イケてる施設のZENマスター

5リズムを作ったガブリエル・ロスは、子供達や年寄り、統合失調症の患者さんにレクリエーションの一環としてダンスやお芝居を教えていた時、人間の動きを観察し、誰しも皆、動きの中に5つのパターンやリズムがあるということを発見した。
 
老人ホームや統合失調症の施設などでの生徒のことを「私にとっての最初のZen(禅)の師匠たち」と、ガブリエルの著書「マップス・トゥ・エクスタシー」にも書かれている。
 
晩年のガブリエルは「社会のために5リズムを!」と、5リズム・リーチアウトという活動を始めた。
その思いはそれぞれのティーチャーに反映され、老人ホーム、障がい者施設、病院、幼稚園、また戦地での兵士への慰問や、中には監獄(ジェイル)でクラスを持ったりする先生もいる。
私もロサンゼルスの老人ホームでやっていた(80人の車椅子は圧巻だった)
 
日本では、ここのところ、奈良にご縁をいただき(たけおちゃん、たまちゃん、ありがとう)天理市の障がい者生活介護事業所、NPOの福祉施設「ぽかぽか工房」さんでやらせていただいている。
障がいのある方たちが、木工をしたり、織物をしたり、お酒を作ったりして、それらが本当に素敵すぎて、去年、そこで作られたお酒をいただいたんだけど、笑顔で作ってるから本当に美味しい!全く邪念がない。(うさと服みたいだね!)

特に、ここの木工の銀杏の木から手作りされた銀杏のお箸置きは、美智子皇后様がいらした時に「持って帰っていいかしら?」とお持ち帰りになったというシロモノなのだそうだ。
 
 
特筆すべきは、ここ、ぽかぽか工房さんは理事長はじめ、働いている職員の男性がやたらカッコいい。本当にカッコ良い人たちだよなあ、と思う。そして、皆、クリエイティブなアーティスト。こういう人が働いてる施設って最高。ちなみに理事長はヨーロッパに長く住んでおられた写真家で、奥様はフランス人、木寺さんはネイティブアメリカンと生活を共にしていたことがある人で、もう一人の男性はディジュリドゥを吹くミュージシャン。彼らの指導のもと、木の船や、布のクラフト、そしてお酒づくりが展開されている。私はここに関わらせていただいて、本当に幸せだと思う。
 
  
東京からも、地元からも、5リズムを普段踊ってくれている人たちがお手伝いに来てくれるんだが、お手伝いに来てくれた人の方が感動して帰る。
 
 
そもそも私たちは、自由に踊りなさい、自分らしく踊りなさいと言われ、いくら自分の殻を脱いだつもりでも、ぽかぽか工房さんでの、皆さんの超自由な踊りを見ると、ビックリする。彼らは自分独自のリズムそのもので生きており、どんな時も超自分。
今、こうやってたかと思ったら急に飽きる。つまらなさそうにしてたかと思うと、いきなり走り始めたり、すっごく踊り始めたり。人に見られるから、ここに合わせるから、という概念で動いていない。だけど、決して人を傷つけない。愛そのもの。
それはまさにガブリエルが言ったZENのマスターたち。
 
そして、彼らはまた、お笑いのマスターでもある。
 
一人づつ名前を言いましょう、というと、真似して前の人の名前を言う男の子もいる。
「アンナです」
はい、次の人
「アンナです」
え? 笑 
「お前、違うやろ? XXやろ?」と職員さん。
「XXヨシヒコです」
「それ、お父さんの名前やないかい!?」と職員さん。
 
全員爆笑。
 
途中で、イイーーところで
「はい、もう終わりましょう」
というオジサンもいて、全員がツボにハマって爆笑。
 
彼らと最初にやらせていただいたのが11月だったが、
その時に、職員さん曰く、思いの外効果があったのだそうだ。
 
そして障がい者さんだけじゃなくて、その保護者の方達が
「私が楽になりました」と。
 
びっくりするのは、保護者さんが楽しむと、途端に障害のある皆さんが自由になる!
それは物凄くハッキリと!
 
今回2回目やらせていただいたのだけれども、
ありえないほどに色んなことができて、本当に驚いた。
 
人間の能力ってハンパないし、ワクを外せばそれはただただ広がる。
障害があるなし、関わらず、全てには裏と表があって、どっちが正しいかなんて全くわからない。単に裏と表、AとB、背が低い高い、大きい小さい、右と左、みたいな、そんな違いだけなのだ。
必ず人は完璧だ。
 
 
一般参加者さんの中で
「私ねえ、障害ある人、かわいそう、って、悪く言ったら見下した見方してたかもしれへん。だけど今回出させていただいて、あれ、全然違うやん、って思った。行ってよかったわ」
と言ってくださった方もいる。
 
 
次回9月は、ぽかぽか工房さん以外にも、
もう一つ別な施設でもやらせていただくことになった。
また、ZENのマスターたちが増える!

