Happy Birthday to Me!

今日(アメリカ時間19日)は私の誕生日。

日本時間の誕生日(昨日)の夜、私はブラジルから来ている友人をピックアップしてベニスビーチの教会で行われているダンスのクラスへ行き、60人と一緒に踊った。

帰って来たらトムはスープを作ってくれていて、ケーキを買って来てくれていて、プレゼントに私がお願いしたものを買って来てくれていた。

スカイプで父母に感謝の電話をし、また今年も自分の誕生日に父母が二人ともハッピーに生きていてくれる事、生まれた時間近辺に話せた事、そして、照れずに感謝の意を伝えられた事に心から感謝。

アメリカ時間の19日になったらFBでたくさんの人からお祝いをもらって、さっき、ご近所のおさむちゃんがお花を持って来てくれて。。。
今晩はいただいたギフト・サーティフィケートでトムとディナーを食べに行く♡

いつも、祝ってもらってた。
いつも、サポートしてもらってた。
なのに、多分今までは、自分が気付かなかったんだ。

今年は違う。
これだけ幸せな、皆に、本当に心から感謝できるバースデー。

ありがとう☆ 

   ありがとう☆ 

      ありがとう☆

メルティキッス記念日

ミックの誕生日(1月5日)に。。。

夫、トムが
「今日はミックの誕生日だよね? 犬の散歩に行ったらね、変な事があったよ。ミックの事を考えてて、ミックかい?っていったら道行く車が「プー」とクラクションをならし、本当かい?ってもう一度頭の中で聞いたら全然知らない人が「イエーイ!」と言い、「これは何かのサインなのか?」ともう一度自分にといかけたら、目の前のヨソの犬が「ワン!」って鳴いたんだ。まるでミックの魂が、僕と遊んでるみたいだったよ。

ミックの魂は間違いなく、人を揺さぶっていたようだ。
今日はワシントン州のポイントロバートでも、彼は人の心をくすぐっていたらしい。
シエラからメッセージが入った。
「見て、ほら、メルティキッスよ」

 ***

ミックが自らの命を絶ったのは3年前の9月の終わりだった。
ベスからの悲痛な叫び声の電話でその知らせを聞いた。あのときの景色、音、家の床の色、階段に落ちていた犬の毛。
記憶とは、何故そういうクダラナイものを一緒に覚えているんだろう?

ミックはLAが嫌いだと言い、カナダとワシントン州の国境にある、ポイントロバートという街へ引っ越し、そこに三年住んだ。最初の頃は新しい場所の素晴らしさをたたえていたが、そのうち、何も無い田舎は憂鬱だと言った。またLAに戻りたいと言っていた。多分ミックが嫌だったのはその街、その街ではなく、自分を最後まで、ちゃんと愛せなかったのだろう。

寒い冬。
どこへもでかけられないホリデーシーズン。
ミックの誕生日は1月5日。
弟のような彼のために、様々な日本の品物、とりわけ彼の好きだったものを箱に詰めた。

クリスマスは淋しい季節だと言っていつも酔っぱらっていた。
そんな淋しいクリスマスから新年、そして彼の誕生日にかけて、彼はものすごく憂鬱になる。
そんな彼がうまく笑えるように、私は一つづつのラーメンを、キレイに包装した。バカバカしさは時に大切だ。

正月明けにはミックから電話が入り、全部開けてみた?と聞くと、
「まだ、もったいなくって全部あけてないんだ。ひとつ開ける毎にラーメンとか、わさびマヨとかが出てきて、本当はその度に笑いながら泣いてる。涙でなかなか全部開けられないよ。ありがとうマサヨ、、、」

お好み焼きの粉、お好み焼きソース、わさびのチューブ、わさびマヨネーズ、とんこつラーメン、ミルキー、ハローキティのキャンディ、ポッキー。
そして、彼がケラケラ笑った「冬季限定とろけるチョコレート、メルティッキス」

「メルティキッスってどういうネーミングなんだよ!君たち日本人ってほんっと可笑しいよな」と、大笑いした後、ひとつぶを口に放りこんだ後、「オーマイガーッ!」といって、目を閉じたまま無口になった。
ほんとだ、これは本当にメルティキッスだ!
それ以来、そのネーミングを笑わなくなった。
ミックが一番好きになった日本のお菓子。

 ***

ポイントロバートでのお葬式に参列したとき、私を見て驚いた顔をした一人の女性がいた。
彼女はそれまで彼氏にささえられながら、崩れるように泣いていた。が、私を見るなり、私を指差し近づいてきて、こう言った。
「うわぁ!!!  メルティキッス!!」

