真はphoto by Masayoとなっているが、一緒にウエブ処理したためであって、実際は私のカメラを使っての、Photo by英月ちゃん(女性僧侶)なのだ。上手だよ〜。
なんとも「姐さん、ええかげんにシナサイ」的な漫才っぽいカラーが出てしまったいるが、これも楽しかった。着物で街に出ると、完璧に異文化交流となる。
物々交換をする習慣があるというネイティブの人たちに英月ちゃんが今日手まりをあげたりし、ますます交流が深まった。
タオス・プエブロを後にし、着物の生地を選ぶべく、タオスのタウンへ繰り出しお買い物。さすがチリ(とうがらし)の里、ニューメキシコ。どこの軒先にもチリがかかっていた。
この乾燥チリの他にニューメキシコの人たちは新鮮なチリをローストしておいて、冷凍し、一年間お料理に使う。最高に美味しい。
欲しい。。。欲しい。。。欲しい。。。。。
秋になると収穫なのだそうだ。。。
収穫しに行きたい〜〜〜!
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