(一番最初の写真は、ぽかぽか工房さんで作られた織物と、木の船)

 

広告

こうしたら、こうなるんだよね?

今日、友人と話してら、彼女が 
「あ!わかった!
 ”こうこうしたら、こうなるってことだよね?”」
と言った。
 
私はクスクス笑った。
 
私が笑っているのを聞いて
「どうして笑ってるの〜〜〜!?」
と。
 
彼女はいつも、こういうんだ。
「こうしたら、こうなるんだよね?」
彼女は方程式を作りたい人。
こうしたら、こうなる、
これの次にこれがくる、って決めたい人。
決めると落ち着く人。
 
とても可愛い。
 
でも、そうならないかもしれないのが人生なのだ。
 
「ねえ、方程式とか好きだよね」
と指摘したら、彼女、
あ!!と言った後、
「ほんとだねー!」
と爆笑。
 
 
こうしたらこうなる、っていうのは
単なるテストケースなだけで、
こうしたら、こうなる、を100覚えるの
大変じゃない?
 
ひとつひとつに答えを求めて
それをパッケージに入れて行くの
もう撲滅したいと思うよ。
 
と私。
 
 
 
世の中は確かなことなど何もないのだ。
「絶えず変わり続ける」
それだけが不変の真実なのだ。
 
だから、限界までがんばって
その次は
委ねる。
未知のものに委ねる。
 
いや、委ねるしかないのだ。
 
がんばって委ねる、を繰り返して
自分のワクを大きくしていくのだ。
 
 
5リズムと同じ。
5リズムはその練習だ。
(頭で知っても意味がないから、
ぜひワークショップへ! 笑)
 
 〜 〜 〜
 
実は、他でもよく聞かれるんだ。

A は B なんですね?
ということは、これはこうなんですね?
こうしたら、こうなるんですよね?
ってことは、こういうことですか?
 
答えは欲しい。そこはわかる。
だけど、答えは自分にしかわからないし
状況によっていつも変わるのだ。
 
 
あんまり質問ぜめになると
知るかっ!!
と言いたいところをグっとがまんして

「自分の脳を使わないと錆びるわよ〜ん」
と笑顔でいう私は、

やさしい。
 
 houteishiki
 
==================== 
そんな、やさしい私のワークショップです。
 
4月、日本での5リズム

8日(金)1デイ 
神戸では「Rock’n “ROLE(役割)”」
https://www.facebook.com/events/210359202845040/

14〜15(土日)2デイズ
名古屋では「Dance with me(Ritual theater 儀式の劇場)」
https://www.facebook.com/events/2297101430316004/

21〜22(土日)2デイズ
東京では「No rain, No rainbow」
https://www.facebook.com/events/211664642744854/
 
=========== 

そして、

福岡でのはじめての1デイは「コミットメント」
https://www.facebook.com/events/193464011416175/
 
=========== 

また、各夜のクラスは以下のとおりです。

単発の大阪夜クラス (7日 土、夜)
https://www.facebook.com/events/149110229119097/

名古屋夜 オープンクラス(13日 金)
https://www.facebook.com/events/340966449745409/

東京夜、オープンクラス(20日 金)
https://www.facebook.com/events/196028840985511/

金沢の夜クラス、(17日 火)
https://www.facebook.com/events/339577789886017/
 

 
=========== 
 
全ての情報は
http://5rjp.com/teacher/masayo-benoist/ <img

体現化

ここのところ、
体現化、という言葉を用いた話題がよく出る。

上手、下手、できた、できない、ではなく
体がそれを表すほどに染み付いた、的なコト。
 
 
 
その昔、
 
ステップ1)ーーー
はじめてアメリカに観光で来た時
1件のレストランの印象だけで
「アメリカってさ〜〜」と人に言って回ったものだった。
そのお店は私に全米を背負わされたコトになる。
 
ステップ2)ーーー
在住、5年くらいの時、色々少しづつわかり始め、
「アメリカ」って一概に言えない、と思い始めたころ。
在住20年の先輩から
「ようやくアメリカの一部が見えてきはじめた頃でしょ?」
と言われビビった。
 
ステップ3)ーーー
そんな私も気がつけば米在住20年。
私はようやく、アメリカのことなど何もわかっちゃいないのだと知る。
が、日本へ帰ると、あきらかに浮く。
 
 
これ、何にでもあてはまると思う。
 
 
知らないヤツほど、ウンチクたれる。
私も、たれる。
そして、それは大概バレる。
 
 22365455_2044465039173490_2273237463889996891_n.jpg
 
バレたっぽい顔。
学びの途中がよく見て取れる写真 by あっこちゃん
 
 
 