「ミックがね、毎年お正月になると、大事そうにあなたから送られてきた箱をかかえて、私たちに見せて、そして、ひとつだけメルティキッスをくれるの。”いい?これは最高に美味しい魔法のチョコレートなんだ。みんな目を閉じて、これを味わって。噛んじゃダメだよ、口の中でとろけさすんだよ”って。私たちは皆で目を閉じて、このチョコレートを味わったのよ」

ミックがどういう表情でそう言ったか一センチ違わず解る私とトムは、お葬式の教会で、泣きながら大笑いをした。

 ***

フェイスブックで、シエラがメルティキッスの写真とともにメッセージをくれた。

「ねえ、メルティキッスの事覚えてる?。あなたが始めちゃったあの伝統行事、まだこのポイントロバートで続いてるわよ。私たちはあの後、ホリデーシーズンには、何が何でもメルティキッスを手に入れて、贈り合う習慣が出来ちゃったのよ。ああ、忘れられないわ、あの日々の事。。。」

「シエラ、知ってる?今日はミックの誕生日よ」

「ああ!だから!!なんだかミックがそこにいるみたいに、本当にありありと思い出したのよ」

Happy Birthday Mic.
あなたのことは忘れられない。
一緒に家族のように過ごした日々。
一緒に日本へも行ったね。
キラキラと瞬間瞬間を生きた、輝く人生だったね。
あなたと出逢えて嬉しかったよ。

また、いつか、どこかで。。。

ミックはまだ、そのへんで きっと笑っている。
「あはは、マサヨ。僕はここにいるよ」と。

誕生時のトラウマをリリース

On December 19th, (書きたい事が多すぎて遅れてます)

ファイブリズム(ダンス)のクラスに行った。
そのクラスの、その日のテーマは「淋しさをリリースする」だった。
時々、ペアを組んで踊るが、今日の私は一人で踊りたいと思った。
自分の奥底に潜んでいる淋しさとか、どーでもいいや感を取り除く為に。。。

大好きな先生Joが「今日は他人の事は完璧に忘れて、自分のためだけに踊りましょう」と言った。

気持ちが通じたかのようで嬉しかったと共に、とある事に折り合いをつけ最後にしたかったので、これはとてもいいチャンスだと思った。

実は、産まれる前の記憶というか自分のイメージで、小さな男の子が宇宙かどこかに腰掛けて体育座りをしていて、目の前にあるトンネルの中を通るのを嫌がっていたイメージが幼い頃からあった。
自分の意志ではなく、どうして行かなくてはならないのか、行けと命令した神さまに少し腹をたてていた。

男の子は全身で細胞を閉じており、そのトンネルは産道であり、その子は「私」だという確信があった。(彼はそのトンネルで腰を打ち、私も同じように何度かそこを怪我している)

もういい大人だし、「産まれてきたくなかった」思いに折り合いをつけ心から幸福感を味わいたい。宇宙に腰掛けたそんなスピ系ファンタジーにつきあうのは最後の最後にしたいワケ。

インナーチャイルドかなんかワカランけども、今日はこの少年とドップリ一時間つきあって、この少年のために踊る事にした。

 ***

無理に彼の手をひろげるのではなく、ただ、彼のしてほしい事を察するようにしてみた。全てのアテンションを彼にあげて。。。
「私がしてあげたい事をする」のではなく「彼がしてほしい事」を探し、ダンスの中で与えた。

そして次の曲では、彼自身になった。
嫌な気持ち、困る気持ちを、踊りに託してみた。バカヤローと言えなかった事、地たんだを踏みたかった事、それを彼となって、リリースした。

踊って踊って、そのうち彼と私は統合して、
気がつけば、もう拗ねた顔はどこにもなかった。

おめでとう。

「産まれてこなきゃよかったよ」という重石が外れた。

 ***

クラスの最後に、今週お誕生日の人は輪の中に入り、皆で身体を持ち上げて全員でオームをとなえてくれる。20人のオームは細胞にしみ込む。前から絶対にして欲しいと思っていた。

「受け取る」事を全身でした。
ああ、うまれてきてよかったな。

もう、あの子は憂鬱じゃない。
もう、わたしは憂鬱じゃない。
どこかしらハスに構えていた私は、あの子の言い訳だったと思う。

あの子がもう笑っている今、
かっこ悪く、自分にチャレンジしつづけてもいいと思った。

HAPPY BIRTHDAY TO ME.
私をこの世に運んでくれた父母、ありがとう。
誕生日はそれを親に伝える日。

お父さん、お母さん、そしてそのまたお父さんお母さんたち、
命をつないでくれてありがとう☆
本当にありがとう☆

私、シアワセです☆