(1)ーーー
数回だけの経験は
それをとても「おおごと」にし、
その時見たことが「全て」であり、
(ある意味、それはアタリである)
わかったつもりになる。

 
(2)ーーー
真剣に30回くらい以上の経験。
けっこう学んだので、
「何がわからないか」が明確になりつつある。
故に、むやみやたらに発言できなくなる。

「人は知れば知るほど、無口になるのよねえ」
桃井かおりさんの有名なコトバが身にしみるころ。
 
このプロセスの終わりで何度もゲシュタルト崩壊して、、、
 
 
(3)ーーー
それが日常化した何百回も何千回もの経験は
それが「日常に」なり、あがくことをやめ委ねる。
そして20年もすれば、体から雰囲気がこぼれ出る。
 
 
 
 
まあ、20年という年数はアレにしても、
コミットして必死でそれに取り組む。
すると、2)〜 3)にシフトしていくのだろう。
 
語らなくなったころの、
染み付いた行動を伴なった、風情だのそんなものを、
「Embodiment(体現化)」してる、という。
 
   
 

私は、5リズムを通して
一生これを学び続けるのだろう。
 
 
  
ウソのない、無理をしない、
小さくもならず、
大きくも見せようとしない、
様々なことから目をそらさず、
でも暗くもならず、
明るくも見せようともしない、
 
そんな自分がますます気に入っている。
 
 
 
独り言につきあってくれて、ありがとう❤️
 
 

 ーーーーー
 
 
5リズム 2018年、4月。
生クラスならびにワークショップ
7日からはじまります!
 
 
スケジュールは以下から。
http://www.masayodance.com
 または
http://5rjp.com/teacher/masayo-benoist/

 
 

100願うよりも

5リズムのスペースホルダーになった
さえちゃんと、TKを連れて
私のLAのふるさと、
パラマハンサ・ヨガナンダさんの
セルフリラクゼーションセンター、レイクシュラインへ
ひっさしぶりに行ってきた。
 
 
で、
ヨガナンダさんの本、
「人間の永遠の探求」に書いてあった言葉を思い出した。
 
 
「なぜ、人は、願い事を100も200も願うのだろう?
 魔法使いになってしまった方が早いのに。。。」

 
 
一言一句同じではないと思うが、このようなこと。
 
 
 
 
 
100の呪文を覚えるのではなく
魔法使いになってしまえば
呪文のコアを知ってるので、覚える必要もない。
 
 呪文を否定するのではない、
 呪文に固執するなということ。

 ツールを否定するわけではないけど
 ツールに振り回されるな、ということ。
 
 
魔法使いマスターは「魔法の本」とかいらないのだ。
 
意識だけでも、
こっちでありたいな、と思う。
 
 
 
他の言葉や比喩に例えれば
 
 

葉っぱを見るな、幹や樹を見よ。

 葉っぱを否定するのではない、
 葉っぱに固執するな、ということだと思う。
 

樹を見るな、森を見よ。

 樹を否定するのではない、
 樹に固執するな、ということだと思う。

 または、

抽象度をあげよ。
 
 
 
 
笑い話なんだけど、
アイアンガーやパッタビ・ジョイスは
ヨガを教えるにあたって
「全米ヨガアライアンス」の資格など持ってないのだ。
 
 
呪文を覚える必要はない。
 
魔法使いになれ。
 
 
 
お話の続きは
気が向いたらまた後ほど。
 
 29386271_1498652966928345_3880772010162257920_n.jpg
 
 
 
 
===== お知らせ =====
 
 
ガイドと自分の身体の声をききながら自由に踊る
動く瞑想、5リズム。
 
 
今回は5リズムのもう一つの特徴である、演劇的な「役割」や「アーキタイプ」を入れ込んだワークショップを首都圏(3都)ではとりいれてやっていきます。
母、妻、役職などといった日常の役割や、自分の中の隠されたキャラクターを探し、楽しみながら表現していくことを入れ込んだワークをやります。
 
自分開花!!
スカーフ、コスチューム、着たい洋服、気に入って買ったはいいけど普段着られない洋服などがある人は、持ってきてぜひともトライ!
 
  
8日(金)1デイ 
神戸では「Rock’n “ROLE(役割)”」
https://www.facebook.com/events/210359202845040/

14〜15(土日)2デイズ
名古屋では「Dance with me(Ritual theater 儀式の劇場)」
https://www.facebook.com/events/2297101430316004/

21〜22(土日)2デイズ
東京では「No rain, No rainbow」
https://www.facebook.com/events/211664642744854/
 
=========== 

そして、

福岡でのはじめての1デイは「コミットメント」
https://www.facebook.com/events/193464011416175/
 
=========== 

また、各夜のクラスは以下のとおりです。

単発の大阪夜クラス (7日 土)
https://www.facebook.com/events/149110229119097/

名古屋夜 オープンクラス(13日 金)
https://www.facebook.com/events/340966449745409/

東京夜、オープンクラス(20日 金)
https://www.facebook.com/events/196028840985511/

金沢の夜クラス、(17日 火)
https://www.facebook.com/events/339577789886017/
 
そして、奈良では、障がい者とご家族のクラス(7日、朝)
 
をやります。
 
=========== 
 
全ての情報は
http://5rjp.com/teacher/masayo-benoist/
masayodance.com
 
メッセージ、メールは
masayo.cc@gmail.com
までお願いいたします。
 
皆さまとお会いできるのを楽しみにしています!

「やめちまえ」と言ってくれる人

桐朋学園演劇科で習った 
永曽信夫先生。
去年なくなった。
 
日本の俳優教育に多大な貢献をされた
永曽先生の言葉をふと思い出した。
 
 
「入学したあなたたちへ
  
 僕はおめでとうとは言わない。
 そして僕は君たちを褒めません。
  
 僕は君たちに
 『芝居なんかやめちまえ』
 と、ずっと言い続けます。
 
 それに抵抗して、
 続けていくものだけが
 役者として残るのです」
 
 
 
こんなことに耐えられない神経の人は
北島マヤにはなれないし、
いじめがあっても耐えられない。
 
でも、それ以上に自分をさらけ出す仕事など
できない。
 
 
30年以上たった今なら、
このメンタリティがわかる。
 
 
芝居では「ダメ出し」の時間があるが
その時に
「誰かに自分のことをどうこう言われた」
など、いちいち気にしていたら
役者は無理だろう。
 
 
私はエゴとプライドが強かったので
批判を言われないように、言われないように、
自分の欠点を必死で隠し、
城壁を固めてきていた。
 
 
そこが一番のポイントで、
これじゃ役者じゃなくても
何も達成できないわ、と気づき、 
 
それに立ち向かいはじめたのが
5リズムをはじめてからだ。
比較的最近だ。
 
  
とにかく、
 
「やめちまえ!」
 

こういうことを言ってくれた人がいるって宝だ。
すごいことだと今更ながら思う。
 

  
boo
 
 
ーーーーー

5リズム 2018年、4月。
生クラスならびにワークショップ
7日からはじまります!
 
 
http://5rjp.com/teacher/masayo-benoist/
 
まだ、アップが追いついて居ませんが、
 
 7日、奈良(天理)福祉施設チャリティ
 7日夜、大阪夜クラス
 17日金沢、夜クラス
 
もあります。

罪悪感と恥

罪と罰じゃない。
罪と恥。
いや、
罪悪感と恥。

ティムとケイトの
5リズムのワークショップでも
大好きなブレネーブラウンの言葉を借りて
この話題がでたのでちょっとシェア。
 
 
言葉の表面だけをみると
「罪」は深そうで
「恥」は日本人の感覚からすると
少しへりくだっただけの
けっこう美徳系にすら感じられたりしたものだけど。。。
 
 
いろんな感情の波動を測定すると
Dawkinsの測定では 
「恥」は一番低い波動だという結果がでている。
怒りや恐怖よりも、低い。
  
ブレネー・ブラウンも本やTED TALKで
罪悪感と恥、責める、そして弱さをさらけ出すことを言っている。
 
罪、罪悪感とは
「ガラスを割った」
「車をぶつけた」
「人を傷つけた」
「失敗をしてしまった」I made mistake
など、物事にたいして後悔や申し訳ない気持ちを持つこと。
・・・
事象否定。
 
 
それに対して 恥とは
「(ガラスを割った私に)価値がない」
「(車をぶつけた私は)ダメだ」
「(失敗しちゃう”私自身”が)”失敗”、”失脚”だ」I AM a mistake
・・・
自己否定。
 
 
 
こうやって文にして見てみると
罪には未来があるが
恥には未来がない。
 
 
私たちが持つとしたら
どっちがより悪影響を自分に与えるか?
 

おもしろいね。
 
 map-of-consciousness

聖なる役者

「ザ・松田の言葉」からの続き。
 
「おまえ、役者やめんなよ。続けろよ」
 
と、ザ・松田に言われた舌の根も乾かぬうちに
私は役者をやめた。
 
選んでやめたわけではない。
仕事がなかったのだ。
 
それを言うのは、エエかっこしいの私には
かなりカッコ悪い。
  
  
役者だの、ダンサーだの、歌手だの、
いわゆる「芸」の道を目指したのは
もともと演劇少女だったからで、とても真剣にやる演劇の中では
パフォーマンスとしての演劇、いわゆる「フリ」はできるが、
「自分の様々な”本当”をさらすこと」が
怖くて怖くて逃げ出した。
 
ここは演者の質の大きなポイント。
 
カッコ悪い自分、
鼻垂らして泣いたり、
それはたとえ演技上のことでも、
ウケ狙いで、そのフリならばできるけれども、
本気が出れば出るほど、
私の当時のエゴには、ソレが耐えられなかったのだ。
 
 
それから数十年経ち、
私は違う形式で、
同じコンセプトをやっている。 
 
それが5リズム。
 
 
 
5リズムのバイブル、ガブリエルロスの本の中でも、
「意識的に生きる」ということは「演じる」のと同じ、と。
だから人は皆「ホーリー・アクター(聖なる役者)」なのだ、と。
 
 
18から学んだ桐朋学園の演劇のメソッドの中では、
まるで5リズムの上級レベル、
サイクルズやミラーズのようなこともやった。
 
私は怖くて耐えられなくて、
知らんぷりをし、なにかのミスを装って、
その学科のクラスを逃げ出した。
 
が、結局「そこ」の本質から逃げ出すことはできず
数十年経った後に、似たようなワークショップに
もっとガッツリと出なくてはいけないハメになっているばかりか
ティーチャーになった。
  
 
 
「意識的に動きを再現する」
 
「リチュアル・シアター(儀式の劇場)」
 
の要素。
 
 
よくも悪くも、私の一番、スペシャルな分野だ。
 

「人は皆、表現したい生き物である」

 verge_6426

(写真は、アンバーとロルカのリチュアルシアター@ジョシュアツリー より)

ザ・松田の言葉より

日本の文化的なものとして、
「耐える」「悲しい」「儚い」「自己犠牲」
みたいなものが美しいとされている。

それは確かにある観点からはとても美しいが
全世界共有ではない。
国によってメンタリティが変わることは超実感ずみの
はやアメリカ在住20年!(自分でもビックリする)

たとえばアメリカでは
セックスはぱっかーん!と開けっぴろげだし、

日本は
セックスは蒸し暑い中、電気とか冷房つけずに汗かいて
声を殺して、みたいなのに萌える人も多い。
(俺はそういうの、好きなんだよなーといった人がいた)

セックスのことはおいといて。。。

その昔、私が言われたことをシェアさせていただく。
起き抜けにいきなりソレを思い出して、
どこからか「書け」と言われた気がした。
 
 
私は別に「誰々知ってる」とか「誰々にあったことがある」とか
そういうことを自慢するつもりはないが
その時の感じを生々しく表現したいので
あえて名前を出させていただくとすると、

今はなき、松田優作さんという俳優さんがいて、
映画版の「探偵物語」に端役で出してもらったときのこと。
 
 
根岸監督が、スタジオにいた私を捕まえてこういった。
 
「おまえ、松田さんに挨拶しとけよ。
 松田さん、オールラッシュ(荒編集)を見て、
 お前のこと褒めてたぞ」
 
その時代は「誰かに褒めてもらえる」イコール自分の価値だったから
もう、ウホウホで、
「松田優作に褒められた、松田優作に褒められた」
を胸にスキップしながら
松田さんにご挨拶にいった。
 
すると、あのカッコイイ松田さんが
「さ」を連発しながら

「あのさ、日本ってさ、
 コメディをする女優が湿ってるんだよ。
 泉ピ○コにしても、誰にしてもさ、
 泣き顔のコメディエンヌが多いんだよな。
 
 それ考えるとさ、お前のカラっとした感じはさ、
 純粋に乾いたキャラでさ、すげえ貴重だと思う。
 アメリカ的なんだよな。パッカーンとさ、
  
 だからおまえ、いいか?
 役者、やめんなよ。続けろよ」
  
  
(*私の出演部分は時間の都合で残念ながら大幅にカットされ
 その上、仕事が続かなかったので役者はやめてしまった)
 
===
 
そういえば。。。
 
 
「私はこんなにやってます!」という泣き顔の承認欲求。
その泣き顔を隠すように笑う、2重にツイストした承認欲求。
  
これ、案外多い。
被害者意識的の裏返しの上向き志向の「フリ」
こんなかわいそうなアタシがこんなにがんばってるのよ、的な主張しか伝わってこないのはもったいない。
中身がいいものであればあるほど、もったいない。
 
ほどいてシンプルにしたらいいと思う。
 
別に悪いと言っているんではない。
 
ただ「それがいいのだ。それが良識なのだ」と
信じているのは、
単なる「植え付けられた信念」の縛りですよ、
と。
私も自分で縛っていたからよくわかるのだ。
 
 
これに関しては、インドの聖人OSHOも
ドン・ミゲル・ルイスも(5th agreement)
ガブリエル・ロスも(Maps to Ecstacy)言っている。
 
「ルール」や「常識」、「べき」は、
あくまで社会生活を円滑にするための手法である。
本当に必要か、すべて疑え。
そこに固執しているうちは「自分」ではない。
 
 
だから、義務に縛られて
無理やりがんばらなくてもいい。
 
なんか、そこのルールのなさが、
ザ・松田が言ってくれた
私のカラっとしたところだったのかな、と思う。
 
 
 
まね、がんばるな、と言っておきながら
反対のことみたいに聞こえるけど
ここだけは見失わないで欲しいポイント、を見つけたので言わせて欲しい。 
 
「がんばらなくていいけれど、
 逃げないで。
 夢中になることは必要」
  
 
変化、変容のために、プロセス「大変な場所」とか「エッジぎりぎり」を通る必要はある。
それは物理だからしょうがないと思う。
ヒヨコもタマゴを割り、蝶もさなぎから出る、そんな物理。
 
ここ、大事。いわばカオス〜リリカルへいけるかどうかの部分。
 
ここをごまかすと、ニセモノの「超越感」となる。
自分で汗かいて、やるしかないのだ。 
 
そして、今思うに、
当時の私は、玄人うけする役者の卵だったにも関わらず
「努力、恥をさらし、自分をさらすこと(カオス)」を
怖いと思って、そこから逃げた。
 
この、プロセスである「カオス」から
逃げちゃったから売れなかったのだと今ならわかる。
 
逃げたことのある私が言うんだから信憑性がある。
 
ここの努力は大事なんだ。
努力って努力じゃないんだ。
むしろ、夢中!
 
これやらなくていい人は一握りのシンデレラ。 
シンデレラっつーやつは、ハンパない運命の役割と才能、
とてつもない強い意思を持ってて
その意思で「魔法」を完璧に信じ切っている。
すげえんです、シンデレラって。マジで。
私はそういう大女優や大アイドルのシンデレラたちを間近で見て、
自分は残念ながらそうじゃない、と知ってしまった。
いや、あきらめてしまったヘタレなんです。
 
 
シンデレラではない私は、
やり続けるしかないんだ。
あがくしかないんだ。
エッジぎりぎりまで。。。
 
 
セックスでも、イったフリしてたら
本当には「イカない」のと同じ。
私は、ただ本当にイきたいのだ。
 
でもイクためには大変じゃなくても、
楽しくてもいいわけだ。
楽しくあばれる。
楽しくイク!
 
 
 
松田優作さんの思い出から、
またセックスの話に戻ってしまった。
 
5リズムのカオスも、
そのように踊ってもらえたら、って思う。
 
過去の栄光を話すつもりなんかじゃない。
だって、栄光どころか、売れなかったし。
 
 
なぜこんなことを熱く書いているのかわからない
コーヒーがウマい、美しい朝。
 
 
けっこう意味不明で長いのに
読んでくれた人、ありがとう。
 

 
 
明日から、ケイトのワークショップ「Hardcore Vulnerbility」
サクラメントへ行ってきます。
 
フェイスヨガのふみこちゃんも初参加。
いつこさん、ひなちゃん、日本からさえちゃんも一緒です。楽しみ!
 
 
写真は本文とは関係ありません。イメージです。
1)モンドリアンホテルの横、ハウスオブブルース跡地。
  こんなに掘ってる。
2)キキたん@ドッグパーク
 


 

5リズムは重い?

5リズムは重い?
 
正直にいうと、
こんだけ踊ってる私にとってさえ、時々重い。
軽くなるんだけど、重い。
 
これ、5リズムやる人、皆、経験してると思います。
そもそも元々のコンセプトは重い。
だって人生そのものだから。
 
だけど、ホントは毎日の生活の中で、
人生100%マックスで背負いたくなんかない。
時には軽く、てろ〜〜ん、としたい時もある。
「かる〜く行こうぜ〜〜」な時もある。
 
 
先生となった今の私でも、
なるだけ先輩先生のクラスを受けて自分をメンテしてるのですが、
「あーー、自分と向き合うの今日はイヤだなあ。ケイトのクラス、バックレようかなー」
と思うことがあります。
 
ここ、実はフローイングのシャドウなんですね。
 
 
で、いろいろと「いかない理由」を探す。
 
 
このメール、やってしまわないと。
ひざが痛い。
朝ごはんを夫に作ってあげなきゃ。
そうじきかけなきゃ。
プラントの植え替えしなきゃ。
 
などと普段しなくても、
こういう時だけ出てくる家事もあったりして。
 
 
だけど、それでも行った時、
「ああ、やっぱり行ってよかった!」って思うし、
おまけに膝や腰の痛みも軽くなる。
 
そして、体ってすごいなあ、って思う。
やっぱり体は宇宙だ。
 
そして、生きるってこととか、
人生ってヤツとか
いわゆる重いモノをヒシヒシと感じる。
 
そして、また次の週も
「ああ、やだなあー」って思う。
だけど、やる。
 
 
もちろん、楽しい時もある。
決して楽しい、楽しいだけじゃない。
 
 
続けること。
それが大事。
 
 
ブログもそうですね。
続けないと。。。(笑)
5リズムが続いてるんだから、
ブログも続いていいハズだ。
 
 
ガンバレあたし!!! 
 
そして、来てくださった方にも
自分のために、続けてほしい。
 
 
この春は、意識はもう少し軽く、
楽しい5リズム「も」目指してみようかと思います。
本来の私のファンキーな感じで。

 
 
本来のファンキーな私は、こんなでごわす(ただいま西郷どんビデオで閲覧中)
 
みんながハッピーになるような、
もっと次回も参加したくなるような、
「聖なるディスコ!」的な(笑)
そんなクラスも時にはいいかも。

よし、この春は「気分だけでも軽く」だな!
 
 
recording

2018年冬、日本〜タイ 5リズム

日本は、寒かった!!

福井は記録的な大雪で、ロスに帰国する日、飛行機が飛ぶかどうか、また、飛行場までたどり着けるか、という感じの中、帰ってきたらインフルエンザ♪ あまりのひどさにドクターにかかり、タミフルなるものを処方され、ようやく復活です。
 
まずは東京での夜クラス〜1デイワークショップにきてくださったみなさん、本当に頑張ってくださいました。ちょっとハードなワークでしたが、自分を制限する「嫌なこと」にあえて立向って超える。その向こう側へいく、そんな強さを持つ大切さを、みんなで頑張って得たのだと思います。自分の弱点を知るということは自分の長所になる。そこをどうか、忘れないで。東京へきてくださった皆さん、がんばってくれてありがとう!

そして、チェンマイ。

ああ、チェンマイ。

言葉になりません。

はじめてのタイだし、
はじめてのリトリートだし、
はじめてのあしかけ4日(まるまる2日+0.5日が二回だけど)
私、できるのか?って思いながら
自分を信じて、タイを信じて、天を信じて、
なによりも皆を信じて。。。

皆、それぞれが欲しいだけを自分が取り出す。
自分に必要なものを必要な分だけしか取り出さない。

それを知っていたから、私はただ委ねた。
その場その場の必要なガイドと音楽を
気が狂うように「コレじゃないっ!コレだ!」とまるでラジオのDJのように選びながら
いつもとはDJ違いなんですけどね、
あらかじめ準備しているにもかかわらず
その場でのエネルギーが違うと 体が「違う」っていう

それにあわせた音を選び、
それにあわせたインストラクションが
ピンポイントでやってくるだけなの。
都会でやっているより、とても如実にその感覚があった。
不思議だった。

皆の最後の曲を選んで振り返ると、
そこはまるであの世のようで、
自分の目を疑った。
うわあ〜〜〜、って。
誰も「個」が存在してない。

それぞれの肉体は「個」の器であって、
見事に全員がバラバラな状態で「魂とかスピリットそのもの」になって溶け合っていた。
それは、とてもとても美しく、神々しかった。
床には不規則に規則的な不完全に完全なブーゲンビリアが散らばり、
ブーゲンビリアと人さえ、同一な、、、
 
忘れがたいビジュアルメモリ。
 
 
もちろん、こうなることも多いんだけど
明らかに質が違ったんだ。
だからびっくりした。
ドッカーン、みたいな。

これが、自然、地球とつながるということなんだ、
という実感のような。。。

そこには私もおらず、先生も生徒もおらず、
ただ、それぞれが存在していて
どんな形の祈りの踊りにも負けない
神々しさがあった。
 
 
映画:プールで使われたホシハナビレッジさんは
バンロムサイのエイズの子供達のための支援施設ホテルで
その中のサラーはいつもそよ風が舞い、
鳥の歌声が聞こえ、木の葉が戯れ、太陽をいっぱい浴びていた。

また、うさと服の工房へもお邪魔することができたばかりか
うさぶろうさんのサラーでも踊らせていただいたり、
ミラクル満載すぎてビビるというより、
ミラクルとは人為的な最高のご縁と尽力が全て揃うと
その気持ちは神意を動かし、ジャイロスコープがガランと動く、
そういうことなんだと改めて思った。

このために1年半前から、コーディネートのゆかちゃんが提案をしてくれた。
このために当時は「ええ〜〜?うさと〜〜〜?」と言っていた私が販売会へいっていきなり5万円分くらい買ったりして直談判もした。
そのあとはさえちゃんが的確にそれをすすめてくれた。
そんな中、誰も無理押しをすることはなく、
トントン、と、流れるようにトントン、と進んだ。
 
しかもさえちゃんは、タイ出発の一週間前にお父様を亡くされたが、
遺言で、仕事に穴をあけることなく、ということで、
一番番時期なのに、いろんなことを一生懸命やってくれた。
さえちゃんがいないと何もできないくらいに丸投げしていた私は
さえちゃんのパパさんにもお世話になっている。

もともとダメならポシャるでしょ、と思って挑んだ計画だった。
「なぜタイ?」と言われながら
なぜかわからないけど、そうなってるんだよね、的に
一番うさとから遠いファッションな私がうさぶろうさんに鬼のようにお世話になることができたのも
10年来の心の友人ゆかちゃんが、うさぶろうさんに鬼のように可愛がられているからという理由。

数名のキャンセルもでたけども、それも全員に必要だったんだろう。
ものごとのマトリックスとはそのようになっている気がする。
 
 
===
 
 
うさぶろうさんの工房は愛の工房。
誰もが皆、幸せに仕事ができるようなシステムが作られていて
コットンバンクがあって、これは素晴らしく古く、新しい透明なシステムだった。
 
成功しようとか、金持ちになろうとか、そういうことでなく動くシステム。
そういう村を10も作っているうさぶろうさんはスゴい。
 
うさとの工房の村に着いた時、私は車酔いで寝転がってダウンしていた。糸縒りのバアちゃんがさすってくれたりタイガーバーム塗ってくれたり、16歳がマッサージしてくれたりして、ある意味他の人ができない経験をさせてもらった。

すっかりうさとファンとなった私はロスに帰ってきてからもうさと服ばっかり着ている。
 
「衣服」「服用」の文字のとおり「衣」は薬。
体につける一番最初のもの。
それを体がわかっちゃうから、着ちゃうんだよねー。
 
 
===
 

皆が日本へ帰った後、数日居残って、別なお友達、ゆかりちゃんのビデオのお仕事をさせてもらった。
こちらもゆかちゃんが共通の友人なので、ゆかちゃんにお世話になる。

チェンマイ市内で急遽タイ王朝のプリンセスの衣装を着せてもらって写真撮ったりとか、そういう観光客しかしないことをしてみたり、山の上のゴージャスなホテルで撮影をし、次はこっちもいいかも、とか。

タイのマッサージ系も受けた。

チネイザン(お腹のマッサージ)
カルサイネイザン(性器も含むマッサージ)
普通にタイマッサージ
アーユルベーダの超洗浄(びっくりした!)
 
 
===
 
 
ゆかちゃんも、うさぶろうさんも、村の人も、うさとアシスタントのギックさんも、ゆかちゃんのスーパー後見人モントリーさんも、

タイの人は心底、やさしい。
いや、優しい人の周りに優しい人が集うのだと、そう思う。
 
 
参加してくれた人たちも、チェンマイの人たちに負けないくらい、皆やさしい。
なんで世の中の優しい人が全員ここに集まってるんだ?と思った。
 
 
ありがとう。
 


 

どれが本業?

トニーは、サンタモニカで
ダンススタジオのオーナーをしている。
 
彼はいわゆるスタジオの人というよりは
なんだか少し雰囲気が違って
なんというか、いわゆる多角的なにおいがした。
 
ブレてない、というか
こいつ何モノ?感があり、
私の興味の触手がピコンと動いた。
 
そのスタジオにはコーヒーバーもあって、
トニーがコーヒーを入れてくれる。
するとジャズ・カフェのマスターみたいにも見える。
 
「今度、モンタナストリートのほうにカフェ、出すんだ」
と言ったので
「ここのオーナーだよね?」
と聞くと
「そう、ラテンのダンスの先生として、自分でも教えてる」
 
 
ここのスタジオは音響も最高で
ライト関係がオシャレで、
大きな写真が飾ってあって、
印刷がかっこよかった。

それに関して質問したら、やたら詳しい答えが帰ってきたので
「これ、自分の写真?フォトグラファーなの?」
と聞くと
雑誌などをやっている
ファッションフォトグラファーなんだと言った。
 
 
「うわぁ!どれが本業?」

と私は聞くと
 
トニーは笑顔で、

「どれも本業だよ
 どれが本業って決めなくちゃいけないことってないだろ?
 全部本業。
 その時にそこに集中する。
 生きてること、ぜーーんぶ本業!」

と言った。
 
 
新鮮だった。
 
 
一本に絞る、という神話を、
誰が作ったんだろう?
 
いろんなタイプの人がいたら、
いろんな生き方がある。
 
そんなとても基本なことを
ふとリマインドされた日だった。